二次元ポケット。(加筆)
インターネットの光回線でケーブルテレビ的なやつが見れるのだ。
ある日突然電話がかかって来て、勝手にチューナーが送られて来て、「2ヶ月間無料ですから。」と言われて、まぁ2ヶ月経ったら即解約してやろう、と固く心に誓いながらぼんやりと画面を眺め続けてかれこれ3ヶ月。
ずっぽしとハマっておる。
馬鹿みたいにチャンネルはあるのだが、専ら海外ドラマ、料理、70年代日本ドラマチャンネルである。
面白い。こんなにテレビの前に居るのは10年以上振りである。間違い無く、こんな事をしているバヤイではない。
海外ドラマについてはまぁブームでもあるし、わざわざここで語る事もあるまいが、確かに海外のドラマと比べたら、日本の殆どのそれの製作者は、完全に何かを諦めているとしか思えない。若しくは主役が平仮名しか読めないか。
さて夜中になれば酔っ払って、件の海外ドラマのセクシーねぇちゃんに釘付けになったり、はたまた海外の料理番組を見ては、「当たり前みてぇにお庭のハーブて!!」とか、「チーズかけ過ぎ!!」とか、「結局最後はオリーブオイルかよ!!」「もぅ飲めよ!!」「浴びろむしろ!!」「志村後ろ!!」とか叫んでいるのだが、何と言っても面白いのは 日本の昔のドラマである。
俺が産まれたかそれより前てな時代の、昭和が牙剥き出しのホームドラマ。森繁、若!!て感じの。今で言うと、渡る世間はどぅしたこぅしたみたいなやつね。これがまぁ面白いのなんの。
お茶の間や、夕飯時の家族の会話。緩い。ヒジョーに、緩い。皆、現代では考えられない位、噛むのだ。それはもぅロレロレである。しかし続く。ワンカットで進む。それでも見れるのだ。芝居の間、と言うか、空気、と言うか、実にしっかりしている。役者一人一人の力が、魅力があり過ぎる。今日日の日本ドラマでは考えられないグルーヴを紡ぎ出しておる。
昔は良かったなんて野暮な事を言うつもりもないが、今の世ん中見回してみれば、素人騙くらかして小遣い巻き上げるだけの、詐欺みてぇな娯楽が幅を利かせてばかりでまっこと嫌んなる。適当に上っ面だけ口当たり良く仕上げて、流行ってますよて宣伝流せば、素人さんは乗り遅れるの怖さに思考停止して飛び付くって寸法さ。制作者にはプライドも無ければ情熱も無い、客を育てる気概も無い。
しっかりした力を持った職人が、その技術を駆使してエンターテイメントを作り上げるなんて手間の掛かる作業は、今の日本じゃ誰にも望まれない自己満足、謂わば判る人だけの道楽みたいなもんなんかねぇ。
などと考えつつ、今日も俺はそんな職人達に憧れながら「マニアックですよね。」と首を傾げて一笑に付す方々に首を傾げて、俺の脳内グラミー全部門受賞のポップソングを書き続けるのだ。
ある日突然電話がかかって来て、勝手にチューナーが送られて来て、「2ヶ月間無料ですから。」と言われて、まぁ2ヶ月経ったら即解約してやろう、と固く心に誓いながらぼんやりと画面を眺め続けてかれこれ3ヶ月。
ずっぽしとハマっておる。
馬鹿みたいにチャンネルはあるのだが、専ら海外ドラマ、料理、70年代日本ドラマチャンネルである。
面白い。こんなにテレビの前に居るのは10年以上振りである。間違い無く、こんな事をしているバヤイではない。
海外ドラマについてはまぁブームでもあるし、わざわざここで語る事もあるまいが、確かに海外のドラマと比べたら、日本の殆どのそれの製作者は、完全に何かを諦めているとしか思えない。若しくは主役が平仮名しか読めないか。
さて夜中になれば酔っ払って、件の海外ドラマのセクシーねぇちゃんに釘付けになったり、はたまた海外の料理番組を見ては、「当たり前みてぇにお庭のハーブて!!」とか、「チーズかけ過ぎ!!」とか、「結局最後はオリーブオイルかよ!!」「もぅ飲めよ!!」「浴びろむしろ!!」「志村後ろ!!」とか叫んでいるのだが、何と言っても面白いのは 日本の昔のドラマである。
俺が産まれたかそれより前てな時代の、昭和が牙剥き出しのホームドラマ。森繁、若!!て感じの。今で言うと、渡る世間はどぅしたこぅしたみたいなやつね。これがまぁ面白いのなんの。
お茶の間や、夕飯時の家族の会話。緩い。ヒジョーに、緩い。皆、現代では考えられない位、噛むのだ。それはもぅロレロレである。しかし続く。ワンカットで進む。それでも見れるのだ。芝居の間、と言うか、空気、と言うか、実にしっかりしている。役者一人一人の力が、魅力があり過ぎる。今日日の日本ドラマでは考えられないグルーヴを紡ぎ出しておる。
昔は良かったなんて野暮な事を言うつもりもないが、今の世ん中見回してみれば、素人騙くらかして小遣い巻き上げるだけの、詐欺みてぇな娯楽が幅を利かせてばかりでまっこと嫌んなる。適当に上っ面だけ口当たり良く仕上げて、流行ってますよて宣伝流せば、素人さんは乗り遅れるの怖さに思考停止して飛び付くって寸法さ。制作者にはプライドも無ければ情熱も無い、客を育てる気概も無い。
しっかりした力を持った職人が、その技術を駆使してエンターテイメントを作り上げるなんて手間の掛かる作業は、今の日本じゃ誰にも望まれない自己満足、謂わば判る人だけの道楽みたいなもんなんかねぇ。
などと考えつつ、今日も俺はそんな職人達に憧れながら「マニアックですよね。」と首を傾げて一笑に付す方々に首を傾げて、俺の脳内グラミー全部門受賞のポップソングを書き続けるのだ。
お金とお酒の無い国に行きたい。てくらい本当は好きで好きでたまらない。
お金の遣い方が下手だ。良く分からない。未だに、千円札が10枚集まると壱万円になるというシステムがイマイチ理解できていない様子だ。なので壱万円札を何らかのはずみで崩してしまった瞬間に、飛ぶ様に無くなってしまう。勿論、貯まるという事もないし、貯まったところで大した遣い道も思いつかないだろう。
だから、持ってようが持っていまいが同じの様な気がする訳です。結局無くなるのね、と。じゃぁもぅ、いらない。
それにどれだけかき集めても、お金なんて物は最終的には自分の物ではないのですから、余り執着してもねぇ。なんてわざわざ書いてる時点でかなりの執着な訳ですが、何と言うかこれは、お金に執着している人達に興味があるのであって。そんなに集めて一体何に費やしたいのか、と。
いゃそりゃまぁ生きていく為には絶対に幾らかは必要ですよ。その幾らかだって、死ぬ程働かないと届かないような世の中ですがね。
しかしそれでも、死ぬまでの大半の時間をお金と交換して、その"命の対価"と言える程に自分で勝手に価値を高めてしまったお金で、一体何を手に入れたいのか?と。その価値と釣り合うものがお金で買える物の中にあるのか?と。
俺ならばそんなに大切なお金はきっと遣えない。遣えないならば、いらない。
お金は便利な"道具"です。お金があれば様々な手間や時間を省略する事が出来ます。或る程度の楽しみも買えます。しかし命だってこの上なく用途の広い道具だと思うのです。上手に使えば、命があるだけで想像もできない様な楽しみや喜びを手にする事も出来る筈です。
俺はお金の遣い方は下手糞ですが、命の遣い方にはちょっと、気をつけたいなぁと思うのです。
産まれました。
ハピバスデー俺。
考えてみれば、若い頃の俺という人間は、それはもぅ人を人とも思わない様な、ハエの様な下らないガキだった。今も時々そんな自分が顔を出しそうになるのだが、その度、若い頃を思い出しでそれを頭から掻き消す為に思わず「あばばばばばば!!」と大声を出してしまう。別に、大層やんちゃくれだった、とか触る物みな傷付けた、とかそんな格好の良いものではなく、ただただ静かに冷めていた。冷めくりたおした嫌なガキだった。
ハスに構えて、全てを斜めから眺めて、自分の事は棚の上に放り投げて、言い訳ばかり考えていた。
自分の事だけ考えて、自分の為だけに生きている人間の書く歌である。それはもぅ薄っぺらいの極みである。ただの言い訳の積み重ね、いくら言葉を積み重ねようが向こう側が透けて見えるぺらさ。違う意味で物凄い透明感。
しかしそれから何かが変わり始めた。歌詞というものに対する執着が生まれた。人が書いた歌詞の中の、喜びや悲しみ、ひいてはそれを書いた人間の考え方や性格までを読み取ろうと努力した。そして分かったのだ。
「良い歌を書くには良い人間にならないと無理なんじゃん。」
俺の本当の音楽人生が始まった瞬間だった。
それからは色々な事を考えた。今まで迷惑かけた人達の事、これからかけるであろう人達の事。好きな子の事、嫌いな子の事、友達の事、恋人の事、両親の事、アカの他人の事、世界の事。
俺の仲良しが俺の知らない人と仲良しでその仲良しはまたそいつの知らない人と仲良しで、でもそいつと俺は何処かで知り合って殴り合いの喧嘩をしているかも知れない。だけどそれはタイミングのお話で、知らない同士が間に仲良しを介して一同に会したならばきっと全員が繋がって仲良しになるのだろう。そう考えると、世界中の人達に支えられて俺は、いる。
甘っちょろい言葉に聞こえるだろうが、確かにそぅ思う。そうでないと有り得ない。そうでないとこの世界は成り立たない。特にきっとこれから先は。そんな思いで歌を綴った。
『コーンフレーク』
僕が狂っていると
指を差して君は
笑うけれど
本当ならばもっと上手く
君なんかに気付かれやしない
君のコーンフレイクを
盗んだという
件に関しては
悪いけど今は
否定させてもらうよ
けれどそれにしたって
つまらない自尊心
かもしれない
本当はどうせ僕が
頂いちまったんだろうし
自分の罪さえ
忘れる位に
日々を捨て去る事に
慣れ過ぎて
この世の全てを
愛せたなら
何処かで朝日は
輝くだろう
君の全てを
抱き締めたなら
憎まれながら
僕は
微笑むだろう
「世の中は不公平」
煽ってる奴等は
皆大金持ち
歯を食いしばって
耐え忍ぶ
僕達は貧乏人
神様がいるって言うんなら
寝る間無く皆を
救ったげておくれよ
僕の事なら
後回しでいいよ
大好きなあの子がいるから
色んな気持ちを
無くしながら
人を愛する事に
焦がれている
この世の全てを
愛せたなら
何処かで朝日は
輝くだろう
君の全てを
抱き締めたなら
憎まれながら
僕は
微笑むだろう
色んな人を
傷付けながら
何とかここまで
生きて来たけれど
気に食わないなら
この頬を
張り倒してもいいよ
僕は何一つ君に
嘘なんか
吐いちゃいない
分かってくれとは
思わないけれど
相槌位は
打って欲しいもんさ
ねぇ君
ねぇ君
こっちを向いてよ
この世の全てを
愛せたなら
何処かで朝日は
輝くだろう
君の全てを
抱き締めたなら
憎まれながら
僕は
微笑むだろう
いつか君も
気付くだろう
この世には
愛しかない
愛しかないんだ
分かるだろ?
愛しか
ないんだ
何だか書き疲れたので、最後に敬愛する十四世ダライ・ラマ猊下の言葉を。
「怒りと憎しみに心が満たされていても、愛だけが人を変える究極の方法です。変わる事なく、飽きる事なく、この愛を継続的に示しなさい。あなたは彼の心を打つでしょう。長い時間がかかります。個人的には、私はできません。最初は親切であろうっ努めますが、すぐに飽きて、言うでしょう。「残念だけど、仕方がない!!」(大笑)。非常な忍耐がいります。しかしあなたの意図が完全に純粋で、愛と思いやりが変わらなければ、成功するでしょう。」
では皆の衆、今年も一年、宜しくな。
自分を中心に世界を回そうとするのが我が儘、自分を中心に自分が回るのは自分勝手。
そろそろ久し振りに誕生日がやって来る訳だが。
どの位久し振りと言うと、去年の丁度この時期にやって来て以来の御無沙汰なのである。
しかしまぁこの歳になると、誕生日が来たからといって別に何が変わる訳でもないな。稼ぎが増える訳でもなく、新曲が出来るでもなく、夢が叶うでもなく、音楽的に熟達する訳でもない。まだ当日を迎えてないので確かな事ぁ分からんがね。
もしかしたら、15日を迎えた瞬間にメキメキッ、と音がして劇的に腕が上がるのかも知れないし、ユニセフから大量の粉ミルクが届くのかも知れないが。まぁ今まで一度もそんな事なかったので、今回もただ静かに死が一歩近付いて来るだけなのでしょう。そしてそれに怯えた額の生え際が、また一歩後退する、と。
下らない事を言っているが、最近の俺はと言えば、学校や自宅でお唄やギターを教えて、夜にはバーはせがわで唄い、週末になればライブは最近お休みしているので、お部屋の隅でギター抱えて曲を書こうと悶々と、と言った感じで、シヤワセにも音楽の事だけ考える日々を送らせてもらっている。
こんなスバラシィ生活を送れるのも、御世辞ではなくひとえに常日頃からの俺の努力のお陰だ。本当に心からありがとう俺。などと時には柄にも無く、気恥ずかしい感謝の言葉を綴ってみたりするステキな俺だ。皆が憧れるのも無理はないな。
これからも沢山迷惑かけるけど、宜しくな、俺。








