若い頃アジアのアシュラムや寺をまわっていたのだがそういった場所で教えている技法にどうしても違和感があった。
特に違和感があったのはクンダリーニヨーガ系のクンバカやバストリカだ。
激しい呼吸で火を焚き付けて上に上げると言ったような行法全体に違和感を感じていた。
元々自分はアジアをまわる前に日本で野口整体の活元運動とラティハン、そしてピパサナ(一日24時間の思考の観察)で深い瞑想に入っていた。
野口整体の活元運動は元々、古神道の魂振りの行法を一般化したものだし、ラティハンは魂振りを立って行う、それこそどちらも自発動功系のクンルンネイゴンのspontaneous chigongと大して変わらないものだ。
そしてピパサナの思考の観察はアストラル体の破壊、というのをやってくれるのだが、それは置いておいて。
OSHOのアシュラムで聞いた話だがそこには当時世界中からセラピーや色んな瞑想法が集結していたのだが、そこで言われていたのは世界の色んな国の人に効くセラピーが日本人にだけは効かない、と。
特に日本人に関しては自我を強烈に押し出すような自己啓発的なワークもやらない方がいい。との指示が出ていた。
挙げ句の果てには日本人の為だけのセラピーや瞑想のクラスまで作られていた。
ここで言えるのは日本人の特殊性である。
同じアジア人でもインドや中国、韓国とも違うYAP遺伝子を持った日本人の特殊性である。
に続く