(『新・人間革命』第7巻より編集)
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〈操舵〉 11
「よくわかります。その列車には、うちの父ちゃんも乗っていますから」
「・・・そうらったんか。そんな中で、こうやって、一軒一軒、回って歩いてんかね。まあ、大雪が降ったのは、お前さんのせいじゃねぇすけな」
彼は、同志の誠実さを知り、次第に穏やかになっていった。そして、帰り際には、わざわざ連絡に来たことに対し、礼を言うようになっていた。
メンバーのこうした努力が実を結んで、・・・登山会の参加者が帰宅した時には、未入会の家族も温かく迎えてくれた。
しかも、長岡の同志たちの献身的な尽力の模様を聞くと、驚嘆し、それまで信心に批判的だった家族が、学会の深い理解者となったケースも少なくなかった。
豪雪禍の試練のなかで、新潟の友の団結は、一段と強まっていったのである。
この豪雪で、新潟県下では・・・ 乗客はパニック状態に陥っていた。
不安と焦燥から、苛立って喧嘩をする人も少なくなかった。・・・。
そのなかで、学会員の乗った団体列車では、皆、最後まで整然と行動していたことは注目に値しよう。
それは、長岡の同志の救援を含め、信仰の力を証明するものであったといってよいだろう。
山本伸一は、海外訪問から帰った翌日の二十八日には・・・。
その一方で、彼は二月に予定していたアメリカのケネディ大統領との、会見の準備に力を注いでいた。
彼が、なんとしてもケネディに伝えなければならないと考えていたのは、師の戸田城聖が「第一の遺訓」とした「原水爆禁止宣言」であった。