(『新・人間革命』第7巻より編集)
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〈萌芽〉 23
その時、伸一は、彼女のもっていた本に、「妙法に照らされ、女王の如く舞いゆけ」と揮毫し、前途を祝福したのである。
その彼女が、自ら体験を語り始めた。
ー マサコ・クラークの夫のハリーは、アメリカ軍の将校であったが、かって原爆の開発実験の折に、灰を浴びていた。
そのため体も弱く、医師からは、子どもをつくることも難しいと言われていたのである。
マサコは、昭和三十年に日本で入会したが、夫のハリーは未入会であった。
それから二年ほどしたころ、ハリーが胃潰瘍で倒れてしまった。しかし、彼女の必死の祈りが通じたのか、絶望視された夫の病は、奇跡的に回復した。
そして、昭和三十四年に、夫の勤務地がアメリカ本国に変わり、彼女も渡米して、サンディエゴで暮らすようになった。
彼女は英語はまだ上手ではなかったが、宿命転換を決意して、懸命に布教に励んだ。
それから間もなく、彼女は妊娠した。翌年七月、女の子を出産。その時、夫は日本に出張中であった。
彼女は夫に、出産の喜びを手紙に認めて送った。
ハリーは感激した。
子供の出産を契機に、夫のハリーも、信心を始めるようになった。
それから三か月後、山本会長がアメリカを訪問し、ロサンゼルス支部が結成され、そこで彼女は、会長に激励されたのである。
彼女は、その後、夫の転勤でサンディエゴからシアトルに移った。
そして、シアトルの地区担当員になったが、しばらくすると、地区部長だった女性が組織から離れていった。
事実上、地区部長不在のまま、マサコ・クラークが中心になって、活動を進めなければならなかった。