エピソード6 色彩の記憶-2
「日本のエッセンス 御笠山」
以前にも紹介したが、ヒロヤマガタの生まれ故郷は滋賀県の米原ですが、彼が中学製くらいまでは、中山道と東海道線くらいしかない田舎町だった。ことに、ヒロヤマガタが住んでいたところは、そのまたはずれで、見渡す限り山と田んぼと人家がチラホラというまさに、正真正銘のド田舎。夜に明かりがつくのは誘蛾灯だけで、夜は真っ暗なオモテにはひとっ子一人いなくなっていたそうです。
そういう単調きわまる、よくいえば平穏無事な田園生活、悪くいえばド田舎の生活で、子供の頃にもっともエキサイティングだったのは“祭り”だった。祭りというのは、「待つり、」で、神様が来るのを待つドンちゃん騒ぎだと教えてもらったことがあるそうです。
ヒロヤマガタにとって年に何回もない“待つり”の日を、いつも待ち焦がれるものでした。
「ド田舎で生活する子にとっては、お祭りのキンキラの紙風船の色彩にしても、七夕の竹につるす短冊飾りにしても、あるいは、お正月のただおめでたいお飾りにしても、日常の単調さをぶち破ってくれる待ちに待った心踊る刺激であり、胸の弾む衝撃であえあった。それは黒一色といっていい退屈な毎日を、華やかに彩ってくれる“色気”でもあった。」
といっています。
「今でも、目をつむって、田舎の夏祭りのことを思い浮かべると、紙風船の色縞模様とか、入道雲の青空にひるがえる旗とかのぼりとか、五色の吹き流しとか、屋台の原色の和菓子とか、神社の磨いた真ちゅう金具とか、ほんとうにカラフルだ。今の子供なら、さほど感じないだろうが、素朴な色彩も、物資不足のころには、待ちに待った「祭りの色」の洪水といった感じで鮮烈かつ強烈な印象だった。」
また,
「考えようによっては「祭りの色」の原体験は、僕のスタイルの絵を描く、僕の内面を支えてくれる、大切な要素なのかもしれないし、また、多少誇張して言えば『衝撃-エキサイティングすることだけが人生だ』という僕の人生のバックグラウンドにもなっているんじゃないかとも思ったりする」
といっている。
