夏休みのミニイベント―アムネスティとコラボ&「卒業論文・修士論文」構想報告会 | スクール・ダイバーシティ

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成蹊高校生徒会の1パートとして活動しています。あらゆる多様性に気づく繊細さ、すべての多様性を受け止める寛容さ、疎外や差別とは対極にあるこんな価値観を少しでも広く共有したいと思って活動しています。

 なんだかこのあたりは、雨ばかりの夏になっていますが、まあ、それでも、夏休みということで、普段はなかなかできないような集まりを実現できたり、予定できたりしています。今回は、そんなイベントを二つ紹介します。

 

*座談会「アムネスティ『Love Beyond Genders』キャンペーンとスクール・ダイバーシティをつなげる」

 アムネスティのジェンダーチームが進めている「Love Beyond Genders」キャンペーンに、わたしたちスクール・ダイバーシティもいっしょに取り組もうということで、この夏休み、アムネスティ日本の事務所におじゃましてプランの具体化を進めてきましたが、「座談会」の開催と文化祭でのコラボが決まりました。座談会は8月24日@成蹊高校、アムネスティからキャンペーンの担当の方に来ていただきます。テーマは今のところこんな感じで考えています。

 

1.活動紹介――アムネスティ「Love Beyond Genders」キャンペーンとスクール・ダイバーシティ

2.「男らしさ」「女らしさ」という規範によって生まれる生きづらさ――東京で暮らす高校生の視点から

3.セクシャルマイノリティが経験する生きづらさと具体的な状況――世界各地の状況と当事者の声

4.「人権を保障する」という視点から、わたしたちにできること

 

 ここでの議論を、文化祭での展示&トークライブにつなげていければと考えています。なお、アムネスティ「Love Beyond Genders」キャンペーンについてはそのHPをぜひ!

http://www.amnesty.or.jp/lp/lbg/

 

 当日の内容については、またあらためてレポートしたいと思いますが、セクシャルマイノリティについても、ジェンダー一般についても明るい話題ばかりが交わされるわけではないことは、明らかだと思っています。この点に関して先進的と言われる地域と、まったくそうではない地域の現状は気が遠くなるほどかけ離れているし、日本社会についても、近年さまざまな問題が認知されつつあるとはいえ、いかにも中途半端な状況にあると言わざるを得ません。そんななか、アムネスティのキャンペーン担当の方から、「東アジアにおけるセクシャルマイノリティ現状」という枠組みの提案を聞きました。台湾における同性婚承認は大きなニュースだったし、東京レインボープライドの主催者のみなさんが、韓国や台湾のプライドイベント主催者グループと交流を重ねているという話も聞いています。この「東アジア」という枠組、なにか現実的な足掛かりになりそうな気がするのですが、どうでしょう。

 

 当日は、さらにこんなテーマについても話し合うことになると思っています。それは、マイノリティに寄り添うというスタンス、マイノリティが被る理不尽を問題化するような態度自体が、場合によっては反発を招く、という現実とどう向き合うかということです。ヒューマンライトな活動やダイバーシティな活動が、何かの偽善ととらえられたり、それゆえ遠巻きにされるような空気が、ここ日本にも濃厚に漂っています。つまり、活動の「正義」が「正義」であるがゆえにまとってしまうある種のあつかましさみたいなものに、活動の主体自身がより繊細にならなければならないという現実のただなかにわたしたちはあるということで、これまでも折にふれて取り上げてきたテーマではありますが、そんな現実が生み出されるメカニズムみたいなものにも注意を払いたいし、そこにどう働きかければいいのかということについても考え、学ばなければならないということです。

 

 で、そうであれば、わたしたちは、こういった分野の学問的な知見についても広く深く目を配る必要があるでしょう。そんなわけで、ここで紹介するもう一つのミニイベントは、先日行われた、勉強会「卒業生による卒業論文・修士論文中間報告を聞こう」です。高校生から、大学生、大学院生、教員まで、少数ずつですが幅広く集まって、たっぷり半日、頭を使いました。ここでは報告者によるコンパクトなまとめをあげておきます。

 

*大学生(卒業生)による卒業論文中間報告

 今回の報告は「脱形式化(Informalization)」の概念の説明を出発点とした。この概念は現代までに人間関係と自己抑制のルールが弛緩されてきた歴史的過程を指すが、そこに生きる我々は、答えのないルールのもとで他者の期待を何度も先回りしながら敏感に察知して――それでいてその必死さが表にでないように――行動しなければならないという帰結も暗示している(例えば「変顔」を要求される状況など)。そこで、こうしたルールに準じたふるまいを「自然に身につけている」人と「意識しなければできない」人の間にある埋めがたい溝がある一方で、こうしたルールが例えば「コミュ力」といった形で社会的地位達成に不可欠の要素としてますます要求されてきているという見取り図を示した。

 

*大学院生による修士論文構想報告

 私の大学院での研究テーマは、「20代サラリーマンにおけるサラリーマン像と男らしさ(男性性)、その関係性について」です。私は学部時代、男性学に関心がありました。男性学とは、男性を「ジェンダー化された存在」としてとらえ、これまで「あたりまえ」とされてきた「男らしさ」に疑問を呈し考察する学問のことです。そして私の研究の問いは、これまで「社会の標準」とされてきた「サラリーマン」を20代の彼らはどのように捉え、そして「男らしさ」とどう結び付けていったのか、です。私は「社会の標準」として今でもそれは機能し彼らにとって「男らしさ」を測る物差しと成り得る、という立場に立ちながらフィールドワークやインタビュー調査を中心にこの研究を進めていければと考えています。

 

 いずれも、どの世代にとってもピンと来るようなテーマ設定だったこともあり、ちょっと驚くくらい活発に議論が重ねられました。どうでしょう、このブログを読みに来るような誰かであれば、この短いまとめを読んだだけでも、議論の盛り上がりをイメージできるのではないでしょうか。

 

  わたしたちスクール・ダイバーシティは、校内の、高校生だけのグループではありません。在校生も卒業生も教員も、それらのどれでもなくても、その目指すところに共感して活動にかかわる限りグループの一員です。座談会「アムネスティ『Love Beyond Genders』キャンペーンとスクール・ダイバーシティをつなげる」や、「卒論・修論勉強会」なんかは、小さなイベントではありますが、こういったわたしたちのスタンスを象徴するイベントだと思っています。ではまた。