(『新・人間革命』第7巻より編集)
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〈文化の華〉 5
「なんのための教育か」「なんのために学ぶのか」との根本目的を問わず、ただ国家の経済成長に貢献する人材を輩出すればよい ー これが日本の教育の実態であったといえる。
哲人ソクラテスは、ただ生きるのではなく、”善く生きる”ことの大切さを訴えている。
経済至上主義で進む日本社会は、そうした人生の根本問題を遠ざけ、耳を傾けようともしなかったわけである。
ここに、繁栄の陰で見失われてきた、戦後日本の最大の”歪み”があった。
そこには、子どもにとって教育とは何かという視点が欠落している。
本来、教育の目的は、どこに定められるべきであろうか。
牧口常三郎は「教育は児童に幸福なる生活をなさしめるのを目的とする」と断言している。
”国家の利益”ではなく、”児童の幸福”こそ根本だというのである。
牧口は、この信念から、創価教育の眼目は、一人ひとりが”幸福になる力を開発する”こととした。
牧口は、価値創造こそ人生の幸福であり、さらに、社会に価値を創造し、自他ともの幸福を実現する人材を輩出することが、教育の使命であると考えていたのである。
彼は『創価教育学体系』の緒言で、「創価教育学」を世に問う熱烈な真情を、こう記している。
「入学難、試験地獄、就職難等で一千万の児童や生徒が修羅の巷にあえいでいる現代の悩みを、次代に持越させたくないと思うと、心は狂せんばかりで、区々たる毀誉褒貶のごときは余の眼中にはない」
そこには、子どもへの、人間への、深い慈愛の心が脈打っている。この心こそ教育の原点といえる。