前回、江戸小紋と武士の裃の関係について書いたので、そのお話をもう少し。
江戸小紋というと、三役、五役のことを思い浮かべる人も多いと思います。
以前このブログ 大好きな江戸小紋 でもご紹介しましたが、三役は「鮫」「行儀」「角通し」。これに「万筋」「大小あられ」を加えて五役と言われています。
五役の「万筋」。細かいストライプ柄です。これはほんとに着物初心者の頃の着姿なので、突っ込みたいところ満載
私の持っているもう一着の江戸小紋は三役の「行儀」で、前回記事 江戸小紋の発祥は武士の裃 に写真を載せています(そちらの方がこれよりはマシに着付できているので、見てみてください)。
江戸小紋が武士の裃発祥で三役・五役もそこからきているというのは、わりと知られていることかと思います。
でも私は江戸小紋について学ぶうちに、更にいろいろなことを知りました。例えば前回書いたように、各家で決まった柄を独占していたとか、だからそれらを「定め小紋」と言うのだとか…。
そしてその定め小紋の柄の一種が、三役や五役になっている「鮫」や「行儀」というわけなのですが、私は更に、ちょっと興味深い点に気づいてしまったのです。
三役といえば、礼装に着る事ができる江戸小紋の中でも、特に格の高い柄だと言われていますよね。
だから私は、各家が自分の家の柄を決めて独占したというのを知った時に、三役と五役は位の高い家の柄から順番に決まったものだと思っていました。
・・・ところが色々な文献を調べてわかった、一番位の高いはずの徳川将軍家の定め小紋は「御召十」という柄だったのですこれは三役にも五役にも入っていません。
紀州徳川家の定め小紋は「極鮫」(鮫の特に細かい柄)だったので、「鮫」が三役に入っているのは納得できるのですが・・・。
では、この三役と五役というのは、どうやって決まったの?
・・・と思いますよね。
私もすごく気になって色々調べてみたのですが、残念ながらそこを確認することはできませんでした
江戸小紋の三役・五役って、誰が決めたの
誰か知っている人がいたら教えて欲しいです
う~ん、やっぱり江戸小紋って奥が深い