エジプトの旅(その4) アブシンベル

 

 

 

 

ナセル湖湖畔にたたずむアブシンベル大小神殿です。元来アスワンハイダムの建設に伴い水没するところでしたが、ユネスコを中心に遺跡を分割上方へと移設したそうです。アブシンベル神殿は岩窟神殿でラムセツ2世により建造されています。写真は大神殿で入り口には4体のラムセス2世の巨大な像で、左から若いころからのラムセツ2世の姿が彫られています。

 

 

 

 

この入り口から最奥の至聖所に年2回、2月22日(ラムセツ2世の誕生日)と10月22日(ラムセツ2世が王位についた日)日の光が当たるそうです。

 

 

 

 

このレリーフはいたるところで目にしますが、カルトゥーシュの下に描かれているものは、上エジプトと下エジプトを結びつけるナイルの神ハピです。

 

 

 

 

 

大神殿中の様子で、オシリス神の列柱の向こうに至聖所が見られます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真は小神殿の内部で、ラムセス2世の王妃ネフェルタリのために作られた神殿です。ネフェリタリは絶世の美女で王妃のために神殿がつくられたのはこれが初めてだそうです。

 

 

 

 

 

エジプトの旅(その3) エドフとコムオンボ

 

 

 

 

エドフのホルム神殿です。紀元前3世紀にプトレマイオス3世により建造が開始され約200年かけて完成したそうです。第1塔門には見事なレリーフが描かれています。ハヤブサ神ホルスのために作られた神殿で当時の建物がほぼ無傷で残っています。

 

 

 

 

 

レリーフ中央ホルス神。

 

 

 

 

 

 

 

中庭のホルス神像。

 

 

 

円柱のレリーフですが、古代エジプト神話のホルスとセトの対立の物語などが彫られているそうです。

 

 

 

 

 

コム・オンボ神殿。建物は二重構造になっており、建造物の左側は大ホルス、ハヤブサの神にささげられており、右側はハトフル、コンスそして世界創造の神ワニの神セベクの為のものだそうです。珍しい建築様式だそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

ハヤブサの神のレリーフ。

 

 

 

 

これはワニの模型ではなく、布をとったワニのミイラ。神殿近接のワニミイラ博物館です。アスワンハイダムができるまでナイル流域ではいたるところワニが見られ、恐ろしいものは神として祭ろうとしたものだそうです。

 

 

 

 

 

小神殿から見たナイル川。

 

 

 

有名なアスワンハイダム。この建設を唯一援助したのは冷戦時代のソ連で、これによりナイル流域の生態系と生活は一変したそうです。

 

 

 

 

 

 

 

エジプトの旅(その2) ルクソール(王家の谷)

 

 

 

 

 

 

その1でも書きましたが、ナイル川の西岸は死者の国で砂漠の中にわからないように墳墓群が存在しまさに死の国の様相でした。ラムセス二世の奥さん(たぶん二番目)で絶世の美女であったネフェリタリの墳墓です。残念なことに中の撮影は禁止でしたが、実に見事なレリーフを楽しむことができます。

 

 

 

入り口の説明板にあったレリーフ像です。

 

 

 

 

 

発掘当時の様子。

 

 

 

 

王家の谷の全体像を表す模型です。小さな点は数々の王達の墳墓の所在位置です。全体に植物一本はえていない荒涼とした砂漠地帯でまさしく死者の世界です。

 

 

 

王家の谷入り口です。ここが先ほどの模型が示す墳墓の数々です。

 

 

 

 

有名なツタンカーメンの墳墓です。中には布を取り払ったツタンカーメン王のミイラが安置されています(写真撮影は許可されていません)。埋葬品の数々はカイロ博物館にあります。王は左足が悪かったそうで病弱、若干17歳で亡くなります。ツタンカーメンを一躍有名にしたのはその豪華な埋蔵品の数々で、在位の短い王でも貴重な数多くの黄金とともに永遠の眠りについておりもっと力を持っていた王の墳墓はいかばかりのものであったか、当時の王権の巨大さが想像されます。

 

 

 

 

数々の諸神を乗せた黄泉の国へむかう船だったか・・・?

 

 

 

 

王家の谷の裏側にあるハトシェプスト女王の葬祭殿です。当時エジプトでは女王の存在は認められておりませんでしたが、運命と権謀術数で最初の女王となったハトシェプスト女王の葬祭殿です。設計者はセンムトと言われており、おそらく女王と二人三脚で権力を築いたのかなと思われます。

 

 

 

 

約3500年前の建造物できれいな形で観光することができます。

 

 

 

 

 

ハトシェプスト女王の葬祭殿近くにあるメムノンの巨像と呼ばれるものです。元はアメンホプテ3世の葬祭殿の入り口を飾る巨像でしたが、地震で右の石像にひびが入り夜明け方人のうめき声のようなものが聞こえたと言い伝えられています。