(『新・人間革命』第4巻より編集)
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〈立正安国〉 29 完
開拓地とあって、どの家も小さく、柱に、無造作に板を打ちつけた、掘っ立て小屋のような質素な家である。
しかし、メンバーは意気軒昴であった。日本から送られてくる聖教新聞を、すり切れるまで回し読みしては、信心に励んできた。
そして、布教にも力を注ぎ、信心をする人も次第に増えてきているという。
「ここは作物がよく実ります。いいところです。私たちは、この国を幸せの花咲く楽園にしていくつもりです」
それが、メンバーの決意であった。そのパラグアイに、地区が誕生したのだ。
幸福と平和の波は、少しずつではあるが、着実に、世界の隅々にまで、広がろうとしていたのである。
九月に入ると、組座談会は軌道に乗り、そこで発心した友の体験が、学会本部にも、続々と寄せられるようになった。
山本伸一は、九月は、ほとんどを東京で過ごした。
十月四日から二十日間にわたる、ヨーロッパ訪問の準備があったからである。
主な訪問地は、・・・。
訪問の目的は、現地の会員の指導、大客殿の建築資材の購入・・・。
伸一が、この時、最も心を痛めていたのは、ドイツの人びとのことであった。
ー 八月十三日未明、東ドイツは、突然、東西ベルリンの境界線に、四十数キロメートルにわたって、鉄条網の「壁」を設置したのである。
突然の封鎖によって、家族、親戚、あるいは恋人同士で、離れ離れになってしまった人もいたであろう。
イデオロギーが人間を縛り、人間を分断させたのである。
伸一は、ヨーロッパ訪問を前に、一人誓った。
”今こそ、人間と人間を結ぶヒューマニズムの哲学を、広く人びとの心に、浸透させていかなくてはならない。世界の立正安国の道を開くのだ・・・”