生きる
友達のお祖母さんが、脳梗塞で倒れられた。その際に、施設で生活するうちに、足が壊疽を起こしていることが判った。脳梗塞の治療とともに、両足を切断された。
足の切断のことはお祖母さんは、自分で理解しておられるのだろうか・・。
きっと、痛むやろうね・・そして、悲しいやろうね。人って、悲しいとき、悲しいと言えない時がある。それは、それが当たり前なんだと思いこんでいるときや、誰かをかばわなくてはならないときや、必至でがんばっているとき・・など・・。でも、そんなときって、もっとも、悲しいんじゃないだろうかって思うことがあります。
うちのお姑さんは、生きててもしゃーない、なんてことを時にいいます。そうしたら嫁の私は、じゃあ、早く死んだら。とは、言いませんが思います。実家の母は、だんだんにあまり何も判らなくなって、昔よりも、喜怒哀楽が激しくなりました。怒っているときには手をやきますが、うれしそうなときは、昔見せたことが無いような、幸せな顔をします。
たぶん・・・生きているって、すばらしいことなんだと思う。そして、生きているということは、その人だけのものではないんだなぁって思います。
人の世話にならないで生きるという風土がまだまだ、日本にはある。だけど、世話する人は誰かにさせられているのではなくて、自分で、世話をすることを選んでいるのだ。昔は女が、社会に強要されてきた。今も、そういう傾向はなくなったとは言えない。
私自身は、自分がこれを選んでやっているのであって、自分自身の人生の選択であって、自分自身のためにやっているのであって、悪いなんておもってほしくない。元気に生きていて欲しいから。それは、私のためでもあるのだから。
身体が不自由でも、病気でも、たとえ植物人間でも、私もやっぱり、生きていて欲しいって、思う。
成年後見制度 1
母は父が10時頃仕事に行ってしまったら、夜の20時まで、ずっと一人で暮らす。今は週に2回、ヘルパーさんが4時間ほど、あと、私が週に一回、妹が月に一回のペースで帰ってくる。車で10分のところに弟がいるけれでも、子供が2歳で小さく、弟は早朝から夜まで、仕事仕事。弟の奥さんは子育てで手一杯で、何かできることがあったら言ってな・・というものの・・。あてにはできない。
母は、それまで、仕事 命!といわんばかりに働いてきた。働くのが好きな人だった。ところが、仕事上のトラブルの責任を一人で負わされて、ノイローゼのような状態がしばらく続いた。職場で、電話も取るな!などと言われながらも、今日は銀行の人が来る、今日は会計士さんが来るといっては、職場に通い、最後の数ヶ月はお給料さえもらっていなかった。
少し参ってるのだろう・・そっとしておいてあげよう・・がいつの間にかの発病だった。
母は家に来たセールスマンの商品を何でも契約してしまう。きっと、忙しく暮らしてきた生活とうってかわって、一人で寂しいのだろうと思う。セールスマンにいい顔をしたいようである。
シロアリ、壁の貼り替え、瓦の総点検・・・
父が帰ってきたら、壁がはがされていたり、私が行くと、新聞が5紙もはいてちたり・・そのたびに、契約解除を求めると、相手方と揉めた。
なんだかの特典を先にお渡ししている・・、いままで渡した景品を返せ・・、印鑑をいただいているので、違約金を出せ・・
家族の口から母は、普通じゃないのです・・とは言えない。
そういう契約から、母を守るために私と妹で成年後見人にたつことになった。
ところが、その手続きの煩雑なこと。お金のいること。結局、許可が下りるのに半年、お金は30万必要だった。
こういうことをかれこれ3年やっていて、私は人間不信になりそうになる。
人から理解してもらおうとは思わない。なのに、人から理解されないのは、辛い。
妹からの手紙
妹がいる。仕事で遠くにいる。独身で、母が病気になったときは、妹が自分に一番の責任があるのではないかと彼女は悩んだ。自分のできることを自分にできるペースでやろう・・そういって、仕事を辞める必要もないし、帰ってくる必要もないと、妹に伝えた。ところが、春から私の転職が決まり、今まで通り実家に通えなくなることになった。************************
妹からの手紙
久しぶりの連続休暇です!
今日は仕事になってしまったけど。
お姉ちゃんの前回のメールをもらってから
家のこと考えてた。
ヘルパーさんのこととか、親父のこととか.
今月末も、帰るつもりやったのに、
会社のつまらん行事があって
全然帰られへんようになってしまったり、
なんにも、約束を守られへんねんけど、
それでも、できるだけ、週末は帰るようにしようと思ってます。
毎週末は仕事の都合によって無理になるやろうけど、
帰れるときは、土曜日に帰って日曜日に戻るって
言うスタイルを、やってみようと思ってます。
月に、最低2回。
4月から。3月は難しいですが。
実は、自信が無いけど、プレッシャーにならないように
自分にチャレンジしてみようと思ってます。
出来れば、期待せず、見守って下さい。
ちゃんと、帰って、お母ちゃん接してたら
お母ちゃんの思う、要望やら、抱えているトラブルやらが
見えてくるように思う。
がんばります。
雪子
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私の返事
最初のメール、うってる途中で、送信になってしもた。削除してな。
今日も実家に来ました。
来週からは夜来て夜帰るようになる。
何日ぐらい来ることができて、どれくらいのことができるか、とりあえず、いろいろやってみたうえで、また、対処も考えていこうって思ってます。
今朝は親父はものも言わんと、私と入れ替わりで仕事にいってしもた。時にはえらくいろいろ気をまわしてくれるときもあったら、時には、ぜんぜんわけがわかれへんけど、やけに冷たいときもある。
お母ちゃんの様子にくわけて、親父の事情やヘルパーさんの都合や、病院や、訳の分からんアムウェイやロイヤルなんかの外部の人や、頼りになれへん夫くんやらね・・いろいろ考えたら、余計たいへんになるから、自分のできることを自分のできるペース配分に注意しながら、長いスパンでやっていく・・これしかあれへん。
ということで、雪ちゃんも、無理のないペースによくよく注意して、やって行くべきやって思う。今は、親父とおかあちゃんは夫婦と見なしてもええって思うし、夫婦でできることを援助する・・という立場をとってええんやって思う。
だから、今まで数ヶ月に1回、実家に来てたのに、急に月2回大阪に帰ってくる・・は、大変すぎ・・・やなって思うわ。
なんでもそうやけど、マイペースでやっていることは、そこが0になるねん。たとえば、私が家で毎日、ご飯をつくるのも当たり前、朝お弁当5個も当たり前・・てな具合で、実家に火曜水曜とくるのは当たり前になるわけやねんな。火曜水曜にいけへんかったら、「なんで、こられへんのんか・・」って言わなあかんし、私が来られへんことで、親父やお母ちゃんは、がっかりするわけやねん。いえ、私はすごい無理してたわけとちゃうねんで・・私にはそのペースが、ほんのちょっとだけの無理でやれることやったから、そこを0にしても平気やったから、それはそれでよかってん。仕事が変わったら、また、違うペースを見つけるつもり。
だからね、最低月2回・・を目標にすると、それが0になるから、いけたときは、ようやった・・やけど、月に1回のときは、今月はあかんかったなぁ・・・って思わんなん。そんなことを思ったあかつきには、だんだん、実家に帰ることが、ものすごい重荷になってくるねんよ。
まずは月に1回、雪ちゃんが来る日ができたら、きっと、親父もおかあちゃんの喜ぶやろうって思うわ。でもさ・・月1回でも、雪ちゃんにとっては、案外、たいへんやと思う。月1回目標で、2回、または3回4回って帰れたら、めちゃめちゃようやった・・って感じがして、無理なくやれる気がするな。
私、このごろつくづく思うねんけど、何か目標を持って一生懸命頑張るって、あんまり、ええことちゃうなぁって思うねん。できることっていうのは、別に頑張らんでもできるもんやし、自分に怠けてへん限りは、いい加減に生きてるわけとちゃうしね。結果が先にあるとあかんねん。やっていった先に結果があるほうが、ちゃんとできる・・そう思う。ボーリングで、絶対ストライクを取ろうと思ったら、とられへんように、結果を先求めたら、きっと、でけへんようになってしまう。
月1回、行くときに、これは必ずして、喜んでもらおうとか、自分のために大阪の何やさんの食べ物を買って帰ろうとか・・昔の何ちゃんに電話かけてみようとか・・さ・・なんか、楽しみながら・・とゆーたら語弊があるかもしれへんけど、そうしたらいい。それの結果が月に何回やった・・それで、ええねんで。。所詮、誰かに何かをしてあげる・・なんてもんは、自分自身の傲慢以外の何者でもない気が、このごろ、する。結果がよくても悪くても、それは、通過点にしかすぎへんのやから・・。
自分の病気もかかえてるんやからね・・無理しいな・・ね。
涼子
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病気になった老人を、今までは誰が見てきて、これからは誰が見ていくのか。
自分が年をとったら、誰の世話にもなりません。といいきれるのか。
ひなまつり
体調の悪いときでもショッピングセンターへ来ると途端に母はいきいきしだす。母はやっぱり女なんだ。買い物に来ると、財布を握りしめて、自分一人で歩き回る。100円ショップでは、10個買っても1000円だ。母は、おやつに、お花に、お人形に、靴下・・多種多様なものを買い物する。
先日、母が可愛いとといって持ってきた2つのお人形。
おひな様だった。もうすぐ、4月。売れ残ったおひな様だろう。陶器で、つやつやと本当にかわいらしかった。そういえば、娘が生まれたとき、母に無理を言って買ってもらった7段飾りのおひな様は、去年も今年も出さなかった。日常におわれることもあるし、娘が大きくなると、飾る楽しみがちょっとなくなった。
「そうやった。おひな祭りやったね。これ、家に飾ったらいいね」そういって買ってきたおひな様は、1つ100円二人で200円。
母を守ってくださいという祈りとともに、我が家にやってきた。
母のチューリップ
母が病気になって、3年になろうとする 私が週に2日、帰るようになって1年になる
この3年、母は小さな子供と綺麗な花と甘いお菓子が大好きになった。いろんなしがらみがとっぱらわれて、好きなものを純粋に大切にする。
母が喜ぶので、私は季節ごとに花を植えてる。ところが、母は寒くなればお湯、枯れれば漂白剤、元気に咲き始めたら、抜いてはさしてと場所を移す。それが、母の対話なのだから、枯れれば植えたらいいし、抜いてしまえば家にいけて飾ったと思えばいい・・そう思いながら、やってきた。私が土を替えていると、母もスコップを持つ。私が水をやっていると、母は箒をもってそこらを掃いてくれる。枯れた花を間引いていると、母は綺麗な花を一緒に摘む。
ところが、先日、母が、なんかお花が少なくなったという。年末になっていろんな手続きが滞って、私はしばらくお花どころじゃなかった。といっても、忙しくてたった2日の帰省では、花まで手が回らない私は、どうせ、抜いたりさしたりするんやから、造花でいいんじゃないか・・そう思って、100均一のチューリップをぐさぐさ!と、プランターにさして、「お母ちゃん、綺麗なチューリップが咲いたわ。来て、見てみ」と呼んだ。
母はそれをしげしげ眺めて、
「う~ん、なんか、おもちゃみたいなチューリップが咲いたなぁ」といぶかしがった。
こんなごまかし、あかんなあって、思った。こういう所から心を欠いていくのかも知れへん・・そう思った。
父は「介護って言う言葉にのまれたらあかんのや。これが特別なことと違て、あたりまえなんやって思うんや」そう言う。父は時に話に通じない母とも対等に話をして、今までと変わらず、いろんな事を話しかける。省略したり、簡単に話したりしない。「料理がでけへんかったら、わしが作ったらええんやんや」「風呂は一緒に入ったらええんや」
いろんな今までの生活習慣をいとも簡単に変えて「お前らがなんとゆーても、病院にはいれさせへんからな」と言ってくれる。
娘として、この世に生を与えてくれた感謝の印として、一生懸命やろうって思う。
