LA`s the Place & Gramy2000(グラミー2000)
1983年 『LA`s the Place』 2000年『グラミー2000』(シルクスクリーン)
この二つの作品は同じ作品が2回公式依頼作品として使われた非常に珍しい作品です。
残念ながら版画になっているのは右側の『グラミー2000』の方だけです。
左側の『LA`s the Place』は1983年ヒロヤマガタがアメリカにわたって『ペリエ』で一躍有名になったころに、ロサンゼルス市から依頼されて描いたもので、画像を見てもらえばわかるが、大変細かく描かれたいる作品です。制作には約8ヶ月かかったと自身が行っている。
ロサンゼルスの町の名所がほとんど描かれており、その場所すべてを取材して回るのに約半年、描くのに2ヶ月かかって完成した。そして発表されたのが1984年です。
1984年といえば「ロサンゼルスオリンピック開催の年。
そうです、この作品はロサンゼル市がオリンピック開催の為にヒロヤマガタに依頼をしたものだったのです。
オリンピックといえば世界中から参加者が集まると同時に、観戦に訪れる人も世界中からやってきます。その世界中から、ロサンゼルス市にやってくる人たちの観光誘致キャンペーンのポスターとして使われたのです。
また、オリンピックの競技選手を含む関係者にもこの作品はポスターにされ配られました。
ロサンゼルスの街をすべて描こうとしたために、非常に細かい作品(建物・人物とも)になってしまったのです。
普通ならこの当時に版画(シルクスクリーン)となって発表されていてもよかったのですが、なぜ発表されなかったのでしょうか?
答えは、細かすぎたからと、色数が膨大になってしまうからです。
当時、ヒロヤマガタのシルクスクリーンはこれまでのシルク版画の常識を超えた多色刷りでしたが、それでも色数は100を超える程でした。しかし、この『LA`s the Place』は、倍の200色は必要だとされて、当時のシルクスクリーン版画を刷る技術としては不可能でした。
また、描かれている作品が細か過ぎるというのも大きな理由でした。この後1986年に発表される『自由の女神100周年記念』のシルクスクリーンもかなり細かい作品でした。この作品をシルクスクリーンで版画にすると、かなり大きな作品になりました。同じ技術で『LA`thePlace』をシルクスクリーンにしたとしても、さらに大きな作品になってしまう為に、シルクスクリーンをすることができなかったのです。そのため、この作品は、ポスターでしか出回らなかったのです。
同年ヒロヤマガタは、アメリカのロードアイランド州ワーウィック市から名誉市民の称号を送られる。どうしは、9月21日を「ヒロヤマガタの日」と定める。
そして、そこから17年が過ぎた2000年。
グラミー賞を主催するグラミー財団より、2000年を記念するグラミー賞の公式ポスターの依頼が来る。
*《(Grammy Award)は、米国 で音楽業界において優れた作品を創り上げたクリエイターの業績を讃えるとともに、業界全体の振興と支援を目的として作られた賞。世界で最も権威ある音楽賞と言われている》
このときに、ヒロヤマガタ自身が提案したかグラミー財団関係者が提案したかはわからないが、1983年制作の『LA`s the Place』がリメイクされて、公式作品として再び世の中に出ることになる。
公式ポスターでは、真ん中に描かれたグラモフォン(Gramophone 蓄音機)がかなり大きく描かれている。
ヒロヤマガタ自身にもシルクスクリーン版画にする事ができなかったという思いもあり、この年、シルクスクリーンが制作され発表されることになる。
サイズは、いわゆるレギュラーサイズで、色数はヒロヤマガタ作品では一番多い200色を超える作品となった。
描かれている人物の一人ひとりのい目鼻口が描かれてはいるが、よく見ないとわからないので、虫眼鏡を使ってみるとよくわかる。
細かいかもしれないが、ヒロヤマガタの世界がたくさん詰まっている名作といえる作品のひとつです。
