浜松市美術館に北斎展がやってくる、ということを知ってワクワクしながら待っていたのだけど、いざ始まってみると仕事に追われてなかなか行くことができず、気が付けば今週で終わっちゃうじゃないの!

ということで前回の仕事の時差ぼけを引きずりつつ行ってきた。



入場料を払って、オーディオガイドも借りて見学スタート。


葛飾北斎と言えば富嶽三十六景が有名で、もちろん展示されていたけれど、師匠について描き始めた若い頃の作品もあって、とても興味深かった。

初期の頃の画号は春朗(しゅんろう)。人物画が多い。美人画や歌舞伎役者など。何代目かわからないけど市川團十郎とか松本幸四郎の絵もあった。

私は歌舞伎を観たことがないし、あまり詳しくもないけれど、北斎の時代から人気役者で、現代まで名跡を受け継いでいると思うと、歌舞伎の家の人達はすごいなぁと思う。


北斎の富嶽三十六景は、今、パスポートの中のデザインに使われている。1ページ1ページ絵が違う。すごく素敵だ。私も富嶽三十六景パスポートが欲しいけれど、あいにくまだ有効期限までは数年ある。

以前は、有効期限が来る前にスタンプがいっぱいになってしまって作り直したりしていたけれど、最近は出入国も電子化されていてスタンプが増えないから、なかなかいっぱいにはならない。

私がパスポートを新しくするまで、富嶽三十六景のデザインを変えないでいてくれるといいなぁ。


北斎の東海道五十三次もあった。有名なのは歌川広重だけれど、広重よりも30年くらい前に北斎も東海道五十三次を描いている。

北斎の東海道五十三次は、人物や風俗などにスポットを当てていて、見ていておもしろかった。

東のスタート地点日本橋からすでに富士山が見えていた。昔は高い建物もないし、地上からでも富士山が見えたんだろうか。江戸時代の江ノ島の様子とか大仏の絵とか、今に繋がる風景画があるとなぜかうれしい。


私は、コロナ禍で仕事がなかった時に、浜松から京都まで東海道を歩いて旅したので尚更興味深く、ああ、ここ歩いたなぁと懐かしく感じた。

私の東海道の旅は断続的に歩いて3ヶ月くらいで京都にたどり着いた。たどり着いてもまだコロナ禍が終わらなかったから、そのまま京都で折り返して中山道を歩き始め、関ヶ原まで歩いたところで第何波か忘れたけれどコロナの波が来て、一旦帰宅、ストップしてしまった。

また折を見て中山道の旅を再開し、江戸に到達したら、江戸から浜松まで残りの東海道を歩きたいと思っている。


美術館は2階建てで、1階展示室は写真撮影禁止だったけれど、2階展示室は撮影OKだった。

2階には、北斎の肉筆画や、北斎に影響を受けた絵師達の作品が展示をされていた。


「日の出」北斎

肉筆画になると、北斎の絵の巧妙さがより分かる気がする。

この絵のタイトル「日の出」は、後にクロードモネが自分の作品を「印象 日の出」と呼んで、印象派が生まれるきっかけを作ったタイトルと同じではないか。

モネは浮世絵コレクターだった。北斎の影響ももちろん受けているだろう。

タイトルが同じなのはまったくの偶然だろうけど、運命を感じる。


「馬尽 駒菖蒲」 不染居爲一


不染居爲一…ふせんきょいいつ、と読む。多分、「いいつ」が下の名前にあたる。

北斎は画号を30回以上変えている。ついでに言えば90年に渡る長い人生で90回以上引っ越しをしている。引っ越し魔だったそうだ。

もしも北斎が現代に生きていたら、ハンドルネームやアイコンを頻繁に変えるタイプの人だったんじゃないかなぁ。SNSもいろいろ手を出していそうだ。勝手なイメージだけど。


「七福神見立」北斎宗理


この作品すごく好き。

七福神なんだけど「見立」とあるように、神様っぽくなくて人間に寄せて描かれている感じ。七福神が尾頭付きの鯛を囲んで宴会をしている。みんなニッコニコでハッピーオーラが漂っていて、見ているだけでいいことが舞い込んできそうだ。


北斎自画像

北斎70歳を過ぎた頃の自画像らしい。

当時としては大変な長寿で、90歳まで生き、死の直前まで筆を握っていた。

70歳までの作品は取るに足らないというようなことを言っていたらしい。80歳でまあまあ見られる、とか。


江戸東京博物館で、北斎が暮らした家の模型を見たことがある。汚部屋の住人で、生活力はなさそうだった。

絵の才能と、努力する才能だけを持ち合わせていたのか。


「上州三国越不動峠」魚屋北渓

こちらは北斎の門人、魚屋北渓の作品。

ポップな色合いと雲の表現が好き。現代の漫画やアニメに雰囲気が近い気がする。すごくオシャレな作品だと思う。



こちらの富士山の絵は、北斎だったかお弟子さんだったか忘れてしまったけれど、ちゃんと富士山を見て描いたんだなぁとよく分かる。

宝永山のところに雲がかかっているから。

あの部分は、雲がかかりやすい。宝永山は、宝永の大噴火でできた部分で、北斎の時代にはすでにあった。

静岡県の子供達に富士山を描かせると宝永山を必ず描くから左右対称の富士山にならない、と以前テレビの番組で見たことがある。山梨側からの富士山は宝永山が見えないから、きれいに左右に裾野が広がる富士山になる。静岡県と言っても御殿場あたりから見ると、宝永山は手前になるから、富士山の形はまた変わる。


北斎漫画


北斎が、名古屋の知り合いのところに滞在している間に描いたスケッチだ。

世に出すつもりはなかったようだけど、出版され、ベストセラーとなり、北斎の死後にも重版されたとか。

コミック的面白さがある。

北斎漫画はちゃんと見たことがなく、今回の展示で数展だけを見たけれど、全部見たくなっちゃう。

鼻息で蝋燭の火を消す人の集中した顔つきがツボ笑い泣き
短く折った割り箸を鼻に突っ込んで笑いをとる人なんて、昭和時代にもよく見たぞ。

「大阪天保山の夕立」岳亭春信

こちらも北斎の門人の作品。

絵の構図に北斎の影響がすごく表れている。

船と波、横殴りの雨の様子。

それにしても、天保山を誇張しすぎていて笑える。少し前まで日本一低い山だった天保山は、確か3〜4メートルだったはず。


このあたりまで見てきて、そろそろ時間が気になり出した。

見学し始めて既に1時間半くらい経っているのだけど、時間が足りなかった。

私に残された時間はあと15分くらい。


北斎の浮世絵は、フランスの芸術家達に大きな影響を与えたことはよく知られている。

でも、北斎もヨーロッパの芸術家から影響を受けて、かなり早い段階から西洋の技法を取り入れていろいろ試していた。

遠近法を使うことなどは、若い頃の作品でも試していた。

写真に撮らなかったけれど、日本語を横書きにくしゃくしゃっと書いて、外国のサインみたいに見せかけていたり、額縁の絵まで書き込んで西洋風の作品にしていたり、いろいろと試みていて微笑ましい。


同時代の芸術家が、海を超えてお互いの作品の影響を受けあっていたのは不思議な感覚だ。本人達はお互いの国へ行ったこともなかったのに。


アンリ・リヴィエールという人は、北斎の影響を受け、「エッフェル塔三十六景」という一連の作品を残している。

版画ではなくリトグラフで。西洋風版画みたいなものか。
それが、まあとにかくオシャレ。


当時、パリ万博に向けてエッフェル塔が建設中で、まだ未完成のエッフェル塔が描かれている。


「建設中のエッフェル塔」


「クリシー大通りより」

今のパリと変わらない街並みなのがすごい。


「ポワンドゥジュール波止場から」

奥の方にはノートルダム寺院が見えている。


リヴィエールの作品は、もっとゆっくり見たかったけれど、残念ながら時間切れ。

どこかでチャンスがあったら、ちゃんと鑑賞したい。


それにしても見応えがあった。

都会の美術館と違って人もそんなに多くなくてじっくり鑑賞できるのもいい。

最後に売店で北斎の文庫本を1冊買って美術館を後にした。


私が急いでいた理由はバスに乗るから。これを逃したら次は1時間後だ。

大急ぎでバス停へ。


今日はこの後もお楽しみが待っているのだニヤニヤ