同志の絆 | くにまさのブログ

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    (『新・人間革命』第7巻より編集)

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         〈操舵〉 1

 

 吹雪が、列車の窓ガラスを激しく叩いていた。

 それは、闇のなかから、次々と襲いかかる白い魔物のようでもあった。

 

 車内のどの顔も、疲れがにじんでいた。乗客は、空腹をかかえながら、動きだす目途さえ立たぬ列車のなかで、ただひたすら、待っているしかなかった

 

 昭和三十八年一月二十四日のことである。

 

 この列車が新潟県の、ここ宮内駅に停車してから、既に十六、七時間経過していた。

 

 団体列車であるこの車内には、静岡県富士宮市の総本山に登山し、新潟駅まで帰る、新潟支部と羽越支部の会員約九百人が乗車していた

 

 ・・・。

 

 今度は、いつまでたっても、列車は止まったままであった。

 

 新潟支部長で列車の責任者であった江田金治は、輸送班の責任者とともに、宮内駅の駅長室に向かった。

 

 駅長の話では、北陸線などの随所で、豪雪のため列車がストップしており、復旧については、まったく予想がつかないとのことであった

 

 江田は、ともかく、皆の食事の手配とともに、車内での待機時間が長時間に及ぶようなら、乳幼児や高齢者を旅館に宿泊させるように、駅長の要請した。

 

 食事は駅弁を確保してくれることになったが、旅館はいっぱいであった。

 

 ・・・。

 

 もはや、駅長もなす術がなかった。

 

 江田は、なんとしても、皆の腹だけは満たさなければならないと思った。

 

 彼は、長岡支部の支部長の竹川正志に電話し、無理を承知で、メンバーの食事を手配してもらえないかと頼んだ

 

 一言に食事といっても九百人分である。おいそれと準備できる数ではない。しかし、竹川は、二つ返事で引き受けてくれた。