MCTDと診断を受けたあの日から、丸29年が過ぎました。
節目かな?30年目突入です。
フシギなもので…、それとも私がズボラだから?
年々記憶が曖昧になってきました。
診断がついたのって、5月だったっけ?
精密検査は「夏休みにしよう」て、7月だったんですよね。
町のクリニックで言われたあの日は、5月だった?
もはや曖昧で、覚えていません。
ショックだったはずなのに。
それ以降の病気イベントがどんどん上書きされて。
もはや、覚えられていない今です。
私の中で、膠原病の29年には前期、後期(中期?)があって。
その分岐点は、「肺高血圧の合併」です。
mctdと診断されたのが13歳。
肺高血圧と診断されたのは27歳。
大学病院を転院したのは30歳のときでした。
レアだと自分でも思っているのが、私、主治医がこの転院での1回しか代わっていないのです。
前期の主治医と、後期(中期)の今の主治医の2人。
そんな感じで、いつも考えています。
前期の私が病気を抱えて苦しんでいたことは…。
単純に、「病院が怖い」「医師が怖い」「検査が怖い」、そんなところでした。
病気や薬に対する知識も全くなかったし。
何しろコドモでしたし。
1人で乗る電車も1人で入るお店も、何もかも不安でしたよね。
でも。自分で言うのもなんですが。
私、優等生気質のお利口さんだったから(笑)
ちゃんとやりました。
どんな検査も、困らせることなんて一度もなかったはず。
おじさん怖いか?
自分のことだから1人で来なさい。
自分で話を聞きなさい。
わからなかったら、質問していいから。
教えるから。ね?
て。確かそんな感じで、主治医は言いました。
主治医には私より少し年上の娘さんがいたんです。
だから、その年頃の子に慣れてたのかな?
今の時代なら、未成年に決定権はないし、アウトでしょうけど(笑)
当時は通ったんです。
主治医は両親がいても、私の目を見て話す方でした。
それぞれ良し悪しだし、ベストとは言わないけど。
私には、これが合っていたんだと思います。
病気そのものの勢いは、ステロイド5㎎/日を維持量として飲むことで保たれていました。
それでも諸症状はもちろんありましたけどね。
でも、前期の私が苦しんでいたのは、病気そのものと闘うことというよりも。
病気を抱えて、社会でどう生きていくのか、どんな人間になれるのか。
ていうところでした。
行事も部活も、当然受験だって。
すべてが制限された中で。
私は何がしたいのか?何ができるのか?
意志なんて弱くて。
オトナにダメって言われたら簡単に諦めるタイプで。
人の顔色伺って。
どうやったら褒めてもらえる?の尺度で生きてて。
そんなだから、「病人らしく」生きる(=当時の私としては、チャレンジしない)ことがベスト?
とか思っちゃってたり。
そんな私が、どうやって自我を確立させるのかとか。
まだまだ人間が出来上がってないときに難病て条件がついちゃったわけだから。
差別とか偏見とかね。ステレオタイプとか。
そういうの苦しかったですよねー。
ていう感じで。
わざわざかっこつけて書くと、そんなことに苦しんでた気がします。
まぁでも、この頃の主治医って、今思えば変わってて。
いいか?病気だからって日陰の生活なんて送るな?
(もちろん比喩です。物理的には紫外線NGね。)
堂々としてろ。
周りと何も変わらないからな。
て、全面的に肯定してくれてました。
その分、
お前さんソレ、本当に病気のせいか?
本当に病気のせいでできないか?
言い訳にしてねーか?
て、ちょーー厳しかったけどね(笑)
長くなっちゃったから、後期(中期)振り返りはまた今度にします。
たぶん、大したことは書かないけど。
いつも長くてまとまりなくてごめんなさい。
つれづれ思ったことを書いています。
自分がんばってるよね、て思いたいみたいですね(笑)
読んでいただいてありがとうございます。