春の早朝で、西からちぎれ雲がゆっくりと青空を運ばれていた。
雄鶏が鳴きはじめた。
混雑した町中でその鳴き声を耳にするのは奇妙なものである。
早朝から鳴きはじめて、雄鶏は二時間近くも朝の訪れを告げ続けた。
木々はまだ葉を伸ばしていなかったが、うすい繊細な若葉がそこここで、明るい空に向かってその姿を見せていた。
思考が一閃たりとも精神の中をかすめないような深い静謐のうちにいると、どこかの大会堂で鳴らしている深い鐘の音が聞こえてきた。
それはずっと遠方から伝わってきたのであろう。
雄鶏の鳴き声と次の鳴き声の間の短い沈黙の間に、その鐘の音がこちらに伝わってきて頭上を超えていった。
そして人はその音の波に乗って遠くまで運ばれていき、無限の広がりの中に消えていくかのようだった。
雄鶏のあげるときの声と遠くから響いてくる深い鐘の音は、不思議な効果をかもし出していた。
町はまだ騒音を出しはじめてはおらず、澄んだ音を妨げるようなものは何もなかった。
その音は耳で聞かれたのではなく、心に響き入ってきた。
そしてそれは〈鐘〉と〈雌鶏〉を認識にとりこめる思考によって聞きとられたものではない純粋な音であった。
それは沈黙の中から現れ、人の心はそれをとらえ、それとともに永劫から永劫へと運ばれていった。
それは音楽のように組織された音ではなく、ふたつの調べの間の沈黙の音でもなく、話すのをやめたときに聞こえる音でもなかった。
そうした音はいずれも頭や耳で聞かれるものである。
心で音を聞きとるときには、世界はその音で満たされ、目も曇りなくものを見るようになる。
by J.クリシュナムルティ