「とはずがたり」 ~散歩ブログ~ -65ページ目

ミツバチのように

 残暑、猛暑が続く中、一生懸命働く“ミツバチ”の姿を見ました。満開の時期は見逃してしまいましたが、不忍池の蓮の花を見てきました。

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 身体をくの字に曲げて花粉を集めているミツバチを見つけました。大きな蓮の葉で作られた日陰の下で、少しは暑さを避けているのかな。ピンク色の花びらの中央にある鮮やかな黄色の花托が、まるで蜂の巣のように見えることから「はちす→はす」と言葉が転じたそうです。
 湯島の支援先では、しばらく会議室での面談や打ち合わせが続いていたのですが、いよいよ執務室内に入りました。きれいな机と真新しい椅子が用意されていて、その気遣いに思わず涙をこぼしそうになりました。レイアウト変更をしてスペースを確保し、机を運び入れ、椅子を購入し、それらが私を受け入れてくれるためにしてくれたことなのかと思うと、嬉しい、本当に嬉しいです。
 この日の後半は別の支援先でスタートラインの仲間と合流し、その夜、人形町で“三船敏郎”http://r.gnavi.co.jp/g953111/ を感じながら食事をしました。湯島でのことを伝え、スタートラインの第6期を終えた今、自分たちができることを確認し合いました。それは私たちを受け入れてくれている方々のために、ただただ懸命に支援を続けていくこと。そして2012年の“躍進の時”を見据えてしっかりと“花粉集め”をしていこうと誓いました。

陰の力

ブレイクタイム ~散歩しないで休憩~

 阪神との3連戦を全て勝ったのは大きかった。巨人が首位阪神と3ゲームをつけられて始まった直接対決3連戦は、巨人の3勝で終わり、ゲーム差を0とした。読売ジャイアンツには“永久欠番”と言われる背番号がある。1/王貞治、3/長嶋茂雄、4/黒沢俊夫、14/沢村栄治、16/川上哲治、34/金田正一の6つ。

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 永久欠番4の黒沢俊夫さんは、戦時中の選手で、終戦後の巨人軍再建に力を尽くした選手だったと言う。戦死した選手もいる。生き残っても「野球なんかやってる場合じゃない」とチームを離れた選手もいる。そんな中で黒沢さんは巨人を愛し、敗戦に沈んでいた日本の復活に“野球”をすることで尽くした。戦後33歳で病死するまで現役で活躍したことへの感謝の意として選手たちから“永久欠番”を要望された。
 王、長嶋、沢村、川上、金田と大記録を残し、大いにファンを喜ばせた選手が並ぶ中で、決して有名選手とは言えず、選手生活も短く、ファンの印象に残ってはいない黒沢さんが、永久欠番として今も巨人の歴史を支えていることに感銘を受けた。

【今週の龍馬伝 34 / 48回】

 亀山社中の番頭役“近藤長次郎”が自害した。それは彼なりの“侍の証”を残すことだった。戦いからは何も生まれない。生きていなければ意味がない。そう龍馬は亡き母から教えられ、日本の洗濯を始めた。その志を共にした男、それが長次郎だった。元商人であった長次郎が薩摩と長州を結ばせるために交渉した功績は、龍馬を救い、龍馬を助けた。また一人、龍馬の仲間が自ら命を絶った。

本棚を眺めて手を伸ばしてみる

 ブレイクタイム ~散歩しないで休憩~

 少し暑さが和らいだと思える日、本棚に手を伸ばす。印象に残る本は、その文章力と表現力。それと参考文献がやたら多いか、作家の背景にある豊富な知識と経験が多いか。本棚に並ぶ印象に残った作家たち。

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 ◆百田 尚樹は“永遠の0”でゼロ戦飛行士の友情と悲哀を書いた。生き残った戦友から祖父の話を聞く孫。戦中に祖母を愛し、戦後にその愛は形を変えて祖母を守る。
 ◆薬丸 岳は“天使のナイフ”で妻を殺され、娘と心の傷を埋めながら生きる男を書いた。少年法に葛藤し、娘との新しい人生に向かう。妻を殺されたのは、作家なの?
 ◆高野 和明は“13階段”で誤認逮捕されて死刑執行を受けた男を救おうとする元刑務官の姿を書いた。作家は獄中にいたことがあるのか?
 ◆広川 純は“一応の推定”で事故死か自殺かを調べる保険調査員の姿を書いた。保険調査会社に勤めていた経験が作家の筆欲を開花させた。
 ◆赤井 三尋は“翳りゆく夏”で自分の妻が犯した新生児誘拐事件を自ら調査する担当刑事の姿を書いた。悲しいどんでん返し。
 5人の作家は共通している。文章の組み立ての上手さとリアルさにのめり込む。

吸い込まれる・・・

 20年ぶりにピザを食べました。http://www.rkfs.co.jp/shakeys.html “シェーキーズ”のピザを! 20代のボクは、たくさん食べたかったので、食べ放題やバイキングが好きでした。働くようになってからはすっかり行くこともなくなり、町を歩いていても目に入らなくなりました。訪問先へ行く前にお昼を取ろうとお店を探していると、あの変わらぬままのロゴマーク見つけて懐かしんでいると、体がお店の中に吸い込まれていきました。

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 クローラーエンジンを開発するエンジニア集団があります。ここにたった一人の営業マンがいます。一人で苦しんでいる姿を見ていられなくなり、彼を外に連れ出すことにしました。と言っても営業支援はスタートラインの本業ではありません。お慕いする二人のプロ営業マンのもとに彼を連れていきました。
 高田馬場のY部長からは早速サービス活用法のヒントを頂きました。日比谷に移動してO部長に合いました。大学講師もされているO部長のその話しぶりに惹き込まれている一人営業マンの彼を見ていました。
 会って何秒で相手を理解するか、何秒で相手に理解させるか、それが勝負だと言います。結論が先。おおよそのイメージを理解させ、不十分な部分を穴埋めしていくトーク。その一つ一つに惹きつけられ吸い込まれていく彼を見ていて、この日の成果を感じました。

スタートラインの“志”

ブレイクタイム ~散歩しないで休憩~

 65年前の8月15日、日本は終戦を迎えました。辛く悲しくショッキングな一日だったと想像します。それでも日本は次への一歩を踏み出します。翌日の8月16日、もう後ろを振り向いても仕方のない日本は、新たなスタートラインに立ちました。6年前の今日、8月16日に私は“株式会社スタートライン”を作りました。

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 最初の2年間は一人で活動していました。3期目から一緒に参画してくれた仲間がいます。ある時、仲間と一緒に誓ったことがあります。それは100年続く会社にしようということ。「志」は“士の心”と書きます。幕末の志士は、仲間と共に思う心を持っていました。「私心があっては志とは言わんき」by坂本 龍馬
 スタートラインを立ち上げてからのこの6年間は、決して良い状況とは言えませんでした。立ち上げた最初の年、2004年の新規上場社数は175社。一人でやみ雲に動いていた2005年が158社、仲間が参画してくれた2006年が188社、翌2007年には121社に減り、J-SOX導入で審査が厳しくなった2008年は49社、昨年2009年は19社まで激減しました。2010年も20~25社程度と言われています。上場ベンチャーの不祥事が続き、新興市場のイメージは悪くなるばかり。IPOに関わる人そのものに不信感が募るような状況にも・・・。
 今、“地方主権”の重要性が注目されています。1500年代、日本の中には小さな国がたくさんありました。それぞれの国は力を持ったリーダーが治めていました。ただ一つ間違ってしまったのは、そのリーダーたちが協力して志を持つのではなく戦ってしまったことです。“自由と責任”をもって生きる、そんな新しいリーダーを生み出す地方主権の時代に向けて、スタートラインは一人でも多くのリーダーを支えていきたいと考えています。

【今週の龍馬伝 33 / 48回】

 薩摩名義で長州が軍艦や大砲、銃を買う、その商談が成立した。龍馬が目指す“日本の洗濯”がまた一歩進んだ。「私が逃げ出したかとは、こん国です・・・」芸妓のお元が言った言葉に龍馬の志は強くなっていった。