どうも、喫茶店スイッチが入ったのをきっかけに今も休みの日にたまに行っているのですが。
こないだ行ったお店。
クラシカルなステキインテリアのお店だったんですが…。
入ってしばらくしたら漂ってきたのがコーヒーのかほりではなく…。
たばこの煙の臭い
。
油断しました。
わしはてきめんにたばこの煙がダメなので。
県からのコロナ対策認証のステッカーを入り口にデカデカ貼ってあったけど…。
個人的には、コロナ対策じゃなくてたばこ対策をしてくれ!!
と言いたいですが。こりゃこりゃ。
これから茶店に行く前にチェックせなんですね。
前振りはともかく。
タイトルなことが見つかったため、ここのところのたうち回っていました。
前回?「みんなと同じように仕事できるようになりたい」というところから掘り下げていたら、どういう訳か出てきたとです。
「苦手なことを避けることができる」って。
それでのたうち回っていました。
確かに。というかなんというか。
わしね…これまであちこちで記録しているはずなんですが(って掘り起こす気があまりないけど)、電話対応と往診対応が苦手なんです。耳悪いから。
商売柄聞こえてなくてなんかあってもいかんでしょう。実際それで怒られたこともあるし(で死にそうになってプロにヒーリングのセッションをお願いした)。
今は補聴器調整中ということもあってその手の仕事(日勤のリーダー業務)を少なくしてもらったり、電話代わってもらったりしているのですが。
それだけ苦手でやりたくなくて耳悪くしてたの!?
ってか、苦手だから耳を悪くしたのか?耳が悪いから苦手なんだか?もう何が何だか??
耳は治したいが、確かに苦手なことはやりたくない。しかし業務上ゼロは困難。
これ自体わしの思い込みだとは思うんですが、看護師の仕事ってシフトで動くのもあって誰でもある程度は同じようにできないといけないところがあって。
そして…いつだったか同僚に電話苦手な話をした時の反応。
「え?全然できてるじゃん」
ええ、うちの職場の人優しい人が多いんです。
できるけど、できなくはないんだけど、それでも苦手。
おかげさまで、できるできないと得意不得意、苦手は別ものだということを学習しましたよ。
それはともかく、どうしたもんかと。
まあ、のたうち回っているうちに自分の過度な物好き体質(旺盛すぎる好奇心)やガマンのせいで「これ苦手、やりたくない」という気持ちを無視して生きてきたことを思い出したり(コレが最大に発揮されたのが恐らく看護学生時代。学校辞めたい言っても辞めれなくて泣きながら実習レポート書いてましたし。ああ、だから誰にも聞いてもらえなかったんだね。自分で自分の気持ちを聞いてなかったから。まあおかげで看護師免許は取れたけど。でも今思えばレポートや実習なんかうっちゃらせば良かったのになぁ。別にそれで死にはしないんだし。しかしそうまでしてなんで看護師になりたかったのかねぇ?わし←物好きが勝った多分)。
わしの耳が人様の感情を感知するセンサーであることが判明したり
特にネガティブな感情。
それを感知するのがしんどすぎて聴力を下げた??
耳悪くしてもセンサーの感度落ちてねーどころかバリバリでね?
という訳でなんかしてみたら?
なぜか心臓が作り替えられたり、セフィロトの木みたいなイメージが降ってきたけど…、よくわかりません。
そういや人様の感情に責任を持たずにいることを許可することと感情エネルギーの影響を受けずにいるのは可能といったのをダウンロードはした。
でお題自体は取れたけど…。
後日、耳鼻科の調整の時に補聴器がうるさくて肝心の人の話が聞きにくい(機械なので周りの音すべて拾って増幅するんですよ。スーパーで買い物するときとか結構地獄です)と言ったら、前回調整した音量よりなんか上がっていた(聞こえてた?)らしく。
効いてるといいんだけどね~。