っていや、生きてます。ってフレーズ久しぶりに使うなぁ。
無職なのに記録止まってました。「間違いを許す」というお題が自分の中にあって、職探しをしながらちょっと悶々としちょりまして。
間違わない人間はなんていないし、スピだったり宇宙なりから見れば間違いも正しいもないんだろうから、ただそれを受け入れればいいんだろうけど。まだ被害者でいて怒りたい自分や周りを責めたい自分がいるんでしょうね…。
ところで。上原暢子さんの「いっぺん死んでみる」WSに行ってきました。
いつからだろう?死ぬ勇気なんかないんだけれども死にたい気持ちがありまして。特に何かしでかして罪悪感がこんにちわするとテキメンに死にたくなってどうにもならなくなるし。けれどもシータヒーリングを習ってみたら「自殺はダメ」的契約を持っているのが判明したのもあり(笑)、今回の人生、多分やり直しで来てて寿命まで生きることがある意味使命?なんだろうとそれ自体はいいんですが。
死にたい気持ちがなぜかあれども死ねない人にぴったりでないか?と思いまして。
基本ピンと来たら即行動のわしなれど、職を手放すのをすでに決めていたのもあり、Q州でやってくれないかなーと思ってたら、開催されるとのことでそりゃー行かない理由はないっす。
「死にたい」という自分の願いを叶えてあげられてよかったです。
なんだかんだでわしは自分の願いを叶えてるなーと思いましたね。
仕事も「やめたくなった」からやめたし。仕事自体は好きだったんだけど。
ともかく。
死んでみたら(笑)、静かでした。
おめでた星(仮。中身宇宙人なわしの生まれ故郷の宇宙のどっかの星)からお迎えが来るわけでもなく(笑)。「あ、死んだのか」みたいな。
そして、どうせ死ぬんだからじゃないけど?あれこれ持ちたくない自分がおりましたね。物に執着が多いと思っていたのに。昔汚部屋からあれこれ断捨離したのもあるとは思うけど。
それで、どっかで「死んだら終わり」と思っていない自分がいるのかもしれないなーと。
あれー?死んでリセット?なかったことにしたい自分がおって、それで「死にたい」はずだったんだけど(大昔どっかで記録したような)。
ああ、もしかしたら仕事をやめることでリセットしてるのかもしれないし、生きるために怒られる現実を作っていたのかもなぁなどと謎の考えが出てきたり。
人間生きてりゃそりゃーいつかは死にますが、その時でなくともむしろ「自分死ぬの?」っていう位元気な時でも一回死ぬことに対してちゃんと向き合ってみると面白いと思います。
あ、残った家族に迷惑ならないようPPK(ピンピンコロリ)で死にたい人多いかと思いますが、一概には言えないそうですよ。なぜかはWS行ったら聞けると思います。
いや~久しぶりにセミナーみたいなのに行きましたが、やっぱ楽しかったです。わしプライベートでは自分からしゃべれなかったり、周りに気を配ったりとか一切できない人なんですが(仕事ならできてるのかという疑問はありますがともかく)。相変わらずだなー自分と思いました。
わしそういう人なんですが、それでも楽しいんです。
懇親会も楽しかったです。まさか冷え性をポカポカにしていただくおまけがついてくるとは思わなかった…
職場や家族以外で人様に会う機会を持つって大事だなぁと思いましたよ(友達少ないからなおさらそうなのかもですが)。