2018年春 デンマークの旅(その1)コペンハーゲン

 

 

 

 

コペンハーゲンに学会で行ってまいりました。ずーと晴天に恵まれ日本と比べて暑いくらいでした。写真はニュ-ハウンという所で多くのレストランが軒をつられて路上にテーブルを出しています。昔ここは港町の名残で港に着いた船員がここの居酒屋で一杯やったところでnotoriousというふうに表現してありました。宿泊したホテルの近くで昼ご飯にsea foodを食べに行きました。

 

 

 

 

ご存じ「人魚姫」の像。早朝ホテルからの散歩で約10分、だれもいない人魚の像を楽しんできました。数回像は爆破されたり、損傷されたり数奇な運命をたどります。

 

 

 

 

 

人魚姫の散歩の帰りアマりエンボー宮殿に立ち寄りました。この日もデンマーク国旗が掲げてあり女王陛下が滞在して見える日でした。日本で言えばいわば皇居にあたる場所で一般庶民が普通は立ち寄ることのできない場所、空間だと思われます。日本と比べ王族と国民との距離が近いというか日本ではまだ考えられない事象だと思います。

 

 

 

 

女王陛下が滞在しているので、デンマーク国旗が翻っていました。

 

 

 

 

衛兵交代式です。バッキンガムのそれとは少し違って多少地味かなと思いました。ただ夜中じゅう一睡もしないで警護に当たる近衛兵が一糸乱れず交代する様は大変立派だと思いましたし、ヨーロッパの王国の歴史を感じました。

 

 

 

 

宮殿の一部が博物館になっており公開されていました。

 

 

 

宮殿内の火器ですが、狩猟用のものかなと思いました。

 

 

 

 

デンマークでも有名なクリスチャニアです。おそらく今の若い人達には知らないと思いますが、60年代世界的に学生運動がさかんで(日本も例外ではありませんでした)、当時の若者が夢破れ自分の生き方に忠実にいわゆるヒッピーの生活を送るようになったその場所がここクリスチャニアです。自分のお土産に帽子を買ってきました。

 

 

 

 

 

中の様子ですが日本では非合法な葉っぱを売っていました(写真にはできませんでした)。ここを出るときゲートにはお前たちは今からEUに入ろうとしているんだぞと書いてあり、ここは自分たちのルールを決めて運営している自由区なんだとはっきり主張しているように感じました。

 

 

 

夕暮れのチボリ公園です。世界で初めての遊園地です。かのディズニーもランドを作るときに参考にしたそうです。

 

 

 

 

クジャク劇場でみんなでSHOWを楽しんでいました。

 

 

 

 

国王から娯楽の少ない国民のために娯楽施設を作るよう命じられたゲオ・カーステンセンは理想の遊園地を作ります。遊園地は大盛況でアンデルセンもしばしば訪れ、話の構想を練ったと伝えられております。ゲオの構想した遊園地は誰もが楽しめるもので今の時代当たり前の考えですが、当時のデンマーク王国は階級社会で支配層にはお気に召さなくて最終的にゲオは追放の身になったそうです。なんとも理不尽な話です。

 

 

 

 

チボリの中のモスリム風の建物でドバイを連想させます。

 

 

 

 

 

 

現代的な乗り物の数々。シニアには無理。せっかく家内のためにunlimited rideのチケットを買ったのに何も乗りませんでした。

 

 

ここは有名な繁華街のストロイエにあります、believe it or notという博物館でいろんなものが展示されていました。この通りにはその他ギネス博物館、有名なロイヤルコペンハーゲンの本店もあります。いままでで一番身長の高かった人です。2m74cmだったかな?

 

 

 

 

 

いわゆる像鼻のひとで今昔物語にもそんな話があったなと思いました。

 

 

 

最初理解できませんでしたが、へぇーと感心し本当かなと思いました。

 

 

 

 

 

 

2018年オランダ・ベルギーの旅(その2)アントワープ

 

 

少し前に先輩の先生と食事をしたときにたまたま「フランダースの犬」の話になり、いつか必ずアントワープを訪れたいと思っておりその夢が今回実現いたしました。写真は「フランダースの犬」の主人公、ネロが恋焦がれたルーベンスの「キリスト降架」「キリスト昇架」「聖母被昇天」が飾られているノートルダム大聖堂です。「フランダースの犬」はベルギーではほとんど知られてなく、著者ウィーダーの母国イギリスと日本で大いに読まれており(確認しておりませんが英語圏では多少読まれているのではないかと思います)、我々日本人にとり聖地のようなところだと思います(勝手な見解)。

 

 

 

ヨーロッパの典型的なカソリック教会(ノートルダム大聖堂)の内部です。ルーベンスの絵画を垣間見ることができますが、ルーベンスはヨーロッパの絵画世界に多大なる影響を与えた画家で弟子にヴァンダイクもいます。ルーベンスは親方にイタリアへと派遣されそのことがきっかけになりその才能が花開きます。生涯イタリア語で文章を書くことを好んだといわれております。

 

 

 

 

これは「キリスト昇架」で、「フランダースの犬」に描かれておりますが当時これらの絵画に布がかけられておりお金を払わなければ見ることができなかったそうです(著者ウィーダーは当時のこの習慣を批判的に描いたといわれております)。

 

 

 

 

「聖母被昇天」。ルーベンスの人物画はとても肉感的でモネの人物画を彷彿とさせます(表現としては逆でモネの絵がルーベンスを彷彿とさせる)。

 

 

 

ルーベンス「キリスト昇架」。少年ネロはアントワープの街で主催された絵画コンテストで本来なら当選するはずが・・・。おそらく政治的な理由で落選。ネロの落胆ぶりが想像できます。

 

 

 

 

 

アントワープの市庁舎。伝統を感じさせます。ヨーロッパの人たちが京都を訪れその建築美を感じるように日本人から見てその美しさきらびやかさに驚かされます。ところでアントワープの意味は?アントはハンドで手、ワープは投げるで、カエサルの甥が巨人アンティゴーンの手を切り落としシュケルデ川に投げ込んだことに由来します。市庁舎前の彫刻には手を投げ込むブラボーの姿が表現されています。

 

 

 

 

 

 

 

市庁舎前でアクロバティクなパフォーマンスをする女の子の集団。

 

 

 

 

ホボーケン。今回のハイライト。ネロの住んでいた村でアントワープから車で約10分。ここを調べるまで結構時間がかかりましたが、地球の歩き方にあっさり書かれており、あの苦労は何?と少々がっかり。

 

 

 

 

ホボーケンの村に立つネロとパトラッシュの像。ベルギーでは全くと言っていいほど知られていませんが日本人がおそらく数多く訪れ建立されたのかなと思いました。ここホボーケンからノートルダム大聖堂を望むことはできませんし(現在は)、毎日ここからアントワープの街までミルクを運ぶネロとパトラッシュはさぞ大変だったろうと思います。あらためて「フランダースの犬」を小説として読むと心揺さぶられますし、我が家の上賀茂のイカヅチの000の神はその物語を読み毎夜涙しておりました。今回も自己満足の旅をしましたがこの名作の舞台に立つことができいい思い出ができました。

 

 

 

 

 

 

2018年春オランダ・ベルギーの旅(その1)

ユトレヒト

 

 

 

 

 

ユトレヒトの学会で宿泊したホテル グランドホテル カーレル5世。ここはその昔軍医学校で、そこを改装してホテルにしたところです。ここの卒業生が黎明期の日本に医学を教えに旅だったところだそうです。明治のそうそうたる学校へと教えに行ったようで、熊本、金沢、阪大、東大などへ招かれていったと書いてありました。鎖国時代取引を行っていたのはオランダとポルトガルでそれもうなずけます。

 

 

 

 

中庭からホテル本館を望みます。OLD TOWNや学会場に近くとても快適なホテルでした。

 

 

 

 

ホテル全景の模型でホテル内には昔の医療器具が展示してありました。

 

 

 

 

ユトレヒト大学。ノーベル賞学者を10人以上輩出しているそうです。なぜここを訪れたかというとユトレヒト同盟が締結されたのがここで、いわばオランダ発祥の地であります。当時オランダとベルギーは一つの国で(確認しないで書いているので間違っているかもしれません)、新教徒の多い北部7州が同盟を結び対スペインからの独立戦争がおこります。その発端となったのがユトレヒト同盟でこの地で結ばれました。ベルギーはカソリックの多い地域で当然このユトレヒト同盟には参加しておらず、現在2つの国の存在するその由来がわかりました。(2時間弱で車でスキポールからアントワープまで行けます)。

 

 

 

 

 

 

 

 

ユトレヒト大学で女性で教授になった100人の写真が展示してありました。うちもこれくらいやれよ・・・。今度総長や学部長と懇談する機会があれば言ってみよー。

 

 

 

 

 

この建

物。今回の旅行のハイライト。なんとユトレヒト条約締結時にフランスの使節団が宿泊した建物。今はレストランでなかなかおいしかったです。運河沿い。どこで条約が締結されたのかいろいろ調べましたがわからず。この建物関係するのは確か。

 

 

 

 

 

 

 

 

これがレストラン名。

 

 

 

 

 

レストランの中の様子。リーズナブルな値段でかなりお客でにぎわっていました。

 

 

 

レストランの中の絵。何が書いてあるのかよくわかりませんでした。

 

 

 

 

 

ほろ酔いで歩いた運河。OLD TOWNの中を流れます。町に河があるといいなー。

 

 

 

 

運河沿いのダンスホール。みんな人生を楽しんでいる。

 

 

 

夜のドム塔。ユトレヒトで一番高い建物でユトレヒト大学の横にあります。今回ユトレヒトで学会がありユトレヒト同盟の現場に立てて幸せでした。またユトレヒト条約によってスペインの時代は終わり大英帝国の時代へと変わっていきます。世界史にとって時代が移りゆく、そんな生き証人の街に来ることができ満足することができました。