半年間の研修を終え、LSIの設計部門

に配属された私は5年半で退職するこ

とになります。


ブログに書けないこと満載の日々でし

た。


大学時代に知り合った人に、PCソフト
が今から伸びるので、会社を作ろうと
誘われ、その準備段階として原宿にあ
ったPCソフト会社に就職しました。


入社1年目くらいでそろそろバブルの
始まりです。


就職先の社長さんが青山にマンション
をもっていて、3千万で買わないかと
オファーされたのですが、無一文だっ
た私には手が出ませんでした。


半年後にその物件が1憶2千万になっ

ていたのには、驚くというよりちょっと
変だなと思ったほどです。


そこで2年半勉強して彼とともに会社
を立ち上げました。


昭和62年7月1日のことです。


バブルの崩壊まではあと1年でしょうか。


府中で開業した当初、信用金庫からは
1億円までならいつでも貸します。


なんて言われていて、ほんとに借りて
いなくてよかったです。


仕事は順調に進み、自社製品を2種類
開発して、販売も開始しました。

マスター2年目の夏に、就活で帰国し
ました。


事前に5社ほどに手紙を出し面接を

してもらえるようにお願いしましたら、

2社だけ興味を持ってくれ、試験や

面接をしてくれました。


2社とも内定をもらい、後は卒業試験
をクリアすれば4月から社会人として
スタートというところまできました。


卒業試験は、教授3名による口頭試問
で、特にコンピュータのCPUの動作や、
周辺機器とのインターフェイスである
データバスの設計に関する内容が問わ
れます。


1月から準備をはじめ2月中旬の試験
まで、すごいプレッシャーのためか、
ひどい便秘をしました。


ほとんど出なくて、おなかがパンパン
になり、このまま死ぬのかと思うほど
でした。


試験が終わった日の夕方、うそのよう
に解消しました。


これも生まれて初めての経験ですが、
それ以来、同じ苦しみは味わっていま
せん。


眼が見えなくなったことから始まり、最後

の便秘まで、いろんなことを経験しながら

6年間はあっという間に過ぎました。


大学4年の冬学期は休んで日本で過ご
しました。


就職活動もしていないし、大学院には
願書を出していて、大学からの奨学金
をもらうように申請していました。


だから4年で卒業という気持ちは無か
ったです。


MIT、スタンフォード、コーネルと
いった大学に願書を出しましたが、
ワシントン大学だけ奨学金をくれたの
で、継続して居続けました。


他の学生からはまだいるのという目で
見られるほど、別の大学に進学するこ
とが一般的なのですが、仕方ありませ
ん。


マスター1年目は3年生の電子回路実
験のクラスを受け持ちました。


その時の教授が、試験にマニアックな
問題を出す人でしたが、たまたま大学
院の全国試験にその手の問題を発見し
受け持ちクラスの全員に、試験前に練
習問題を作ってやらせていました。


そしたら全く同じ問題が出題されちゃ
って、試験後僕のクラスが満員になり
その学期のベストティーチングアシス
タントになりました。


次の学期からは、たくさんの担当教授
から、自分のクラスで教えてくれと、
オファーをもらうことになりました。


なんだかすごくラッキーでした。



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