ヨーロッパ広布に忘れ得ぬ・川崎鋭治 | くにまさのブログ

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    (『新・人間革命』第4巻より編集)

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       〈大光〉 2

 

 一行が空港のロビーに出ると、蝶ネクタイをした一人の日本人の男性が待っていた

 

 川崎鋭治である。彼は、学会員で、フランスが誇る研究・教育機関である、パリのコレージュ・ド・フランスの研究員をしている医学博士であった。

 

 今回の伸一のヨーロッパの旅に、通訳と案内を兼ねて、同行することになっていたのである

 

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 さらに、甲状腺ホルモンの研究を始め、アメリカに渡って、ハーバード大学附属病院で研究に励んだ。

 

 やがて、帰国し、東大附属病院に勤務したあと、甲状腺の治療で有名な大分県の別府の病院に、副院長として迎えられた。

 

 そのころ、川崎は三十代半ばになっていた。

 

 そろそろ身を固めようと考えた彼は、妹の栄美子に、友だちの中に、これと思う人がいたら紹介してくれるよう頼んだ。

 

 妹も、両親も、既に学会に入会していた。

 

 栄美子は、兄の鋭治から結婚の希望を聞くと、ぜひ学会の女子部と一緒にさせたいと思った。

 

 また、この機会に、兄も信心できるようになればよいという思いもあった。それまでにも、何度か兄に信心の話しをしてきたが、彼は取り合おうとはしなかったのである。

 

 川崎は、学会には、特に関心もなければ、偏見もなかった。宗教はなんでもよいように考えていた。

 

 ただ、彼自身、仕事では、それなりの実績を上げながらも、いつも、心のどこかに空虚感があった。

 

 栄美子が言った。

 

 「私が推薦できるのは、皆、女子部員よ。

 

 だから、お兄さんがよかったら、青年部の面倒をみてくださっている、学会の山本総務に、お会いしてお願いしてみたら・・・