リアルとハッタリとのどちらが偉いか
たぶん言及する作品:ホリック、涼宮、侍7、ノエイン
今週のホリック「ナツカゲ」が面白かったです。話はさほど特徴的でもなかったけど、ホラー演出がなっていてきちんと怖かったためでしょう。(この作品は、人生の教訓やらギャグやらの方向に持っていくより、ホラーに持っていった方が面白い。)音楽も良かったのですが、コンテも必要な部分を映してきっちり見せ場に持っていく印象で、うまいなあと思いました。で、絵コンテと演出は湖山禎崇さん。私としては一番わかりやすいのはIGPXですが(他にもハチクロやらクロ高やら)、もう中堅の域の方なのでしょうか。過不足ない感じでした。
ところが、「作画が崩れてた」というトンデモナイ感想を見かけ…。
え、それってもしかして。
この辺のこと?
いやいやいや。むちゃくちゃ面白いじゃないですか!つか劇場版の再現じゃないですか!
そう、今回の脚本は原作者の方でした。そういえば話のパターンも劇場版に似てるかも。(で作監は植田実さん)。そして肝心の↑の作画をした方は宮澤康紀さんという方らしい。(WEBアニメスタイルで劇場版の原画 が見られます。)やー、今まではこのアニメ、長い手足がわさわさ動く程度でしたがこんなのもあるとは。やっぱIGは侮れないって事なのかな。
さてさて。先日のSamurai7の七話「癒す!」のタコ踊り(?)何かでも思い出されますが、崩し作画や、くねくねした動きに拒否反応を示す方って、意外と少なくないんですよね。(リップシンクロはあまりあれこれ言われませんが。)
その理由は、作品を観ているときにキャラしか観ていないからなのでしょうね。だから「自分の思い浮かべてるキャラ像」からちょっとでも離れると受け入れられなくなってしまう。また、作品世界をとても狭く捉えているため、そこからはみ出した表現をされると慌ててしまうのではないでしょうか。
かく言う私も少し前だったら、単に作画状況に余裕がなくてキャラ絵が「崩れ」ているのと、わざと作品世界とは別次元を生み出そうとしている「崩し」との区別もおそらくつかなかったのでしょう…って今でも判ってるとは言いがたいか。
続きはまたあとで。
縮小
Bラグが2クールなのか相変わらず分からないんだけど、[1クールでした。あと一回ですね。]
他は銀魂・接客部・魔女刃・侍七か。[あと一本どれにしよう…]
ゼガペはSF話に興味はありますし、時々原動画もけっこう良い気もするけど、でも。中毒は話の内容(ネタ)がどうも今ひとつやし。牙はできたら観たいんだけど。それから血+はいい加減もう諦めようかな。うぬぬ。
感想も前から不定期だけど、毎回書くのは3本くらいにして他のはよっぽど書きたいときだけにするとか、ってそれじゃ今とあんまり変わらないのかな。まあとにかく控える方向で行こう。訪問してくださる方は減るだろうけど、別にそれを目的に書いてるわけじゃないからね。
と、何だか後ろ向きの記事ですけど。書いておかないとまたうっかり番組の数が増えて時間がとられ…となるので戒めとしてね。
軽い頭を捻って
前もちらっと書いた気がするけど、この話は基本的に異文化コミュニケーションの話だと思っている。(庶民と金持ち、一般人とホスト、一般人とオタク…等々。)そして他人の話を聞きなさい、というのを言いたいのかと。
今話を観て感じた違和感は、例えるならニュース番組の乙○ロードの特集みたいなものに対するものに少し近い。つまり、腐女子ってこういうもんなんでしょ?という安易な決め付けと言おうか。(そもそも、女子のオタク=腐女子という公式もいい加減何とかして欲しい、とは別の話。)
けれどこの作品においては、すでに4話でキャラ萌え(対象をステロタイプに落とし込んで愉しむ)及びやおい/BL萌えという行為に対する言及がなされているわけで、その時に提示された処置法は「枠だけで他人をはからない」というものだった。しかしその結果れんげ女史は、アドバイスをくれたハルヒ萌えしてしまう。それは一見まったく進歩のない行動で、彼女(たち)の「病」の深さを感じさせる…と思えるが、実はそれだけではない。それまで彼女は自分の妄想を対象に押し付けて従わせていたわけだが、生身の彼らとも交流する事で妄想と現実世界を両立させる技術を体得していくのだ。それが、うきゥドキめもりある(だっけ?)の主人公が言う「本当の意味でのレベルアップ」なのである。(その証拠に、5話で彼女はホモは「別腹」と言う。)
そもそも原作ではゲストキャラのれんげ女史をどうして準レギュ化させているか、と言ったら単に動かしやすい(絵的にも)キャラということだろうがさらに、オタク・腐女子・妄想家といった側面からの解説人:ホスト部にとっての異文化ウンディーネという意味も付け加えられて…いて欲しいと思っていたのだけど…。今回で自信が無くなったかも。
こういうのがイイんでしょう、といういかにもあからさまな今回の話は、もしかしたら腐の人たちの眉をひそめさせ、不愉快にさせる事こそが目的だったのだろうか。4話の意趣返しか。
人間関係において、少なからず相手を理想化して(もしくは何らかのバイアスをかけて)交流する事はどうしようもないことであって、恋愛もその延長線上にある。毎回のように上映される環のハルヒ脳内劇場だってその象徴であるわけで、それはれんげ女史の妄想とおあいこって事で相殺してくれてるんだと思ってたんだけどな。
ちなみに原作には、そう簡単に癒しの物語にしてたまるか、という主張が込められている気がした。シリアス展開&過去のトラウマはもう飽き飽きだよっていうけっこう挑戦的な試みがなされている感じ。
それに対して五十嵐監督と脚本:榎戸氏の提げる「擬似家族としてのホスト部の在りよう」というのは原作ファンの方からすると疑問符のようで。けれど、アニメの脚本って解りやすくすることが重要(涼宮ハルヒ#12なんかでも、ヒロインの内面とキョンの態度をはっきりさせてる。)だから仕方ないのかもしれませんよ…なんて声低に言ってみたり…。
うーん、何だかうまくまとまらないので諦めます。中途半端だなあ。
追記:そういえば、何が気に喰わなかったのか具体的に書いてなかった。普通に考えて、好きになった相手がガチだったら打ちひしがれるんでないかな、という部分です。で、お客さんの女の子達が皆もえちゃってる所はやはりマズイと思いますよ。(原作はバレンタインの話で、気持ちには応えられないけど~っていうモリ先輩のフォローがあったらしい。)
ま、色々考えずに萌えとけって事ですか?でもそれはちょっと性質が悪いと思うんで、こうしてつらつら書いてるわけなんですけど…。
ところで、次がアリスみたいな話だからウサギを持ってきたのかな。前回のベルゼネフには及ばないんだけど、今回のうさちゃん縫いぐるみも微妙に表情が変化してた。かわいい。
いま見たら
私はたいへん落ち込んでいるのですが、皆様はテンションが上がってらっしゃるご様子です。
NANAは、一週くらい観てなくてもすぐに総集編をやってくれて親切だなあ。もしかしたら、この番組はアニメというよりTVドラマとして観た方がよいのかもなあ。
関係ないけど、アニメの脚本と作画の基礎知識を身につけたいな、と思った。ある意味双極に位置する二者なのかな。色々知らずに作品の批判も評価もあったもんじゃない、とふと考えたものですから。第三世代脱出計画??そんな大したもんじゃないか。
プリマダム最終回をたまたま観たんだけど、え、生放送だったの…?でも途中で切れてたし本当っぽいかも。実際に出演者の方々がバレエを特訓して発表、とけっこう面白い企画だったのでは。芸能人社交ダンスといい、日テレはダンスづいてるな。
桜蘭高校ホスト部 #12
ちょっと嫌な感じでした。揶揄でも批判でも言い方は良いけど、視聴者(主に乙女?)への刺々しい視線が感じられました。うん、きっとそうだよ。でなきゃAパートでハニー先輩のダークサイドを見せておいて、その後いけしゃあしゃあとブリッ子虫歯ネタを持ってくる意味がわからない。
また、今回はハルヒとれんげがダブルで狂言回しを勤めていて、それぞれが違う方向にアプローチしている。おそらくはハルヒが一般的視聴者層への呼びかけを、れんげがいわゆる腐女子視聴者層を誘導する役割だったのではないかな、と。れんげさん登場の4話以来の、メタ的なつくりだったし。
そう考えていくと非常にシビアな一話だったように思えてきた。どうやら只の逆ハーものでは無かったようですね、この作品…甘く見てたな。そろそろ作品の構造や、物語としての在り方などに注目しなければならない時期になってきたのかも。
と、まあ色々と思うところはありましたが、藤岡ハルヒさん直々に「コレを観てるAB型のひと、怒らないでね」って言っていただけたので、頑是ないことは言わない事にします。(ん?何か違わないか)家計簿を前に頭を抱える鏡夜お母様も面白かったし。高級菓子だから値段馬鹿にならないんだろうな(笑)
ところで都昆布はおいしいよね。というか懐かしい。ぎんたまの神楽ちゃんを連想した。
銀魂 #12
何て素晴らしいサブタイなんだ…どっかの上京物語のとはおおちがいー。
つうか、今回はちょっとアングラ?と思ってたら中尾さんが出演!やった、嬉しいんですけど。
全部観たらまた後で。
涼宮ハルヒ #12「ライブアライブ」
えらい燃えが降りてきました。初めてスタッフを「偉い」と思いました。何にそんなに感心しているのかというと、この回で原作者の手から作品を完全に引き剥がしたんじゃないかしら、と思ったからです。
一つには、あの表情の崩しです。ふつうアニメーションのキャラ顔は命であって、特にこの手の萌え系アニメではできるだけ小奇麗にするにも関わらずのあの描写。萌え系で語弊があるならギャルアニメでも良いですけど。それなのにあそこまで崩すなんて、パトレイバー劇場版じゃないんだから…と驚くことしきりでした。汗をびっしょりかかせてみたり、これらは以前のホクロ毛に続き、生物的リアリティを二次元しかもあの絵柄のキャラに与えたことになるのですよね。たぶん、現実感が無さ過ぎるキャラに感情移入させやすいようにこういった事をしているのではないかな…と思うのですが。(すると、そういう生臭さの無い朝比奈みくるは単なるマスコットとしてしか存在しないというわけか、なるほど。)
その証拠に、初めて涼宮ハルヒを可愛げのある女の子だと感じました。セカイの王たるヒロインではなく、一人の女の子として。もちろんそういうことを意図したストーリィなのでしょうけど、この執拗な演出が無ければこのキャラに心情を寄り添わせることは少々難しかったと思います。…何しろ声とかあまり好きじゃないので。
もう一箇所、キョンがお弁当をかきこむ場面。冷静なモノローグと正反対の行動描写であり、意外にヒロインの内面を心配していることを表していることに感心しました。ここ原作ではどうなっているんだろう。たぶん、異なる解釈をさせる演出になってるのでは。
あとは、気持ち悪いほど動くモブとか(しかも背景に見えて伏線がたっぷり。しかも美輪さんとかHGとか居たんですけど!?)、小ネタとか(ローゼン何とかって劇は中の人繋がりであるような。ていうか古泉キモいよ古泉。)[追記。この劇、「ローゼンクランツとギルデスターンは死んだ」というものだそうで、元ネタが前衛映画でげいりーおーるどまんが出られてるとか。それを別にして、現象学も何も解らない。チキン]。
しかし、パソゲーでは「ガラスの艦隊」を超え、今回は「BECK」を超え[ちょっと考えを変えました。]…どんな学園アニメだよこれは。「NANA」とか相当頑張んないとライヴシーン負けるぞ、きっと。あんまり凄かったから販促とか、もはや目をつぶります。あのクオリティであのキャラ絵とストーリーじゃなければなあ…。(←ぶちこわしだ)
まあ、それこそ1クールだからできるクオリティなのではないかと思うのでありますが。
ただし一つ言いたい!吹奏楽ってのは文化祭ではもうちょっとポップスぽい曲をやるもんです。そして流石の京アニでも木管楽器のアップは無かったね。ニヤリ。まーフルートとかクラとかサックスなんか描いたら大変なことになりますやね。
[6/23]
夏からの
6/29(木)フジ 24:45 ハチクロII
実は前シリーズはあまり真面目に(と言うのも変だけど)観てなかった。どうも嵌りきれなくてですね。初回くらいは見ておくべいかと思い。
6/29(木)テレ朝26:40 貧乏姉妹物語
全10話だしね。ってそんな理由か!
7/2(日)TVK24:30 ゼロの使い魔
あれ、何でこれ入れたんだ。
7/5(水)MX18:30 僕等がいた
何かでも観てて哀しくなりそうな予感がするのですね。ええ。
7/6(木)TVK26:26 無敵看板娘
飲食店の話なんですか?(基本知識が…)
7/10(月)TVK25:15 N・H・Kにようこそ!
とても未知数です。
7/12(土)?TVK アンジェリーク
元祖逆ハーなんでしょー。何時だか良く分からないけど初回だけ初回だけ。あ、でもキャラが全員出てこなかったらどうしよう…。
7/26(水)wow24:00 イノセント・ヴィーナス
地味に本命だったりするけど、ノンスクですか。録画がめんd(略
西暦2010年。地球規模で同時多発的に発生したハイパーハリケーンは、世界各国に甚大な被害をもたらした。
80億まで膨らんだ人口は一気に50億が失われ、30億まで減少。経済・軍事のバランスが崩壊した。
日本政府は経済特区を各地に作り、限定的な復興を成し遂げた。かねてより開発されていたパワードアシスト技術が復興に大いに貢献することになる。しかし、特区以外の地域は貧困が拡がり、スラム化が進んでいく。支配階級は自らを『ロゴス』と名乗り、パワードアシスト技術を軍事に転用。貧困層を『レヴィナス』と呼び、壁の外へ締め出した。そして、時は流れ、物語の舞台は西暦2035年。『レヴィナス』の監視と『ロゴス』内の反乱分子鎮圧を目的に結成された特殊部隊《ファントム》を脱走した主人公の葛城丈と相棒の鶴沢仁は、謎を秘めた少女・登戸沙那を連れ出した。沙那を巡り、多くの人間の思惑が複雑に絡み合い、物語は進んでいく。彼ら3人の行く手には何が待っているのか!?
監督は「スーパーロボット大戦OG」の川越淳、キャラクター原案は月刊コミックブレイドにて「STIGMATA~赤煉の聖者~」を連載中の高冶星(コヤソン)、キャラクターデザインは「かみちゅ!」の長町英樹、シリーズ構成は「新ゲッターロボ」の大西信介、アニメーション制作はブレインズ・ベース。
(↑7/12追記。wowwow公式より引用。)
コヨーテラグタイムショーは何時なんですか。
嗚呼そしてキッズステーションが可能ならば…ああ。
膨大なテキスト或いは世界観を持つ原作をアニメ化することの困難さについて
タイトル長いよ。
そもそもアニメ化(映像化)を割と安易な原作の販促として用いる出版社等という背景がありますが。それら大人の事情を踏まえつつ、失敗例としてひぐらし・獣王☆・西魔女他、好例として蟲師・涼宮・ホスト部他に言及してみたりなんかしちゃったりしようかとか思ったりしたんですけど。(長いよ)やむなく落とすことになってしまった作品への言い訳みたいなものです。
いつものことですが上記のアニメ作品に心酔している方は読まないで下さい。時間を無駄にしたくない方も然りです。
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まず、テキストの多い原作を脚本に纏めるということ自体、難しい。
例えば「ひぐらしのなく頃に」だと原作ファンの方の感想等を拝見すると如実で、割愛されているエピソードがかなりあるらしく、それがあるのとないのとではキャラの行動の説得力に相当の違いがでてくる様子だ。また、過去の事件などを全て人物の口から語らせなければならず、その説明台詞の多さはドラマを平坦にしてしまう。
それから「西の善き魔女」。原作者の別の作品である勾玉シリーズなどは一冊で1クールでもおかしくないような密度だと思う。こちらの方は相変わらず未読だが、だいたいの文章量を見るかぎりではせいぜい2、3冊に1クール位が妥当なのではと思われる。展開の急さは初回から解っていたことではあるが、シリーズの終盤になってから明かされる、物語世界に隠されていた一つの大きな<謎>はどうしても唐突である印象になってしまう。それは、それまで人間関係のドラマに集中していた視点を乱暴にセカイへと拡張させられてしまうことに、視聴者が戸惑ってしまうためではないだろうか。
これは「獣王星」にも言えることで、ついさっきまでは一人の人間の生き死にに葛藤していた主人公が突然に人類の滅亡うんぬんの話に放り込まれる、という展開はもちろんアリなのだが(原作通りのはずなのだが)、それに一話分の区切りだけでは足りないのである。もっとも、こちらの原作は漫画の単行本3冊分なので上の二つに比べると多少その弊害は緩やかかもしれないし、マイナス評価になってしまう別の要因、個人的な心情があるが。
つまりこれらの作品を1クールでアニメ化(映像化)しようとした時点で失敗、と言ってしまっても過言ではないかもしれない。エピソードをカットするつもりがないのならば、そこには原作のダイジェストとしてのアニメという道しか残らなくなる。が、そのダイジェストに徹底したとしても、単行本20巻程度[※文庫版の誤り。単行本は46か?]に1年を要した「ガラスの仮面」を観ても明らかなように、原作の魅力を<纏める>ことは出来ても<増す>ことは不可能、と言っても良い。
全体は細部から成り立っている。主題から外れたエピソードは一見、削除しても問題がなさそうだがそれらは間違いなく血肉として作品を構成している一部で、よほど細心の注意を払った選別がなされなければ破綻が生じてしまうのだろう。(そういった意味で、シリーズ構成及び脚本はジェンガにも似ているかもしれない。)
さて、そこで「蟲師」である。この作品が幸福だったことの一つには、監督が最高の読者だったという事だ。そして原作の量がさほど多くなく、さらに一話完結であったこと。アニメ化にあたりその形式を忠実に守ったこと。高い映像技術が取り上げられることの多い作品だが、成功した秘訣はこの辺りにもあるかもしれない。「監督が~」というのは、原作の長所が増幅されている、と一視聴者である私が感じただけにすぎない。以前に原作を読んだ時、変わった設定と世界観だとは思ったものの、そこまで魅力的な作品とは感じられなかったが、総天然色で声と音楽と共に動き出した「蟲師」は圧倒的だった。しかし上記した通り、この魅力は作画や演出の稀有なほどのクオリティがあってこそのもの、とも言える。(また、原作に忠実すぎるのも考えもので、例えば『天辺の糸』などでは原作そのままの脚本が災いし、いわゆる「らぬき言葉」までそっくり同じだった。まあ、本来は編集者が気付べきだとは思うが、それにしたって脚本でも音響監督でも演者でも、どこかで直らなかったものだろうかと思ってしまう。)
そして人気作、「涼宮ハルヒの憂鬱」。これはもう何度も述べたがシリーズ構成の勝利で、原作販促の意図があったのかどうかは知らないが、効果は抜群だったのだろう。この作品はテキストも相当多いのであろうに、その省略にかなり成功している(ように見える。あくまで未読者の目から見て、だけど)。サービス精神が旺盛な、本編とは関係のない部分(バトルシーンなど)への力の入れようもプラスに働いているのだろう。
そしてそして誰が何と言おうと「桜蘭高校ホスト部」である。実はこの作品も、原作を読んだ時は「それなりに面白いけれど」程度の印象だったのだ。ところが。主題をくっきり浮かび上がらせつつギャグを魅せる脚本、その意図を汲み取った演出、良質の作画と適切な配役。これを面白いと言わずして何を面白いとするか!!てなもんである。
ちょっと脱線した。えーと。実はこの作品も、一話完結式である。しかも、ヒロインのパーソナルに踏み込む部分が多い話と、ホスト部あるいはメンバーの紹介的な話とをだいたい交互に配してあるのだ。(…たぶん。)その辺りにも絶妙なバランスがあるわけで!(強制終了)
あとアカギは成功例だと思っています。
まあ、何が言いたいかっていうと、同じ原作の販促でも「アニメ観てるだけじゃ話が今一つ読めず、仕方ないから原作を買おう」というのと「アニメ観たらすっかり興味が湧いて、原作を読んでもっと深く知りたいから買おう」というのでは大違いですよねえ、という話。買えば同じじゃん、と思われるかもしれないが(事実制作サイドはそう思ってるのだろうが)前者の場合は買うまでいかずそのまま諦める可能性が高い、はず。
どちらにしろなるべく原作を買わずに済ませようとする私が言えたことではないが、少なくとも蟲師の場合は驚くことにアニメによって原作が1.5倍くらい良く見えるようになり、つい最新刊を購入してしまった。ホスト部の方は買おうとは思わないけど…あれはアニメならではの良さだから、原作を買うくらいならDVDを買うだろう。涼宮もアニメ的な良さだと思う。
結論として、いくら面白い原作を基にしていようとも、巧みな構成と脚本がなければ面白いアニメ作品になる可能性も閉ざされてしまう、ということ。土台があってこそ、演出も音楽も作画も活きる。(これは全ての作品に言えることではあるが、原作物は意外にそこがおろそかになっているものが少なくないと感じざるを得ない。)
6/20 一部訂正
次回、「オリジナルアニメ作品について」。
次々回、「問題は配役であって演技ではない」。
(両方うそ)