2018年 春 デンマークの旅(その4) オールボー(バイキング)

 

 

 

 

バイキングの故郷を求めてユトランド半島の北のはずれまで旅を続けました。デンマークを調べるうちに北ヨーロッパを形づけたのはバイキングだと感じましたし、アイスランドを舞台にした「地底旅行」を読んだとき何でデンマークが植民地にしたのだろうと疑問に思っておりましたが、デンマークをはじめとするバイキングが北ヨーロッパを中心に荒波を漕ぎ出していったことが理解できました。バイキングを中心にデンマークもスウェーデンもノルウェーももとは一緒なんだなと理解できました。

 

 

 

 

この石の集合体なんだかわかりますか?これはバイキングのお墓の集合体であります。日本の古代史を調べるときその埋葬形式、方法の分布状況政権の勢力関係が類推されると言いますが、歴史を知るうえで墓を知ることはとても重要です。

 

 

 

 

 

石が船の形をしておりが、まず火葬しそのあとで地中に埋めたそうです。あくまでバイキングでお墓も船を形づけます。バイキングの社会は貴族、市民そして奴隷に分かれていたそうですが、埋葬には装飾品、犬、なかには奴隷奥さんも埋葬されたみたいです。

 

 

 

船の形をしています。

 

 

 

 

バイキングは農耕もしていたようでうまく確認できませんでしたが、畝もあったそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガイドブックには月曜も開館していると書いてあり、喜び勇んでオールボーへと向かいましたがやっぱり閉館でした。北フランスにノルマンディーという土地がありますが、北の人という意味だそうでバイキングの襲撃に弱りはてたフランス国王はバイキングを自分の配下にし(貴族化)ノルマンディーの地に住まわせバイキングの襲撃に備えさせたといわれています。バイキングはイングランド、アイルランド、アイスランド、グリーンランド、北アメリカ(おそらく)、ロシア、カスピ海、そして地中海まで出かけ金品や奴隷を収奪してきたそうです。またまた話変わりますがバイキングの埋葬の儀式は何となくハリーポッターを連想させ(あくまで私見ですが)、イングランドのドイル教などにもバイキングの宗教が絡んでいるんじゃないかなと思いました。のちにバイキングもキリスト化しますが(最初は商売のため)、イングランドに土着化したバイキングの古代宗教が色濃くイングランドの昔の宗教に影響を及ぼしているんじゃないのかなと勝手に思っています。

 

 

 

 

オールボーにありますイタリアン「ラ ロカンダ」。ワインもおいしくオールボー訪づねの際はぜひ訪れてください。

 

 

 

 

オープンエアーでおいしい料理をいただきました。ソムリエも SO GOOD。

 

 

 

 

今回デンマークを訪ねてみて今は小国かもしれませんが、かつては大国でコペンハーゲンなども街並みなどから往時の繁栄ぶりがしのばれました。旅の最終日わたくしはついに還暦を迎え家内と一緒にここオイスター&グリルでSEA FOODを楽しみました。誕生日はそんなに感慨深いとは思ってもみませんでしたが、さすがに還暦は思うところ深くしみじみ人生を大事にしようとあらためて心に誓いました。

 

 

 

 

 

 

2018年 春 デンマークの旅(その3) オーデンセ(アンデルセン)

 

 

 

 

コペンハーゲンを出発しアンデルセンの故郷オーデンセに向かいます。途中巨大なつり橋を通行します。さすがに通行料 を徴取されました。海を渡す橋すごいものです。

 

 

 

 

 

オーデンセにあるアンデルセンが生まれたとされる家です(文献的にこのあたりということで確定はしていないと書かれていました)。

 

 

 

家の中はいくつかのブロックに分かれており一つ一つのブロックに各々の家族が住んでいたそうです。青い丸のところでアンデルセンは生まれたと書かれていました。お父さんはなくなり極貧の中で育ったと書かれていました。

 

 

 

 

 

アンデルセンはとても内向的もしくは空想的な人だったみたいで、こんな切り絵を楽しんでいたとされています(写真は自分で作ったものだそうで外科医みたいに器用です)。

 

 

 

コペンハーゲンの家の寝室に飾られていた屏風。

 

 

 

 

オーデンセの広場でアンデルセンの生家のすぐそばにあります。ここにはかつて劇場が建っておりアンデルセンはそのポスターにずぅーと見入っていたと書かれていました。

 

 

 

 

まともな教育を受けていないアンデルセンですが、ここ救貧院で少しばかりの教育を受けたみたいです。

 

 

 

 

ここはお母さんが洗濯をして生計を立てていた場所です。

 

 

 

 

聖クヌード大聖堂です。アンデルセンの両親が結婚式を挙げたところ、父親が眠るところ、アンデルセンが堅信礼を受けた教会で、その童話にも大きな影響を与えたとされています。

 

 

 

 

オーデンセ城です。お母さんが洗濯の仕事をしにこのお城に行くときアンデルセンもついていき後の国王ともここで遊んだそうです。子供の世界は平等か?身分の違いを超えて遊ぶなどと考えも及びませんが、本当に子どもの世界はすごい。

 

 

 

 

話変わりチボリ公園を見上げるアンデルセンです。オーデンセを後に、俳優になりたくてコペンハーゲンに旅立つことになるのですが(遊び友達の王子から奨学金を出すからオーデンセに残らないかと言われたそうですが)、その才能が花開き、恋もし、ある意味幸せになったことだろうと思いますし、その成功がオーデンセの名誉市民へとつながり世界的な作家になります。

 

 

 

ニューハウンにあるアンデルセンの下宿です。当時この地域は評判の良くない地域でドアから差し込む一条、ニ条の光が唯一の明かりで劣悪な環境の中で俳優を目指すそんな生活を送っていたみたいです。

 

 

 

 

 

オーデンセのアンデルセン博物館にある説明書きですが、人には出会いがあり、経験があり、それがその人の人生を変え運命を変えていくすごいことだなとつくづく実感いたしました。アンデルセンの 影 面白かったです。カフカや阿部公房を彷彿させてくれました。

 

 

 

 

 

2018年春デンマークの旅(その2)クロンボー(ハムレット)

 

 

 

 

 

今回一番楽しみにしていたクロンボーです。本当にずーと楽しみしていました。お城に近づくとワクワクする自分を抑えることができませんでした。

 

 

 

 

入り口にある模型です。まさに要塞。ボーです。

 

 

 

よく晴れた青空にたなびくデンマーク国旗。本当立派なお城でどのあたりに先王の霊が出たのかなと想像しながらお城を探索いたしました。

 

 

 

 

お城から見た対岸はスウェーデンでほんの数キロほどで、実はこのお城海峡を行く船舶から通行税をとるお城だったのです。王家の繁栄国家の繁栄へとつながります。ザルツブルクも塩を運ぶ船からの通行税で繁栄したよなーと思い出しました。  

 

 

 

入り口わきにあるシャークスピアのパネル。シェークスピアは一度も訪れこともなくハムレットを書き上げたといわれています(ベニスの商人しかり、ロミオとジュリエット、オセロみんなそうみたいです)。

 

 

 

 

 

2段目に注目。じつはアムレッス。シェークスピアは王家に由来する名前からHを前にもっていきハムレットとしたと言われています。

 

 

 

 

お城の成り立ち、発展の様子が描かれています。

 

 

 

 

観光客相手にシェークスピア風に俳優が楽しませています。日本でもやれば外人喜ぶだろうと思います(例えば殿様や姫、忍者など)。

 

 

 

 

 

 

 

お城は東の棟と西の棟に分かれており東の棟は王様の居室、西は奥様のそれと別れており二つの棟を結ぶ長い渡り廊下。これは当時の風習だったみたいです。

 

 

 

 

 

いろいろなタペストリーも展示されております。ここの説明書には王は国内にいくつもお城(ボー)を持っており、一年を通していろいろ巡回しており、王が滞在しないときはほとんど誰もいなくなるとされていました(役人は別か)。ここクロンボーにきて改めて思いますが、マクベスと言いハムッレトと言い因果はいつも巡り不正を働くものいつも苦しむのは世の常で、古今東西今も昔も日本でも西洋でも同じだなと思います。