母のチューリップ
母が病気になって、3年になろうとする 私が週に2日、帰るようになって1年になる
この3年、母は小さな子供と綺麗な花と甘いお菓子が大好きになった。いろんなしがらみがとっぱらわれて、好きなものを純粋に大切にする。
母が喜ぶので、私は季節ごとに花を植えてる。ところが、母は寒くなればお湯、枯れれば漂白剤、元気に咲き始めたら、抜いてはさしてと場所を移す。それが、母の対話なのだから、枯れれば植えたらいいし、抜いてしまえば家にいけて飾ったと思えばいい・・そう思いながら、やってきた。私が土を替えていると、母もスコップを持つ。私が水をやっていると、母は箒をもってそこらを掃いてくれる。枯れた花を間引いていると、母は綺麗な花を一緒に摘む。
ところが、先日、母が、なんかお花が少なくなったという。年末になっていろんな手続きが滞って、私はしばらくお花どころじゃなかった。といっても、忙しくてたった2日の帰省では、花まで手が回らない私は、どうせ、抜いたりさしたりするんやから、造花でいいんじゃないか・・そう思って、100均一のチューリップをぐさぐさ!と、プランターにさして、「お母ちゃん、綺麗なチューリップが咲いたわ。来て、見てみ」と呼んだ。
母はそれをしげしげ眺めて、
「う~ん、なんか、おもちゃみたいなチューリップが咲いたなぁ」といぶかしがった。
こんなごまかし、あかんなあって、思った。こういう所から心を欠いていくのかも知れへん・・そう思った。
父は「介護って言う言葉にのまれたらあかんのや。これが特別なことと違て、あたりまえなんやって思うんや」そう言う。父は時に話に通じない母とも対等に話をして、今までと変わらず、いろんな事を話しかける。省略したり、簡単に話したりしない。「料理がでけへんかったら、わしが作ったらええんやんや」「風呂は一緒に入ったらええんや」
いろんな今までの生活習慣をいとも簡単に変えて「お前らがなんとゆーても、病院にはいれさせへんからな」と言ってくれる。
娘として、この世に生を与えてくれた感謝の印として、一生懸命やろうって思う。