夢のはなし
夢をみた。
私は実家に向かっている。車で2時間。母のところへ行くのだが、その前に人に会う約束がある。その人は、紹介された人で初めて会う人なのだが、なにか頼りになる人で私は相談に行くのだ。約束は6時半。その相談が終えてから行く予定だったのに、少し時間があるから先に実家の様子もみようと思い直すのだ。
そうすると実家の前に人だかりができていて、母が玄関からこちらをのぞいている。少しうつろな表情だったが、元気そうではある。部屋の中にはどうも警官もいる様子で、何かただ事ではないことが起きたらしい。
私はとっさに、一旦、車のところへ戻ろうと家とは逆の方向へ向かって歩く。頭の中ではいろいろな考えが浮かんだり消えたりする。でも、とにかくその頼りになる人のところへ私は行きたいのだ。今日起きたらしいゴタゴタのせいで、またいろんな予定が狂ってしまう。途中、いろんな人とすれ違うので話し声に耳をそばだてながらあるいた。とりあえず、約束の場所へ電話を入れようと思い、財布をさぐると電話番号をかいてもらってメモをなくしてしまっていた。
かばんを探って、ごそごそしていると、近所の人であろう着飾った身なりの髪の長い叔母さんが、「ああ、娘さん。本当に良かった。お母さんね、変質者が家にはいってきて、裸にさせられていたのよ。よかったわよかったわ。娘さんがいて」そう言って、あちらでごちゃごちゃしている警官のところへいった。
警官につかまると、また何時間も時間をとられるだろう。現場検証や話をきかれて、手続きがあって・・そして、署にも来る様に言われるのかもしれない。私は約束の人と連絡をとりたいと思い、今度はその人を紹介してくれた人の電話番号を手帳をだしてさがしはじめた。
そして、そこで目が覚めた。起きてしばらく、私はまだなお、紹介してくれた人の名前を思い出そうと考えた。
以前、母がまったく知らない酔っ払いを家にあげたことがあった。ここからは実際の話だ。その酔っ払いは自分は友達だ(夫)といって来たらしい。当時、母はかなりいろんな事の記憶が怪しかったが、それでも、その人を父の知り合いだと判断して家にいれたのだと思う。父が帰って、まったく知らない他人だとわかって、警察が来ててんやわんやになったらしい。その現場を私は知らない。父は仕事から疲れて帰ってきて、見ず知らずの酔っ払った男が、居間にどかっと座っていて、お前の友達だというのだから驚いただろうと思う。
だから言ったことじゃない、母を家に一人で置いておいてはいけないのだと、私は父を非難したと思う。
その後だ、いろんなセールスマンがやってきては、勝手に契約して帰って、その解約に右往左往したのは。突然、業者が来て換気扇をつけてゆき、毎月の支払いを求められたり、実家へきてみたらどんどん壁を張り替えていたり、誰かがやねののぼっていたり、新聞がどんどんふえて5紙もはいったり。。
夢の中で、母の身の上に大変なことが起きていた。しかし、夢の中の私は私の用の次に母のことがあるのだ。実際、実生活でもそうかもしれないのだと思った。そして、たいした役割を果たしているわけでもないのに、荷が重たく感じているのだ。なんと冷たいのだろう。
母の喜びたのしみ
父はとても気難しい人だった。母が外へ出ることを嫌がった。働くのはもっぱら内職だとか、家でお店をするとかに限られた。町内会の会議でも遅くなったら、父は怒鳴り込んで行った。
でも、母は外へ出かけるのが好きだ。
父が亡くなったとき、実は私はほっとした。そして、きっと母もほっとしたと思う。浪人中の私と高校生の弟と妹と生活を支えるために母は外へ働きに出たのだか、悲壮感というよりは、母も開放感に浸っていたような感じがした。
数年で、私たちが自立し、母は綺麗なスーツをきて仕事に行くようになり、それから宝石なども買うようになった。母が宝石が好きだったとは知らなかった。私があまり宝石に興味がないように、母も興味がないのだと思っていた。
今でも、自分が大切にしているダイヤとエメラルドを肌身離さず身に着けている。少し様子のおかしい母が、そんな高価なものをつけていると誰か悪い人に狙われないかという心配もあるのだが、だんだんと少なくなっていく母の楽しみ喜びの1つだと思い、そのままにしている。
「これは、すごい綺麗ねん」そういってうっとりと眺めているときの母は女だ。
エメラルドの深い碧と、ダイヤの光を集めて輝く鮮やかな光は、母にいろんな夢をみせているようだ。
生きるということ
「クレジットカード、これ、解約しようとおもうんやけど、どうかな?」そう母に尋ねる。母は私が言ってることがわからない。
「このカードでいろんな買い物をしたよね。便利やったよね」というと、「そうや、これは便利や」と応えた。
「だけど、最近はこうやっておとうさんにちゃんとお金をポケットに入れてもらってるから、カードなくてもいいのとちゃうかな。」「そうや、いつも、ここにお金いれてあるねん。これで、ジュース買いに行ったらええわな」
「このカードね、使えへんでも、会費がかかってくるから、解約しようと思うんやけど、いいかな」
母に言っても判らない。でも、わからない時ばかりではなくて、判るときも時々ある。母に関することはなんでも、勝手にしないようにしようとおもう。判っているときにちゃんと説明して、物事を決めたとしても、忘れてしまうことが多い。でも、それでもいいとおもう。
でかけようと母を誘った。車にのろうとすると、母も運転席側へ一緒にくる。
「おかあちゃんは、あちらがわの前に乗って」
そういうと母は車の周りをぐるぐるまわる。そして、運転席の窓をのぞきこむので、「今からスーパーへ行こうかな。おかあちゃん、車に乗ってくれる?」「ああ、車な・・あっちの前」そういって、また、ぐるぐるまわる。
しばらくして、やっとドアを開けるけど車の前方からドアをもって開けるから、自分が壁に挟まれて入れない。今度はドアをあけたり閉めたりする。
私が後ろへさがって・・といって、ドアをあけるとやっと乗り込むけど、今度はドアを閉められない。ドアの開閉のレバーをもって、ドアをしめるから半ドアになってしまう。
「ドアの持ち手に母の手をもっていって、これで、バーンと閉めてくれるかな?」と、私も自分の運転席側のドアを閉めてみせる。すると、何度か失敗のうちにドアを閉めることができる。
そうか・・父の車のドアはスライド式のドアだから、わかれへんのんかもしれへんなぁ・・
自分が母の手を引いて乗せてしまえば早い話しだと思いながらも、1つ1つ、母が自分で行動できるように、気長に言葉をかけていく。
母の会話は最近独り言のようになってきて、私に何を言わんとするのかわからないことが増えた。ましてや、私の言ってることも判らないことが増えた。
でも、根気良く何度も問いかけていくと、母はやることがわかり、私の言葉にちゃんとした返事を返してくる。会話が往復している。
母が自分で選んだり、自分で考えたり、自分で決めたりすることを、できるだけ注意を払って大事にしたいとおもう。そのためには自分が時間や事柄にせかされないことだと思う。母は、言われていることを理解できないことはたくさんあるけれども、それでも、母を無視してこちらで勝手に物事をすすめてしまうと、自分が阻害されたことはよくわかるし、母にちゃんと相談して物事をきめていると、自分がちゃんと大切にされているということもよくわかるのだ。
母が意味を理解してくれなくて、何も覚えていなくて、すぐ忘れてしまうとしても、なんでも母に聞いて、母と相談して、母と一緒に決めることは、とても大切なことだともう。自分で選んで、自分で決めて、生きる。これは、生きていくうえでとっても大事なことだとおもう。
お荷物
暑い・・本当に暑い。この季節、傷はじくじくなおらず、汗はしたたり、光熱費ははねあがる。光熱費は誰かが払ってくれるだろうと、家族は誰一人心配をしていない。部屋をはなれるときはクーラーを切るようにという私が、けちでうるさいやつのように言われる。
母が歯が磨けなくなった。無理やり磨くと、こんどはうがいの水を飲んでしまうようになった。もう、頑張るのはやめよう・・・仕方がないので、ここしばらくは、歯磨きガムを何度か噛んでもらうことにしてきた。
でも・・ケアマネージャーさんから「歯医者さんへつれていかなければならない」と電話があった。
病院で、尿検査でさえあばれていやがり、CTもレントゲンもおそろしがる母が、歯医者さんで治療できるとは思えない。口をあけていられるとはおもえない。そして、今通っているお医者さんだけでも、週一度なら精一杯なのに、これにまた医者通いがふえるとなれば、どうすればいいのだろう。
このままだと、歯周病が進んで歯が抜けてしまうらしい。
自動ドアは閉めなくてもいいとなんどいっても、力ずくで閉める母。
お店の食べ物の袋をかたっぱしから開けてしまう母。
排泄をパンツにどんどんしてしまう母。
気に入らなければ物をなげて怒る母。
私にも親がいる。夫にも親がいる。親ばっかり4人もいる。親はみんな孝行をして当然だとおもっている。
親が重荷だ。
老いてなお・・・
今から考えれば、私の母が病気になったのが60だ。母には母の未来予想図があったはずで、おそらくその予想図とはかけはなれた60代を送っているに違いない。優等生だった母にとっては、今がいちばんわがままに生きているといえる。いちばんわがままにしているとしても、自由かといえば、自由ではない。自由ではないけれども、不幸とはいえない。でも、母の描いていた幸せではない。
仕事ばかりしてきた人間にとって、仕事を取り上げられてしまえば、仕事も収入も人間関係もなくなってしまった。仕事のせいで病気になったといえるのだ。なのに病気のせいで仕事をやめさせられてしまったのだ。
こんなこと予想だにしなかったはずだ。
60代は、老後なのだろうか。お金もない、地位もない、人脈もなければ、健康までない。排泄だって自分でコントロールできないものに、どうやって、自分らしい人生を選択できるというのだろう。何が選択肢としてあるのだろう。
仕事も退職して、子どもも巣立てば、あとは余生なのだろうか。
桐野夏生の「魂萌え」という小説を読んだ。
「夫婦2人で建てた家もある。貯金もある。年金ももらえる。贅沢さえしなければ、夫と2人で平穏な老後を送れる・・・・・」そうだろ
うか?でも、主人公の敏子はそう思っていた。
ところが、夫は急死した。その夫には10年来の愛人がいることがわかった。夫の死により精神のバランスをくずしてしまうほど愛している女が夫の世界にいた。セックスもめんどうくさい夫に対して、嫉妬や憤りをかんじて、愛人とやりあう。夫にとって私はなんだったのか?子どもは遺産をわけろという。自分には年金しか生活力がない。子どもは自分の人生を生きるのに精一杯だ。そんな自分に男性が言い寄って来る。一晩を共にする。
「彰之が咳いた。その口調に敏子への反発が感じられた。不思議だ、と敏子はおもった。自分が産んで育て愛おしく堪えられない存在だった子どもたちの心がいつしか自分に寄り添わなくなったと感じられて久しい。家事育児に専念してきた自分の時間とは何だったのだろう。良い母親だったはずの自分が、成長した子どもたちに顧みられなくなっていく。夫も、貞淑な妻の自分を裏切っていた。これからは母でもない妻でもない時間を一人でたっぷりと生きていかなくてはならないのだ。」「これから先は喪失との戦いなのだ。友人、知人、体力、知力、金、尊厳。数えだしたらキリがないほど、自分はいろんなものを失うことだろう。老いて得るものがあるとしたら、それは何なのか、知りたいものだ」(本文より)
友達が施設に勤めている。あるおじいさんとおばあさんが、夜になると二人抜け出して、愛し合うのだそうだ。施設内の風紀は乱れるし、老いて、まだ性に興味があるなんて、気持ち悪いし・・といっていた。
幸せとはなんなんだろうか・・私自身は自分の人生の幸せというものをどう描いているのだろう、と、本を読んだあと考え込んでしまった。自分の幸せというけど、それは自分で選びとることのできるものだろうか。
生きることはその字のごとく生々しいと思う。
クレジットカード
母がクレジットカードを使わなくなってかれこれ5年。この5年の間会費だけを払い続けている。
成年後見人、介護保険、年金、どこにいったかわからない通帳や書類の数々、その再発行や認定の手続きに翻弄され続けてここ3年は来た。そもそも銀行などに使っていた印鑑そのものがないのだから、スタート地点に着くのも大変だった。
そして、やっと、いろんな手続きが落ち着いたのに、このクレジットカードの解約だけがまだできていない。年1500円ほどの会費だからということや、年に一度、それも会費を落としましたの事後報告しか連絡がないものだから後回しになってきたせいもある。
それから、カード会社からくる郵便物を母がぜんぶ一人でいる間にどこかへやってしまうということもある。
他の手続きはちゃんと裁判所に認定された後見人である私や妹の元へ転送してくれるのに、カード会社だけは、そういうお取り扱いはうちではおこなってませんので、取引先銀行へ行ってくださいという。
なんてこった・・って思う。
入るときは道端で、銀行で、出張ってきてサイン1つで、後は後ほどのお送り書類を返送していただければ結構です。印鑑は今なくても結構です。仮カードでもう、今日からお買い物はできます。とかなんとかいっておいて、解約については、できません、わかりません、あっちへいってください、こっちで聞いてくださいだ。
JCBもVISAも、どこもかしこも、信頼できない儲け主義の会社だ。
さきちゃんへ
愛する人を、もう、あかんやろ・・って見限ることは無いはずやねん。
あきらめる
ゆりが咲いたので飾った。昔はまっすぐ太陽に向かって咲くような華やかな花が好きだったけど、年を取ったのかしょっとしょげたみたいに咲くこの淡い色のゆりは、なんとも美しいと思うようになった。この梅雨時分にさくのもいい。
母の介護度が4にあがった。4以上になると、家族と専門家と話し合いをもたないとケアプランがかけないそうだ。
ケアマネージャーさん、お医者さん、デイサービスセンターのワーカーの人、ヘルパーさん、父、私。ありがたいことに、週3日のデイサービス、週3日のヘルパーさんが介護保険で手当てされる。他に私が週に1度、父は仕事へいくまでと帰ってから、父が信頼する整体、宅配のお弁当。
昔といっても2004年より前は、女性が一人で背負っていたのですから、心強いばかりだ。
先日テレビで若年性アルツハイマーになった町長さんを追いかけ取材していた。
本人も家族もたいへんだ・・。最後は施設を考えておられて、家族も本人も誰かの犠牲を強いることなく、みんなのかかわれる範囲を大切にしながらの人生の終末を考えておられるとの事だった。
それでいい・・って私も思う。それがいい・・って私も思う。
だけど、実家の父は違っている。私が父が休む日も必要だからショートステイも考えようというと、それは無理だといい、いまは整体にかけてみるという。
ミーティングがおわって、ケアマネージャーさんが、「お父さんは、今でも治るとおもっておられるんですね・・」とおっしゃった。
ああ、ケアマネージャーさんはもう治ることがないって思っておられるんだ・・そして、私も治らないと思ってる。
父に比べたら、私も私の兄弟も他の専門家も、そして、テレビに出ていた町長さんの家族たちも、みんな、あきらめてる。
わからないことは何?
「紙パンツ、このごろ一日3枚くらい使う。一パックやったらたらんわ・・」父から電話。
母が失禁したのはお正月だった。寒いせいかも知れない。たくさんたべたせいかもしれない。ズボンのせいかも知れないといって、スカートを買い揃えたり、部屋を暖かくしたり、食べるものに注意した。
大きな紙にマジックで「トイレ」と書いて貼った。薬があかんといっては、民間療法のおばさんがきて、高い蜂蜜を買った。そして、一緒に住んでいる父の手間を思って、紙パンツを私が買ってきたら、父が「こんなもん、はかせて、おしっこ失敗して気持ち悪いって思えへんようになったらどないすんねん」といって、不快な顔をした。
それでも、外出のとき、お洗濯ができてなかったとき・・とだんだん増え、最近のように一日に何度も失敗するようになって、紙パンツばかりになった。週に一度 帰るたびに1パック買っていたけど、父が1パックでは一週間持たないと電話をしてきたのだった。
一時ましになり、ときに何度も失敗して、最近は一日に何度も失敗をして、このごろ、便も失敗する。
失敗して、恥ずかしいということだけわかるから、母は言わない。だけど、匂いやしぐさでわかる。失敗して恥ずかしいということがわかるのに、尿意があればトイレへ行かなければならないということが、わからないのか・・それとも、トイレの場所がわからないのか。
先日の診察で、母は自分の名前がわからなかった。私はドキッとした。母はどこまで、今現在を認識できるのか、私自身も不安になる。
自分の名前がわからなかったのか、それとも聞かれた質問の意味が理解できないのか、それとも、ただお医者さんの雰囲気に緊張しただけなのか・・。
3年。
お薬は、効いているのか。効いているからこの程度なのか、効いていないからこうなっているのか。
比べるものがなくて確かめようもなく、ただただ、処方されるままの薬をもらって、高い検査を受けて、母に対処両方するしかなくて・・・。
愛のかたち
昨日は実家へ行った。
母は職場で経理担当者としておかしな裁判に巻き込まれ、おおかた3年争った。職場の上司も職場も会計事務所も、一介の事務員であった母に責任の全てを押し付けてきた。やめるまえの半年ほどは給料をもらえなかった。給料がでていないのに、今日は銀行の人が来るから、今日は何の手配の日だからといって、出かけた。「そんなこと、どうなってもいいやん」 私が怒っても、「困るのは現場で働いている人やから」といって、出かけていった。
ある日、いくと柔軟剤のボトルが30本ほども空になっていた。ある日は、警備会社から電話が入って自宅に煙が充満しているという。母が鮭をコンロで焼いたまま食事に出かけたせいだった。「でかけるとき、鮭、焼いてるけどなぁ・・って思ってん」母は平気な顔をして私にいい、5台もきた消防車の隊員の方に、「ごくろうさまでした」と笑って見せた。お正月に帰ると、私の長男と長女には1万円お年玉をくれ、次男には1000円だった。買い物に行ったとき、持っておいてといって、私に30万 わたそうとする。おかしいと思い、見てみると、かばんにもポケットにも財布にもあちらこちらにお札を入れてある。
精神的にまいっているのだと思い、随分と配慮して心療内科へ行こうと言ってみると、いとも簡単についてきた。 すると、母はアルツハイマーを発病していた。 驚いた。
記憶が無くなる。近い記憶から無くなる。子どものころのことは覚えているけど、さっき食べたものは忘れる。しばらくすると、昨日のことも忘れるようになる。
母には内縁の夫がいる。私にとっては義理の父だ。 弟の結婚を気に、正式に結婚してはどうか・・と私が提案すると、母は、遺族年金がもらえなくなると困るから、という理由で、籍はいれなかった。
大人の付き合いなので籍にこだわる必要は無いと思うものの、その理由は少しひどい。 私には言えないほかの事情があるのだろうとおもい、それ以上、触れることはできなかった。
その内縁の夫、私の今の義理の父が母をみてくれる。
「おまえらが、なんてゆーても、俺の目の黒いうちは、病院なんかにいれへんからな」 母を愛してくれる。 愛の形はいろいろだ。母の愛は臆病だった。義父の愛は強い。
母の愛。記憶が消えてしまえば、愛した人も愛したこともなくなってしまうのだろうか。








