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エピソード12「東京芸大ニセ学生」

エピソード12「東京芸大ニセ学生」

 ヒロヤマガタがイラストレーターとしての仕事を始めたころ、東京芸術大学(以下東京芸大)で雑用のアルバイトの声がかかった。「アートのメッカは東京だ。」と言っていた、日本画の椙村先生の言葉(先生は、ヒロヤマガタの東京遊学には反対だったようですが。)を思い出し、上京して何ヶ月もたたないのに、そのメッカで働けることに喜んだそうです。

 芸大では大学院生の

人たちの雑用アシスタントとして、それこそ何でも、骨身を惜しまずに取り組んだ。最初は、彫刻を専門とする人のもとで、手伝いをしていたら、「おい、こいつは便利だよ」と他の人たちにも紹介してくれるようになり、その調子で次から次へと色々な研究室に引き回してもらうようになり、彫刻をはじめ、版画(エッチングやリトグラフが中心だったようです。)とか陶芸とか、芸術には色々な分野があって、優秀な人たちが真剣に取り組んでいる世界のあることを教えられた。ヒロヤマガタにとって、その人たちにまじって、芸術家各分野の製作のプロセスが直接身近に見学、というよりは、自分自身も手伝いながら、勉強できて、おまけにバイト料までもらえるという大変ありがたい話でした。

 ここで、ヒロヤマガタは現実に製作されているアートの技術や創作上のポイントを把握する、ちょっとした、しかし、大切なコツとか、リトグラフの版画を安定させる東京芸大特有の技術とか、石彫り、木彫り、とかの基本的な技法など、今でもはっきりと覚えているという。

 ヒロヤマガタは次第に大胆になり、とうとう、油絵科の小磯教室や山内教室(二人とも日本の画壇に所属した)にも、スケッチブックを抱えて顔を出すようになった。もちろん無資格のニセ学生であった。

 

「だいたいああいう教室では、エライ教授はあまり顔を出さないので、適当な席に腰掛けて、知らん顔で、クロッキーの手を休めなければ、バレることはまずないんだ」という。

「教室には、モデルと学生たちしかいない時が大部分で、何も知らないモデルの女の子の中にはいつも最前列に陣取って、ものすごく熱心にデッサンに励み、作品も結構イイ線いっている僕に好意を持ってくれていた子もいたみたい。」と本気で思っていたようです。