車
車への乗り方がわからなくなった。
車の前にのる のか後ろに乗るのか。そして、ドアを閉めるのか 、閉めないのか。 現地へついたら、そこで何をするのかわからない 。
前のドアから降りて、後ろのドアから後ろの座 席に乗ってしまう。
私は何度も、
「着いたからお買い物しよう」
「前のドアから乗って、ドアを閉めて」
「降りたらドアを閉めて」
「後ろから降りて、お医者さんに行こう」
「 靴は脱がなくていいよ。 靴ははいて降りよう」
母は前のドアから、おりては後ろへ乗り、靴を脱いだりはいたり、ドアをしめたりあけたり、私の顔をみながら、時には目を泳がせながら、うろうろする。
何度も、何度も、言う。私がやってしまえば早い のかもしれない。言ってやってもらっても、私が 怒ってしまえば、母は機嫌が悪くなったり、悲し んだり、戸惑ったりする。 前から乗って後ろへ乗れば、今度は後ろからおり てもらう。
それでも、前にのれば、今度は前から おりてもらう。そして、また後ろへ乗ってしまえ ば、そこで降りるのをあきらめて違うところへい ってみる。
母は、そこでおりたくないのかもしれないから。 どこか違うところへ行きたいのかもしれないから。母に、母がおかしなことをしていると私が思っていることを悟られたくないから。
デーサービス
デーサービスというものに通い始める。徘徊はないので、父が仕事に出かけても、一人で家で留守番はできるのだが、これではあまりに一人ぼっちだ。
今で2回通った。いままで父がいれていたお風呂をデーサービスで入れてもらえる。これだけでも父の負担がとても軽くなる。そして、母に関心を持ってくれる人が増えるというのもいいことだと思う。
しかし昨日、たった2回行っただけだけど、曜日を変えるほうがよいとケアマネージャーさんからいただいた。母の行っている曜日は混んでいて、職員の手がいっぱいであるのと、割合にしっかりしたひとが来ているため、その人たちでグループに分かれてしまっているということだった。
ケアマネージャーさんが、様子を見にいたとき、母は、たった一人でぽつんといすに座って過ごしていたそうだ。別の曜日のほうが人も少なく、職員の手もあいていれば、声もかけてもらえるし、書道や編み物やゲームなどに参加すれば、友達もできるだろうとの話だ。
介護の現場もこの4月から、また介護保険の点数の見直しがあり、厳しくなる。職員の人の職場の待遇も悪くなる。
昔、弟が幼稚園に行くのを嫌がったのを思い出す。彼は電信柱にしがみついて、幼稚園に行かないといって泣いた。母は仕方がないなぁ・・と困っていた。実は私も幼稚園が嫌いだった。楽しくなかった。楽しくなかったけど、父母が祈るように行ってくれと思っているのを幼稚園の私は知っていたし、長女の面子も合って、泣いたりごねたりせずに通ったけど、本当は嫌いだった。
私は、母が行くのが嫌だと言い出すのではないかと、内心、心配している。子である私が親になり、親であった母は子どもである。きっと、母もデーサービスは楽しくないのだろうと思う。元気な頃は社交的は母であったけれども、実は心からの友達も少ないようにおもう。本来は人となじみにくいタイプなのだと思う。でも、がまんして通っているのであれば、それもかわいそうな話であると思う。
がまんしていれば、そこに馴染むことができるのか、もしくは、がまんしているうちに、あきらめもついて平気になるのか。まだ60代も前半の母が、自分の思うとおりにはなかなか生きていけないのが、本当に残念だと思う。
民間療法
父が言う。「もう、医者の薬は飲ませへんから。特にこのアルツハイマーの薬は猛毒らしいやないか。こんな薬を処方して金儲けしやがって。お前から、医者にいっとけ」
へんな民間療法をはじめた。
一瓶3万円のローヤルゼリー、一瓶10万円の鮭の白子のRNA。それを売りに来るおばちゃんがいうらしい。「医者の薬は毒だ」と。そして、「それが証拠に悪くこそなっても、治りはしていない。悪くなってるのはその薬のせいだ」というらしい。
そら西洋医学が全てだとは言わない。でも、そのローヤルゼリーやRNAの説明にきたそのおばちゃんは、真新しい本にボールペンでざーざー昨晩ひいたような線がいっぱいののページをめくってみせた。
「お医者さんに文句があるなら、自分で行ってよ。私は、この治療がまちがっているとはこれっぽっちも思ってないから」
「毒をもって毒を制するのよ。薬というものは」
すると、「それやったら、お前がおかあちゃんをつれて帰れ」父は言う。
冷たいようだが、私は自分の母だから!といって母を連れて帰り、主人の父母と一緒に3人見る自信などまったくない。自分が家をでて、自分の母を自分でみていくという気持ちも無い。私が母をみるのならば、病院なり施設の力を借りざるをえないと思っている。今、自分の家で、気ままに暮らせるのは、父がいてくれるから。
毎日の面倒をみているのは父だ。父が薬を飲まさなければ、私がいくら反対しても、私自身が力づくでのませることなどできない。
私がそんな3万円のはちみつなんて、10万円の鮭の白子なんて、だまされているのに違いないと思っているのと同じくらい、父は私が西洋医学の金儲けにだまされていると思ってる。
私たちはがんばれば、がんばるほど、思いつめれば思いつめるほど、平行線だ。
二人の母
新しい年がはじまった。おせちもかたづけた。年末年始用に買った食材もほぼ使い切った。年賀状もやっと、全部、返事し終えた。明日から仕事だ。
この冬は特に寒さが厳しいけど、今日は、寒い中にもやわらかな日差しがさした。おかげで洗濯物がよくかわいた。厳しい寒さの中でも、桜の枝にはふくらみがあり、アマリリスは青い葉をのばしはじめ、梅はつぼみをつけた。少ない光をためこんでいく季節は、厳しいからこそ美しいとおもった。
母が病気になって、4度目の冬。母の記憶は比較的近いものからぼろぼろかけ落ちていってしまう。そして落ちたところがぽっかり穴になり、その部分の判断は小学生にも劣るようになる。でも、かけていないところは、しっかり65歳の女性なわけで、だから、小学生扱いをするようなデリカシーのない人には、強い嫌悪感をしめす。
おかげでヘルパーさんは7人も代わった。7人目の人がやっと、母の気持ちに沿ってもらえる人であった。でも、元気なころの母なら、そんな結果を得ることはなかっただろう。なにせ、母は何一つ文句をいわない、じっと耐える人だった。嫌な人のいいところをみて、耐えるはずだ。母の少女時代も、結婚も、子育ても、生活も、仕事も・・すべてそうだった。
今の母はその憂さをはらすかのようにわがままだ。それから、ただ、わがまま・・だけではなくて、余分な荷物を降ろした母の脳はかえって何かの感性がとぎすまされたようにも感じる。
元気だったころは演歌しか聞かなかったのに、最近はめっきり童謡とクラシックだ。そして、そんなに子どもが好きだったのかと驚くぐらい子どもがいると寄っていってしまう。逆に大人には嫌悪感をしめす。その人が純粋に母に接してくれているか、そうでないかはすぐわかるらしい。数少ない母が好意を示す人は、善意の人だ・・と私もこのごろ、思える。
義理の母、姑は記憶ははっきりしているものの、体が動きがだんだんと自由でなくなり、1日の大半をベッドですごすことがおおい。そのせいなのか、なんとなく暗い。そして、猜疑心がつよくなり、誰かが来てくれても それを好意にうけとれない。聞いてるとこちらの気分もめいるので、これは、病気のせいなのだと思うことにしてる。
母も姑も 病人なので、それなりにわがままだ。ただ、姑は表向き外の人に文句をいわないので、自分が気にいらない人がお見舞いにきても、懇切丁寧にお礼をいうし、嫌いなヘルパーさんでも、文句ひとつ言わない。おっと・・これは嫁の邪心のまじった目でみているせいだろうか・・・。
まあ、これは仕方ないと思う。やっぱり私は、自分の母以上に義理の母を愛することはありえない。娘のいない義母は気の毒だ。
記憶がかけていっても、幸せそうな母、体の自由がきかずつらいが頭はハッキリしている姑、どちらの人生がそれぞれにとって、どう不幸でどう幸せなのか・・もう数年・・接していて、よく考える。
これから未来を生きるために発展していく子どもたちとは違い、2人の母たちは人生の終盤を生きている。だから、哀れだとか、かわいそうだとか思わないようにしようと思う。1年の季節の終わりは冬で、輝く光も少ないかもしれない。でも、その光を大切に、心に体にためこんで人生の終幕を美しく、いきいきと、生き抜くためには、どんなことが必要で、どんなことができるのか・・そんなことを、ふと、思う。
鍵
母は、徘徊をしない。外へいつも出かけたがるけれども、自宅で買っている2匹の室内犬がいまでも気になるらしい。
「犬をおいていかれへん」そういう。
前に一度だけ、勝手に犬を伴って散歩に出たことがあった。父は姿がないので大騒ぎになった。車で探し回って、父がみつけ、驚かさないようにそっと後をつけた。母はちゃんと犬をつれて家に帰ってきた。そのご、再々、散歩と称して外へ出るようになったらどうしようとおもったが、それ一回きりだ。
そのときのために、携帯電話の発信機能のあるものやセキュリティ会社の発信機や、いろいろ考えているが、それぞれに母が持ってくれていなければ意味がないので、今のところどれも契約はしていない。
先日、帰るとき、母は私についてきたがって非常に困った。私が帰るときさみしいのだろう。時に、帰るねといっても、はい、わかったと返事しながら、一緒に出て、車に乗り込もうとすることをくりかえすことがる。まるで、赤ちゃんの後追いだ。ちょっと、車に乗せて、一回りすればいいのかもしれないが、夜も23時。私は今から高速をつかってかえっても、0時は絶対にまわってしまう。明日からのこどもたちのことや、家のことも
気にかかる。
冷たい雨がふっていて、夜もおそい。いつもなら、鍵を掛けずにかえるのだけど、今日は、外から鍵をかけた。外から鍵をかけると中からあけられない。一旦、家の中へ入った母が、おかしいなぁ・・と思ってか、がちゃがちゃと中から鍵をさわっている音がした。困っている様子だった。
私はまるで動物をかごの中に閉じ込めたような気持ちになった。
父が私によくいう。「お前は娘やないか!娘やのに、冷たいやないか!」
その非難の言葉を心の憶測が私に聞かせる。
だけど、私にはもう私の家族がある。娘だけれど、冷たいようだけど、自分の子どもたちの生活が優先になってしまう。親に世話になって大きくなったことをわすれたわけじゃない。だけど、かえせるものではないのだ。
雨が降っているから・・・夜がおそいから危険だから・・判断能力が落ちているから・・本人のためだから・・・いろいろ、理由を考えながら、帰った。
本
お医者さんは、本を読むようにとおっしゃる。簡単な童話でいいとおっしゃる。文字を読んで、それを脳で映像に変換して想像するという作業が、とてもいいのだとおっしゃる。
色の綺麗な本、文字の大きな本、または週刊誌またはおいしそうな料理が載っている婦人雑誌。いろいろ買っては母に読んで聞かせてみる。そして、私が思うことを言ってみたりする。でも、母が聞いているのは最初だけで、聞いていても私の言っている意味がわからないようだった。
「おやゆびひめよ。もうすぐねずみのおばさんのところへいくんやね。それからつばめがでてくるね」
「つばめが、いてた?」
「いいえ、いないけど、お話の中にでてくる」
「なーんやそうか」
「みて、このツバメ、かわいい。でも、ちょっと本当のつばめとちがうみたい」
「つばめはどこにいてるん?」
「おかあちゃん、これ、おいしそうやね、神戸で売ってるんやって」
「おやじが買うてくれるん?」
「これは神戸やからすぐには無理やけど、いつか車乗って買いにいこうか」
「車?車すきやねん。おばあちゃんのとこ行こうっていうのにさ」
「このケーキ、買うために車にのって神戸に行こう」
「神戸なんか行けへんよ。ケーキは買う?」
本をめくって、写真をさして、時には絵をかいてみせて、一生懸命、話しかけても、母の頭の中で、文字が絵にかわらない・・。自分で読むのは至難のわざだ・・。昔は読書家の母だった。本を読む楽しみはわすれてしまったのだろうか?それとも本の選び方がわるいのだろうか。
お金
介護保険
私は夫の両親と同居している。実家の母は内縁の夫がいるものの、書面上は一人暮らしということになっている。
介護保険での不思議。
義母の病院の送り迎えの少し前は全部、私がやっていた。主人は仕事だしお義父さんは年だしと思い、当然だと思っていた。そして、義母の悪い場所別にかかりたいお医者さんが違うのに閉口しながらも、私は、今までの人生、努力で解決でけへんかったことは少ない!とがんばっていた。
そう、ほとんど私はちゃんとやっていた。
ただ、あるとき、義父が入院し、子どもが怪我、実家の母の検査と私自身が子どもの学校の役員があたったことで、どうしてもその月、義母の病院へいく日がとれなかったことがあった。そのとき、私は社会福祉協議会でやっていた病院の送り迎えサービス、そして、介護保険でのヘルパーさんの病院へのつきそい、など、いろいろ問い合わせをしたのだった。
母の病院の付き添いは、どうしても同居の義母が優先になってしまい、私がいけないときがある。その時は介護保険が利いて、ヘルパーさんが、病院へ付き添ってくれる。当然、義母も付き添ってもらえると思っていた。
ところが、義母の場合はそうしたサービスは受けられませんとの回答だった。
なぜか。同居家族がいるから。
同居家族がある方は家族でなんとか、日をかえるなりしてやりくりしてください・・ということだった。
緊急性が高い人から優先という建前はわかる。でも、近所の人は棟を別に親夫婦と子夫婦がすんでいて裏表にいるけれど、その人たちには毎週、病院への送り迎えの車がやってきて、嫁である私の友達は姑の病院の送り迎えをしたことがない。私は世帯を一緒にするということだけで、「あなたがいきなさい」ということだ。
当時は、頼る当てが無くて途方にくれたのを思い出す。
「このばばあに、私は何年縛り付けられて、生きていかなあかんのやろう・・・そう、私がこの家をほうって出て行けば、役所が面倒見ますということなんや」
どうして自分の母親より主人の母親を優先しなければならないのだろう。
いろんな理由がある。まずは同居しているのですぐ動けることは大きい。だから、調子が悪い・・といえば、今日でも、明日でも・・と動くことになる。実家の母の付き添いをするためには、こちらの家の用事を済ませ、夕飯の用意をして出なくてはならない。もろもろの段取りをして出るのはなかなか大変な作業だ。
あとは世間体だろうか。義母は「同居している若い人がいるのに私がタクシーでいくとあなたが格好悪い思いをするんや」と私にいう。どこそこの嫁さんは実家へ帰ってるんやて・・という話をよく聞く。その言葉に悪意を感じるのは、私のひがみ根性だろうか。
それでも、何よりは、自分自身が自分を縛っていることが大きい。何に縛られているのか。倫理観か・・体裁か・・意地か・・・
義母なんかほうっておいて、母のそばにいてあげたい・・。
母の伴侶
今の父は私たちにとっては義理の父親だ。私が19のとき、実の父は肝硬変でなくなり、その5年後ぐらいだったか、今の父がしょっちゅう家に来るようになり、そのままとまっていくようになり、最後は一緒に住むようになった。私の実父は小学校の教師で固い人だった。
今の父の背中には刺青がある。
あまりのギャップに、私は最初、母にどういうつもりなん?と問い詰めた。母は、「ああ、間借りさせてると思ってくれたら良いよ。」といった。共同生活者、男の人が家にいると、いろいろ便利なの・・ということらしい・・かった。でも、しばらくもしないうちに寝室が一緒になり、私は十分な大人であったにもかかわらず、嫌だった。
弟が結婚することになったとき、相手の家の人に言われて、二人は別居したこともあった。それでも、また同居するようになり、弟のお嫁さんはうちに来なくなった。私はそれを見かねて、籍をいれて正式に結婚してはどうか?というと、義父は、「わしはそれでもかめへん」といったが、母は、「お父ちゃん(実父)の遺族年金がはいれへんようになったら、生活に困る」といった。そんな問題とちゃうやろ・・と思ったものの、私もそれ以上、立ち入ることができなかった。
結局、母は最期まで義父と正式な結婚はしなかった。
その正式な形をとるということ・・それは、どういうことなのか。もう、大人も老年にさしかかろうという人間は、むしろ結婚などすることのほうが、いろいろ難しいのだろうか。いや、お互い愛し合ったのなら、年齢など関係ないのだろうか。母が義父と籍を入れないというのは、義父のことを愛しているわけではなくて、本当に間借り人の間柄だからなのか、それても、私たち子どもに、または誰かに遠慮があるのだろうか。
いろいろ思ったものの、元気なときに踏み込んだことを聞くことができなかった。そして、今は聞いてもよく理解できなくなった。
ただ、1つよくわかるのは、母は義父にたいしてだけ喜怒哀楽の感情表現がハッキリしているということ。それは、義父に甘えているのではないかと私は感じている。
そして、義父は私たちに言う。「わしが目が黒いうちは、病院なんかに絶対、いれさせへんからな」私は娘でありながら、母が義父のことを愛しているかどうかはわからなかった。でも、義父は母のことを愛してくれているんやな・・と思う。
義父は最初、福祉のサービスも拒否していたけれど、だんだんとヘルパーさんの週1から、受けてくれるようになった。母が在宅でどこまでいけるのか、これから試行錯誤の連続だと思う。そして、母にとって、何が一番幸せなのか、それは心を柔軟に持って、これから考えていくことだともう。
私が週に一度、妹が月に一度、ヘルパーさんが週に3度。空欄は全部、義父が母のことをしてくれる。
よく母は、きむづかしい父が死んだとき、結婚なんてもうころごり・・といった。人は若くて元気な間は、自分は誰の世話にもならない・・という。
だけど、母を見ていて思うのに、誰の世話にもならないとは傲慢な言葉だと思う。いま、母のそばに義父がいてくれて、本当によかったと思う。
母の喜び
母はやっぱり女やねんな・・と思うこと。
最近は病院の検査もまともにでけへんし、時間も待たれへんし、服も一人で着られへん。話が一方通行になってきて、どう受け答えしたら良いのかわかれへんようになってきた。
車で出かけようとすれば、後ろの荷物がいっぱいのところへ座わろうとするし、ドアの開け方もわからない。お店の自動ドアを力づくで閉めようとする。靴のまま病院へはいる。
そうしたことを1つ1つ、ノブはここを持って、そして、ひっぱって・・・靴はここで脱ごう、隣のスリッパをとって、下において・・
といちいち、何度も何度も説明するのがうんざりしてくる。
そんな母が昔と変わらず生き生きすること。それは買い物。特に洋服を見ているときは楽しそう。T-シャツの刺繍を1つ1つ眺めてみる、マネキンの上着のボタンを全部留めて回る、下着のレースを一枚ずつながめる、ワンピースを色分けする、袖という袖をみな括って回る。
そして、その中の一番気に入ったものを1つだけ、買って帰ることにしている。
自分で眺めて自分で気に入って、自分で選んで、買ってかえって、家に持っていく 。その作業に2時間も3時間もかかることがある。わたしは、ただ相槌をうちながら、一緒に眺めて回る。




