日本の原点、そして希望
ブレイクタイム ~散歩しないで休憩~
30年前に少しだけ柔道をかじったことがありました。“嘉納 治五郎”先生の名は偉大な人として教育されました。“柔道一直線”というテレビドラマの影響を受け、中学で柔道の授業を受けた時に面白いと感じ、高校で柔道部に入りました。大した成績は残せませんでしたが、主将を務め、柔道の心、“和の道”を学ぶことはできた気がします。
先日の“和風総本家”は「和の教育~日本の叱る人々」がテーマでした。その中で印象に残った言葉があります。“らしくあれ”どじょう屋のご主人が先代に教えられた言葉。
今回の世界柔道選手権は“原点回帰”がテーマでもありました。正しく組んで理にかなった技で一本を取るという本物の柔道を世界に発信することが、今大会の目的でもあったようです。和風総本家で叱るのは、“事の本質”を教えることでもあります。前々回の和風総本家のテーマは「外国から見たニッポン」でしたが、コメンテーターの方が番組の最後に良いことを言いました。「国際化というとよそと同じになることだと思いがちだけど、そうではなくて自分の国の文化がしっかりとあることだと思います」
【今週の龍馬伝 37 / 48回】
お龍と龍馬は“めおと”になった。寺田屋で受けた傷を癒すための旅が二人の新婚旅行になった。途中、長崎の亀山社中に立ち寄るが、一部にはお龍を歓迎できない者もいた。それを感じ、心細くいたお龍に龍馬は身に着けていたお守りを手渡す。“希”と書いた木札には、母からの愛に守られながら歩き続けた龍馬の長い旅の汗が染みついている。希が龍馬を支えてくれた。この時から、お龍が龍馬の希望になった。
30年前に少しだけ柔道をかじったことがありました。“嘉納 治五郎”先生の名は偉大な人として教育されました。“柔道一直線”というテレビドラマの影響を受け、中学で柔道の授業を受けた時に面白いと感じ、高校で柔道部に入りました。大した成績は残せませんでしたが、主将を務め、柔道の心、“和の道”を学ぶことはできた気がします。
先日の“和風総本家”は「和の教育~日本の叱る人々」がテーマでした。その中で印象に残った言葉があります。“らしくあれ”どじょう屋のご主人が先代に教えられた言葉。
今回の世界柔道選手権は“原点回帰”がテーマでもありました。正しく組んで理にかなった技で一本を取るという本物の柔道を世界に発信することが、今大会の目的でもあったようです。和風総本家で叱るのは、“事の本質”を教えることでもあります。前々回の和風総本家のテーマは「外国から見たニッポン」でしたが、コメンテーターの方が番組の最後に良いことを言いました。「国際化というとよそと同じになることだと思いがちだけど、そうではなくて自分の国の文化がしっかりとあることだと思います」
お龍と龍馬は“めおと”になった。寺田屋で受けた傷を癒すための旅が二人の新婚旅行になった。途中、長崎の亀山社中に立ち寄るが、一部にはお龍を歓迎できない者もいた。それを感じ、心細くいたお龍に龍馬は身に着けていたお守りを手渡す。“希”と書いた木札には、母からの愛に守られながら歩き続けた龍馬の長い旅の汗が染みついている。希が龍馬を支えてくれた。この時から、お龍が龍馬の希望になった。
電車の中だったので、思わず閉じました。
ブレイクタイム ~散歩しないで休憩~
涙がこぼれそうになって、思わずその小説を閉じました。その先を読み続けたら本当に涙をこぼしてしまうと思ったのです。電車の中で泣くなんておかしいから、上を向いて軽く目を閉じました。それはたった50ページ余りの短い小説でした。
21歳で娘を亡くしてしまった父は、事故が起きた時に出かけた先でお昼ご飯を食べていたことを悔やんでいました。エレベーターの中でいきなり背中を刺され、娘は痛い思いをして死んでいきました。そんな時に天ぷらうどんを食べていた自分のことが憎くてたまらないと言って、それから父は何も食べなくなってしまいました。その姿はまるでガイコツのようでした。
その子がガイコツのようなおじさんに渡したのは、小さなお弁当箱でした。その中は、お花や葉っぱでいっぱいでした。それは亡くなった娘が、小さかった頃おままごとで作っていた大好きな“花まんま”でした。赤いつつじを梅干しに、桜の葉っぱを細かく切って佃煮に見立てる、娘の得意技でした。箸箱には二本の枝がきちんと長さをそろえて入っていました。痩せた父は、その箸でパクパクとお花のご飯を食べる真似をしました。
涙がこぼれそうになって、思わずその小説を閉じました。その先を読み続けたら本当に涙をこぼしてしまうと思ったのです。電車の中で泣くなんておかしいから、上を向いて軽く目を閉じました。それはたった50ページ余りの短い小説でした。
21歳で娘を亡くしてしまった父は、事故が起きた時に出かけた先でお昼ご飯を食べていたことを悔やんでいました。エレベーターの中でいきなり背中を刺され、娘は痛い思いをして死んでいきました。そんな時に天ぷらうどんを食べていた自分のことが憎くてたまらないと言って、それから父は何も食べなくなってしまいました。その姿はまるでガイコツのようでした。
その子がガイコツのようなおじさんに渡したのは、小さなお弁当箱でした。その中は、お花や葉っぱでいっぱいでした。それは亡くなった娘が、小さかった頃おままごとで作っていた大好きな“花まんま”でした。赤いつつじを梅干しに、桜の葉っぱを細かく切って佃煮に見立てる、娘の得意技でした。箸箱には二本の枝がきちんと長さをそろえて入っていました。痩せた父は、その箸でパクパクとお花のご飯を食べる真似をしました。
“鉄腕アトム”はその時何を思っていただろう
高田馬場の駅には“鉄腕アトム”のメロディーが流れます。懐かしく聞こえる曲ではありますが、私がちょうど生まれた頃の作品なので、実はリアルタイムで見ていたわけではありませんでした。でも、誰もが知っている日本アニメの代表作品として、今もこうして高田馬場を印象付けています。早稲田口を降りると、信号待ちの正面にはアトム全員集合の大きな壁絵があります。
営業支援に少しだけ踏み入れています。管理部門の業務支援がメインでありながらも、やはり売上の方の成績も気になるもので、契約が取れるように一つでも二つでも支援できないかと考えます。
支援先の社長をお連れして証券印刷会社を訪問しました。こちらは10年以上もご協力頂いている先で、感情の機微も理解してくださる方がいらっしゃいます。そこに甘えての行動ですが、この支援先の会社の持つプログラム技術を何とか伝えたくて、私なりの人脈に繋ごうと考えたのです。良いものだと分かってもらえたら、その人脈が枝葉をつけて伝達してくれると信じて。
当時、アトムが設定されたのは21世紀の未来。もうその21世紀に入り10年が経った現在。アトムのように感情を持つ優秀なロボットは今もまだ誕生していませんが、人間の誠実な思いを忠実に移入したシステムは出来つつありませんか。
営業支援に少しだけ踏み入れています。管理部門の業務支援がメインでありながらも、やはり売上の方の成績も気になるもので、契約が取れるように一つでも二つでも支援できないかと考えます。
支援先の社長をお連れして証券印刷会社を訪問しました。こちらは10年以上もご協力頂いている先で、感情の機微も理解してくださる方がいらっしゃいます。そこに甘えての行動ですが、この支援先の会社の持つプログラム技術を何とか伝えたくて、私なりの人脈に繋ごうと考えたのです。良いものだと分かってもらえたら、その人脈が枝葉をつけて伝達してくれると信じて。
当時、アトムが設定されたのは21世紀の未来。もうその21世紀に入り10年が経った現在。アトムのように感情を持つ優秀なロボットは今もまだ誕生していませんが、人間の誠実な思いを忠実に移入したシステムは出来つつありませんか。
今年初めて“さんま”を食べる
ブレイクタイム ~散歩しないで休憩~
汗かいた、並んだ、待った、疲れた、しびれた、そしてやっと“さんま”を載せる紙のお皿をもらった。目黒駅に着いてから2時間半が経っていた。この日は朝食を抜いていた。きっと美味しく食べられるだろうと我慢していた。気がつけばお昼の時間になっていた。お腹も空くはずだ。
大きな網の上で焼かれているさんまは圧巻だった。煙もくもく上空に立ち昇っていく。一枚の網の上に30~35尾のさんまが焼かれ、それが8つくらい並んでいた。上手に焼かれたさんまが選ばれ、紙のお皿に載せてもらった。
“すだち”と“大根おろし”それに“べったら漬け”が添えられた。さんまを焼いている後ろの歩道には大きなテーブルが並び、たくさんの人が立って食べていた。空いている隙間を見つけて、やっとさんまを食べる準備ができた。お年寄りの為に椅子席もあった。小さな子が箸でさんまをつついていた。それちょっと“ポン酢”かけ過ぎているだろう子もいた。骨を丁寧に取っている女性もいた。みんな“さんま”が似合っていた。
“すだち”を絞ると、お腹が空いていたことはいつの間にか忘れていた。食べることに夢中だった。美味しかった。いやむしろ味なんか分からなかったかもしれない。
はらわたも残さず食べて、すっかり骨だけになったさんまを見て、ふと我に返る。電車賃かけて、2時間半並んで、あっという間に食べたさんまの値段300円。余計なこと考えるなと自分に言い聞かせる。12時からは別の路地で“生さんま”の配布が始まっていた。そこにもまた長い行列が・・・。もう最後尾を探す力は残っていなかった。
汗かいた、並んだ、待った、疲れた、しびれた、そしてやっと“さんま”を載せる紙のお皿をもらった。目黒駅に着いてから2時間半が経っていた。この日は朝食を抜いていた。きっと美味しく食べられるだろうと我慢していた。気がつけばお昼の時間になっていた。お腹も空くはずだ。
大きな網の上で焼かれているさんまは圧巻だった。煙もくもく上空に立ち昇っていく。一枚の網の上に30~35尾のさんまが焼かれ、それが8つくらい並んでいた。上手に焼かれたさんまが選ばれ、紙のお皿に載せてもらった。
“すだち”と“大根おろし”それに“べったら漬け”が添えられた。さんまを焼いている後ろの歩道には大きなテーブルが並び、たくさんの人が立って食べていた。空いている隙間を見つけて、やっとさんまを食べる準備ができた。お年寄りの為に椅子席もあった。小さな子が箸でさんまをつついていた。それちょっと“ポン酢”かけ過ぎているだろう子もいた。骨を丁寧に取っている女性もいた。みんな“さんま”が似合っていた。
“すだち”を絞ると、お腹が空いていたことはいつの間にか忘れていた。食べることに夢中だった。美味しかった。いやむしろ味なんか分からなかったかもしれない。
はらわたも残さず食べて、すっかり骨だけになったさんまを見て、ふと我に返る。電車賃かけて、2時間半並んで、あっという間に食べたさんまの値段300円。余計なこと考えるなと自分に言い聞かせる。12時からは別の路地で“生さんま”の配布が始まっていた。そこにもまた長い行列が・・・。もう最後尾を探す力は残っていなかった。
目黒のさんま
ブレイクタイム ~散歩しないで休憩~
「さんまは目黒に限る」で有名な落語“目黒のさんま”にちなみ、目黒で“さんま祭り”が開かれている。今年はさんまの水揚げ量が減り、値段が高騰していることもあり、相当の人出が予想された。猛暑の中、初参戦した。そう、これは戦いだった。
午前9:20に目黒駅に着くと「ああもう少し早く来れば」と後悔の行列が目の前に。開始時間は10時とあったが、既にさんまは配られていた。せっかく来たのだからと諦めずに列の終わりを探して歩き続けた。「どこまで続くんだ、この列は・・・」15分後、やっと“最後尾”につけた。
ここからが試練。日が陰る時もあるが、気温は相変わらず高く、暑い。長蛇の列の最後尾は見る見る増加していく。飲み物も持たずに列に並んでしまったことを後悔する。後ろの人に断って、販売機で飲み物を買わせてもらおうかなとも思ったが、我慢の2時間。ようやくさんまを焼く煙が見えてきた。ここから2列並びだった列は一気に6列に。何となく前の方に進んだ気がするも、ここからがなかなか進まない。せめてもの救いはさんまを焼く匂い。炭で、それも外で、思いっきり煙を出して焼いているからか、とても美味しそうな匂いがしてくる。さて、続きはまた次回・・・。
【今週の龍馬伝 36 / 48回】
久しぶりに弥太郎とゆっくり話ができた龍馬は、世の中の新しい仕組みを懇々と語る。外国の後ろ盾なしに幕府は存続できない。薩長による“新しい日本”をどうするべきかを語る龍馬は、長い旅をしてきた男の顔をしていた。直後、寺田屋で龍馬が襲われた。
「さんまは目黒に限る」で有名な落語“目黒のさんま”にちなみ、目黒で“さんま祭り”が開かれている。今年はさんまの水揚げ量が減り、値段が高騰していることもあり、相当の人出が予想された。猛暑の中、初参戦した。そう、これは戦いだった。
午前9:20に目黒駅に着くと「ああもう少し早く来れば」と後悔の行列が目の前に。開始時間は10時とあったが、既にさんまは配られていた。せっかく来たのだからと諦めずに列の終わりを探して歩き続けた。「どこまで続くんだ、この列は・・・」15分後、やっと“最後尾”につけた。
ここからが試練。日が陰る時もあるが、気温は相変わらず高く、暑い。長蛇の列の最後尾は見る見る増加していく。飲み物も持たずに列に並んでしまったことを後悔する。後ろの人に断って、販売機で飲み物を買わせてもらおうかなとも思ったが、我慢の2時間。ようやくさんまを焼く煙が見えてきた。ここから2列並びだった列は一気に6列に。何となく前の方に進んだ気がするも、ここからがなかなか進まない。せめてもの救いはさんまを焼く匂い。炭で、それも外で、思いっきり煙を出して焼いているからか、とても美味しそうな匂いがしてくる。さて、続きはまた次回・・・。
久しぶりに弥太郎とゆっくり話ができた龍馬は、世の中の新しい仕組みを懇々と語る。外国の後ろ盾なしに幕府は存続できない。薩長による“新しい日本”をどうするべきかを語る龍馬は、長い旅をしてきた男の顔をしていた。直後、寺田屋で龍馬が襲われた。




