すべてを常識で判断しなさい。
あなた自身の判断を持ち、何ものも、そのまま信じてはいけない。
あなた自身が、筋道立った推論と論拠によって、あることについて動かすことのできない確信と完全な理解に達したとき、あなたは一定の水準の"伝授"を達成する。
これについてもっと深く考えなさい。
たとえば、今日私はあなたと話をした。この話を思い起こしなさい。
考えれば、あなたは、 本質的には私が何も新しいことを話さなかったという私の意見に同意するであろう。
あなたは私が話したことを全部知っていた。私がしたただ一つのことは、あなたの知識の中に秩序をもたらしたことである。
私は知識を体系化しただけで、あなたは私に会う前に、知識を持っていた。
だが、こうしたすべての有利な条件にもかかわらず、あなたは私の言ったことの百分の一も会得しなかったことを、私は確信を持って言える。
しかしながら、私はあなたに新しい視点の可能性への糸口を与えたのであり、 その視点から、今までの知識を結びつけて解明することができる。
このワーク、あなた自身のこのワークのおかげで、あなたは私の言ったことをさらに深く理解することができる。
あなたがあなた自身に “奥義を授ける"のである。
一年後にも、われわれは同じことを話しているかもしれないが、その間、焼鳥が口の中に舞い込んでくるのを待ち望んではならない。
あなたはワークし、あなたの理解は変わる。
あなたはもっと"奥義を授けられる"のである。
人から奪うことのできない、その人自身の属性となるいかなるものも、ワークしない者に伝授することは不可能である。
そのような伝授は存在し得ないのだが、不幸にして人々は、往々そういう伝授が存在すると考える。
あるのは"自己伝授"だけである。人は、教え導くことはできても、”伝授"することはできない。
この問題についてあなたが神秘学の書物のうちに偶然見つけたものは、他人の言葉を確かめずに伝え、それを解く鍵を失った人々によって書かれたものである。
by G.I.グルジェフ