エピソード9 日本画修行時代そして上京
ヒロヤマガタは油絵も日本画も版画もみんな、美術の専門学校や大学で正式に勉強したことはない。ただ、日本画だけは、米原高校の美術教師で日本画家でもあった椙村睦親(スギムラ マサチカ)先生に在学中の3年間と卒業後の1年足らず習ったことがある。高校卒業後は大学に進学する希望もなく、進路希望の用紙には「美術関係」とだけ記入されていたらしい。本人はそのことを知らず、風変わりな息子の将来を案じて、父親が先生に大学への進学を頼んだようですが、先生は東京へポッと飛び出したってロクなことはない、それよりじっくり地に足ついている勉強をしたほうがいいということで、ヒロヤマガタを従弟修行させることにしたようです。
日本画の実技の中で、和墨、唐墨の区別から、粉末絵の具の色質や粒子の段階などまで、いろいろ貴重な勉強をしたようです。乳鉢で岩絵の具を夢中で磨り潰すうちに、指先に血がにじんでも辛いとは全然思わなかったくらいです。しかし、恩師が属していた日本画の団体とか協会とかいうもののバカらしさにはどうしても付いていけなかった。
高校卒業の3月に入門して、その年の晩秋に、明日、京都から、どこかの団体のエライ大先生が恩師宅にこられるから、丁重にご接待申し上げなければならないことがあった。
ヒロヤマガタも大先生に紹介してやるか、大先生のお作品に感銘を受けたことなどをお話ししろといわれたそうです。それを聞いて、春はワラビ狩り、秋はマツタケ狩りと団体のエライさんの肩書きで、取り巻きを引きつれ、地方の門弟たちを訪問して、遊びまわっている、たいした作品も書かない俗物にゴマをスレってことかと、当時19歳のヒロヤマガタは思い内心猛反発を覚えたそうです。翌日、大先生への不時の揮ごうに備えての色紙やふすまあるいは、用具の用意や接待の準備で大忙しの恩師宅から、ヒロヤマガタは大先生の召し上がるワサビを買い出しにやらされたそうです。
「ワサビなんかクソ食らえ」。とヒロヤマガタは、愛車の自転車を八百屋とは反対の方向に向けててペダルを踏み、福井県との県境まで突っ走り、夕方恩師宅に戻った。そこで、やはり「どこに行っていたんだ!?」「このバカヤロー!!」と、シラーッとした空気のなかで罵声が飛んで、散々に怒られたそうです。ヒロヤマガタは、ただ、「すいません、すいません」と平謝りに謝りながら、しかられて当然とおもいながら、同時に、
絵の評価が、作品の“実力”だけでなく、師弟関係や所属団体のヒエルキラーや情実などが、おおいにモノを言う日本画の世界は、とても自分の住むところじゃないことを痛感したそうです。
恩師宅のふすまは真っ白のままだったので、ワサビを召し上がりそこねた大先生が、あまりご機嫌うるわしくなさそうで、お帰りになったことは鈍感なヒロヤマガタにも創造できたようです。
ヒロヤマガタは「ワサビ・ドンズラ事件」からまもなく、日本画の従弟修行におさらばし、自由の天地を求めて、東京に飛び出したのである。その時4000円しかもっていなかったらしく、広い東京で唯一土地観のある、修学旅行(エピソード4) の宿屋のあった飯田橋の安宿に泊まった。
