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skycafe canser station

2012年冬に甲状腺がんと判明された道産子女子のゆるめな記録。
2014年夏から「絶対に勝たなきゃいけない戦い」に入ります。

間質性肺炎の疑いから10日ほどたって、数値も落ち着いた9月29日に化学療法を再開しました。
この日は所用で行けなかったので、母にお願いしてもらいました。

影響はなにもないとはいえ、副作用らしきものは徐々に出ています。
10月1日に退院したので、これからは再び外来での治療になります。


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横浜で働いている妹くんが連休がとれたからということで、帰省することになりました。
彼女の計画などでは、父も自宅にいてどういう様子か見ることができると思ってたのかもしれません。

しかし、9月18日に父が間質性肺炎の疑いで入院してしまったため、連休のほとんどが見舞いになってしまいました。、

入院したとき、私は彼女宛のメールに「緊急入院」と打ってしまいました。それ故に、一旦休みを前倒しで来ようかという流れになっていたのを「無理をするな」ということで予定通りになったのです。
(ほんとに申し訳ないなーって思ってます)

休みが終わるので、妹くんは横浜に戻ったのですが後日、母からこんな言葉を聞きま、した。

「私、お父さんの一番苦しい時を見ていない」

化学療法の最初の時も。
間質性肺炎だと言われた時も。
病理のための手術をした時も。
彼女は仕事の都合上立ち会っていません。むしろ、父のほうが「来なくていいいよ」という『好意』を受け取ってしまったからです。
それ故に、安定した時の時点での姿しか知りません。

そして、父のヤマイが長期戦になるということも知っていて、たまたま「こっちで仕事、というのは」という質問をしそうになりました。
私から妹くんには何の答えも聞いていません。ただ、母経由でいうと「迷った」とのこと。多分、その答えは彼女自身にあるのかもしれません。

父が退院したとき、妹くんにメールをしました。
「お父ちゃん、退院したよ」と。



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間質性肺炎だということで緊急入院となって2週間が過ぎました。
数値の方はようやく範囲内に戻り、10月1日に退院ということになりました。

参考までに、間質性肺炎について。
「呼吸」は吸った空気(吸気)を、気道を介して、肺の奥にある「肺胞」と呼ばれる部屋に運び、肺胞の薄い壁の中を流れる毛細血管中の赤血球に酸素を与えると同時に二酸化炭素を取り出すガス交換をし、それをまた呼気として吐き出す運動で、生きていくために欠かせない作業です。

間質性肺炎は、さまざまな原因からこの薄い肺胞壁に炎症をおこし、壁が厚く硬くなり(線維化)、呼吸をしてもガス交換ができにくくなる病気です。肺胞壁は保たれていても、肺の最小単位である小葉を囲んでいる小葉間隔壁や肺を包む胸膜が厚く線維化して肺が膨らむことができなくなる病態も知られるようになりました。
線維化が進んで肺が硬く縮むと蜂巣病変といわれるような穴(嚢胞)ができて胸部CTで確認されます。特徴的な症状としては、安静時には感じない呼吸困難感が、歩行中や入浴・排便などの日常生活の動作の中で感じるようになります(労作時呼吸困難)。季節に関係なく痰を伴わない空咳(乾性咳嗽)で悩まされることもあります。
長年かけて次第に進行してくるので自覚症状が出るころにはかなり病態が悪化していることが多いのですが、「急性増悪」といって、風邪様症状の後、急激に呼吸困難となって病院に搬送されることもあります。

間質性肺炎の原因には、関節リウマチや多発性皮膚筋炎などの膠原病(自己免疫疾患)、職業上や生活上での粉塵(ほこり)やカビ・ペットの毛・羽毛などの慢性的な吸入、病院で処方される薬剤、漢方薬、サプリメントなどの健康食品、特殊な感染症など様々あることが知られていますが、原因を特定できない間質性肺炎を「特発性間質性肺炎」といいます。

書店などで探してみたけど、この手の本は何故か専門書しかありませんでした。
最初に医師から診断されたとき、目の前が真っ暗になったのを覚えています。家のことをきちんとしなかったから、ということで責めたこともありました。
でも、いつまでもそういう状態に陥ってはいけないと思い、通常通りに振舞っていました。

入院当初は「鼻輪」(父いわく)をしていて、猿回しの猿のごとく繋がれた状態での移動でした。
トイレも病室内で済ませるのみ。それが3~4日たってようやく開放されました。
数値の方も最終的には範囲内におさまったことで、なんとか解決の方向になったみたいです。

ただ、頑張り過ぎるといきぎれを起こしそうなので、無理をしないようにするしかないのです。



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仕事が休みなので、父親の見舞いに行ってきました。
調子は数値的にはまだまだらしいが、診断された当初より落ちてるとのこと。
母親から預かったものをいくらかかばんに詰め込み、一時にわか雨みたいなものにふられながらも病院へ。

気が付くと外が晴れていて、何気ない話をして過ごす。
もともと体育会系だったガタイはすっかり削ぎ落ちてしまっている。体力もなくなったという。
短期間で8キロ痩せた、となると「羨ましい」と思う女子は多いけど、ヤマイが絡むとそれはどうかなって。

足なんて現代っ子みたいな細いし。
ハリが落ちたと自嘲気味にいうし。

短期間でこんなふうになるなんて誰が思ったのだろうか。

1時間ほど過ごし、そして頼まれたものを買い出しへ立ち寄る。
途中で立ち寄ったスタバでグッとこみあがってきた。

知識がない。
どういうふうに過ごすべきか、なんて書いてある本なんてどこに行っても見つからない。
どういうふうにフォローしていくべきか、自分のライフプランニングも考えないといけない。
フツーに接するというのは本人にとってすごくありがたいことだから、そういうふうにしていくつもり。これは自分の甲状腺がんの時と同じ。
ただ、短期間でこんなに嵐のように怒ることに未だに整理できていない。

また明日も顔出しに行こうか。
頼まれたものも持って行って。



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仕事が終わる頃にケータイにメールが入っていました。
母からでした。

「今日お父さん入院しました。帰りに寄ってください。来られない時は連絡を」

職場近くの某病院に止まっているタクシーで急いで向かいました。道外に住む妹くんにメールしながら。
病院について、急いで病室に向かうと予想しなかった格好の父と母がいました。
道を歩いているとよく高齢男性の人がつけている鼻のマスクでした。

「カンシツセイハイエンだって」

以前、本屋の医学書コーナーを担当していたこともありそれがどういう字を書くのか、どういった病なのか薄々感じていました。
ウイルスの一部が悪さをするというアレ。
暫くの間は酸素マスクのお世話にならざるを得ないということに。
移動も車いすになることも、という話も。

いつもどおりに接しながらも、急すぎる展開に表向きは何とかなっていても、あたまの中は混乱していて。
今日が化学療法の日(3回表)で父と母が外来に来ていたけど、医者から血液検査の結果で「間質性肺炎」と診断され。
「いつ入院なんですか?」と訊いたけど「今すぐにでも」と医者に返され。
これまで続けていた化学療法は中断、外出は保留・却下と言われ。
突然すぎることに、びっくりしてしまいました。

母と一緒に車で帰りながら、今日の経緯などを聞いていました。


そんな雨の日のことでした。



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