40代になってから仕事で現地滞在する
ことが多くなりました。


室蘭、君津、淵野辺、釜石、光、みんな
製鉄所のあるところです。短いとひと月
長いときには半年くらい、行ったっきり
でした。


長男が小学生になるまでの記憶がない程
家にいなかったのです。


仕事内容も過酷で、3日間で1時間の睡
眠時間で働いたこともありました。


40代後半からはスポーツ系の仕事が増
え、大会のあるたびに出張するようにな
りました。


帯広、三沢、野辺山、ウインタースポー
ツの会場は寒く、このあたりから血圧が
高くなったようです。


50代になると放射線検知関連の仕事で
サンホゼに行ったり、レーザー監視カメ
ラ関連でアトランタに行ったり。


体が大きいので、狭い機内は辛く、昔に
エコノミー症候群で目が見えなくなった
こともあるので、ビジネスクラスじゃな
いと出張しません。


若いころ出張でアトランティックシティ
ーやラスベガスに行った時もビジネスで
行かせてもらいました。


バブルだったですからねえ。

平成9年も終わり、母の遺品の整理も終
えてようやく落ち着いた頃、母の友人の
息子さんから連絡があり、三味線や撥を
譲ってほしいとのことです。


実家にある三味線は分解してバッグにし
まってあるのですが、バッグのキーがあ
りません。


実家の整理をしたけれど、そんなものは
目につきませんでしたし、どこを探せば
良いのか見当すらつきません。


とりあえず、妻の実家に帰ったときに、
もうだれも住んでいない私の実家にキー
を探しに行きました。


部屋に入ったら自然に体が動き、真っ直
ぐ部屋の隅に置いてあるテーブルに向か
い、そのうえにあった蓋のない箱に手が
伸びたんです。


その箱の中にあるものをつまんでみると
探していたキーがあったのです。


自分が誰かに操られているんじゃないか
と思ったほど、あまりにも簡単に見つか
りました。


今でもあの時の体験は忘れられません。


9月8日はお通夜です。


喪主の挨拶の原稿を作っていたら、義父
が「あまりうまくやってはいかんよ」と
アドバイスしてくれました。


平成9年9月9日がお葬式です。


頼んでもいないのに多くの方から弔辞を
いただきました。


最後に私の挨拶です。


メモ用紙に簡単にまとめた5行くらいの
挨拶ですが、「この度は...」と言って
から嗚咽です。


言葉が声になってくれません。


10分程掛ってようやく終えることがで
きました。


幼稚園の卒園式で謝辞を読まされた時も
途中で絶句して、皆さんにご心配をおか
けしましたが、またかよって思いました。


最後にお寺の住職から「感動的なお葬式
でした」とほめられました。


演技じゃないんですけどお。