去年、骨折した際にドミニカに来て初めて病院に通う機会がありました。
そこでは日本では見慣れない風景があったのですが25-35歳前後の娘さんが
母親の手をひいて病院や医者、リハビリセンターに通う姿を多く見ました。
日本では母親が娘を連れてというのはよくあるパターンですが逆のパターンは
あまり見ないので何故か印象的でした。
そう思ってよく見てみるとたとえば郵便局で海外からの荷物を待っていた時も
娘さんと母親が来ていて母親はお金を持ち合わせておらず娘さん(と言っても25歳ぐらいだと思いますが)
が払っていました。
これもよく考えると日本ではあまりない光景だなと感じたりしたのですが
ドミニカ共和国の歴史を改めて紐解くとちょっと納得させられたりもしたのです。
そこでは日本では見慣れない風景があったのですが25-35歳前後の娘さんが
母親の手をひいて病院や医者、リハビリセンターに通う姿を多く見ました。
日本では母親が娘を連れてというのはよくあるパターンですが逆のパターンは
あまり見ないので何故か印象的でした。
そう思ってよく見てみるとたとえば郵便局で海外からの荷物を待っていた時も
娘さんと母親が来ていて母親はお金を持ち合わせておらず娘さん(と言っても25歳ぐらいだと思いますが)
が払っていました。
これもよく考えると日本ではあまりない光景だなと感じたりしたのですが
ドミニカ共和国の歴史を改めて紐解くとちょっと納得させられたりもしたのです。
この国は1970年代までは中南米の歴史でも有名な独裁者であったトルヒーヨから
ボッシュの政権を経て更にバラゲルの時代まではまさに
独裁と内戦、暗殺の歴史を繰り返していました。
歴史的には1986年にバラゲルが勝利をしてそこからがドミニカ共和国の新たな
民主制の歴史が始まり現在にいたるまでの
過程で一連のつながりなのかなと思う時があります。
ボッシュの政権を経て更にバラゲルの時代まではまさに
独裁と内戦、暗殺の歴史を繰り返していました。
歴史的には1986年にバラゲルが勝利をしてそこからがドミニカ共和国の新たな
民主制の歴史が始まり現在にいたるまでの
過程で一連のつながりなのかなと思う時があります。
長期の数年先のドミニカの為替予測が立てられないかなと思い、計算をしてみたことがありましたが
1985年ぐらいからしか計算をスタートできずにそれ以前の資料が全然手に入らなかった
経験があるのですが上記の歴史をあらためて見てみると1985年前は
独裁や財政難の時代だったのかなと想像したりも。
ドミニカ共和国という国自体が
1986年以前と以後の時代で教育も含めて
大分変って行っていったひとつの大きな転換点だったのかなと想像しました。
1985年ぐらいからしか計算をスタートできずにそれ以前の資料が全然手に入らなかった
経験があるのですが上記の歴史をあらためて見てみると1985年前は
独裁や財政難の時代だったのかなと想像したりも。
ドミニカ共和国という国自体が
1986年以前と以後の時代で教育も含めて
大分変って行っていったひとつの大きな転換点だったのかなと想像しました。
そう考えると大体ドミニカはそこから28年が経つのですが1986年という
時代の転換点から民主制にようやく移行し始めて政治、経済が落ち着いてその
数年後に生まれて民主制時代に教育を受けることができた世代が
今、大体25歳-35歳前後になってきている。
日本でいう所の高度経済成長を支えた団塊の世代みたいな感じでしょうか。
病院やリハビリでこの世代が母親の手をひいて連れて来ていたりするのを
見ていて改めてこの国は若い国なのだなと感じたのです。
時代の転換点から民主制にようやく移行し始めて政治、経済が落ち着いてその
数年後に生まれて民主制時代に教育を受けることができた世代が
今、大体25歳-35歳前後になってきている。
日本でいう所の高度経済成長を支えた団塊の世代みたいな感じでしょうか。
病院やリハビリでこの世代が母親の手をひいて連れて来ていたりするのを
見ていて改めてこの国は若い国なのだなと感じたのです。
統計で見てもドミニカ共和国は確かに世界でも若い国のひとつで国の
人口構成の中央値は25歳と典型的な若者社会です。
(比較として日本は45歳近く「ポスト成熟社会」に位置している)
30歳以下の年齢層が60%を超えて人口比率が若い層に集中している
国のひとつだ。
人口構成の中央値は25歳と典型的な若者社会です。
(比較として日本は45歳近く「ポスト成熟社会」に位置している)
30歳以下の年齢層が60%を超えて人口比率が若い層に集中している
国のひとつだ。
海外からの移民も増えていてVISAの規制もそんなに厳しくない。
(実質的には日本人の場合は不要だ)
そのため隣国の中南米や近くの北米だけでなく
ロシアやその他の欧州などからの移民も急速に増えていて
サントドミンゴで生活していてもその人口の増加と比例して
少しづつ中心から西に向かい住宅建設が進んでいると同時に東エリアでも商業地区が増えている。
自分が来た頃は750万人だった人口も最近は1000万人を超えた。
(実質的には日本人の場合は不要だ)
そのため隣国の中南米や近くの北米だけでなく
ロシアやその他の欧州などからの移民も急速に増えていて
サントドミンゴで生活していてもその人口の増加と比例して
少しづつ中心から西に向かい住宅建設が進んでいると同時に東エリアでも商業地区が増えている。
自分が来た頃は750万人だった人口も最近は1000万人を超えた。
写真はアゴラモールから見たサントドミンゴの風景ですが
建設が進み競い合うように商業ビルや高層マンションが立ち並んでいます。
建設が進み競い合うように商業ビルや高層マンションが立ち並んでいます。
自分がドミニカ共和国に来て9年が経ちました。ちょうどドミニカに来たばかりの
頃、何人かの年配の方に「サントドミンゴは本当にすごく変わった。道路には新しい車がたくさん走るようになって
キレイなマンションやショッピングモールが増えたね」と皆さんが驚いていたのを
覚えているがそこから9年経ちましたがサントドミンゴの
風景はこの9年だけでも劇的に変わっていきました。
頃、何人かの年配の方に「サントドミンゴは本当にすごく変わった。道路には新しい車がたくさん走るようになって
キレイなマンションやショッピングモールが増えたね」と皆さんが驚いていたのを
覚えているがそこから9年経ちましたがサントドミンゴの
風景はこの9年だけでも劇的に変わっていきました。
ビジネスや投資上の外国人に対しての法律も10年前と比べて規制が緩和されており
自分が来るちょっと前ぐらいの時代は株式の51%はドミニカ人でないといけなかったのがその後緩和されて
自分が来た後は、株式比率の規制はなくなりドミニカ人の株主を7人集めれば誰でも会社が作れるという
法律になっていきました。(それで自分も知人のつてで株主を7人集めた記憶がありますが。。。)
その後、更に数年前にはこれらの規制も撤廃されて資本金を1000ドル?前後用意すれば外国人でも
会社が作れるようになりました。
自分が来るちょっと前ぐらいの時代は株式の51%はドミニカ人でないといけなかったのがその後緩和されて
自分が来た後は、株式比率の規制はなくなりドミニカ人の株主を7人集めれば誰でも会社が作れるという
法律になっていきました。(それで自分も知人のつてで株主を7人集めた記憶がありますが。。。)
その後、更に数年前にはこれらの規制も撤廃されて資本金を1000ドル?前後用意すれば外国人でも
会社が作れるようになりました。
このように投資やビジネス環境自体は年々開かれていっていると思いますが
それ以上にドミニカは魅力かなと思うのがやはり国自体が若いので全体的に
誰でもビジネスに対してはアグレッシブな気がします。
ビジネスに失敗してネガティブな目線で見られるとかこの国でやっていてそういうことは
ほとんどないです。
皆、チャンスがあれば独立して何かをやろうという人たちが多いですしそういう
チャンスある話にかなり食いついてお金を出す人たちもいます。
(そうして失敗する人も多いのですが。。。)
女性の多くも何らかのビジネスを自分で持っていたりする人が多いです。
ビジネスを持つというのは何も大規模な開発とか会社の立ち上げとかではなくても
個人レベルで洋服を販売してみたり美容院を小さな家のスペースを使い開いたり、
またはネットワークビジネスに参加していたりいろいろなことをしている人たちが
多いです。
それ以上にドミニカは魅力かなと思うのがやはり国自体が若いので全体的に
誰でもビジネスに対してはアグレッシブな気がします。
ビジネスに失敗してネガティブな目線で見られるとかこの国でやっていてそういうことは
ほとんどないです。
皆、チャンスがあれば独立して何かをやろうという人たちが多いですしそういう
チャンスある話にかなり食いついてお金を出す人たちもいます。
(そうして失敗する人も多いのですが。。。)
女性の多くも何らかのビジネスを自分で持っていたりする人が多いです。
ビジネスを持つというのは何も大規模な開発とか会社の立ち上げとかではなくても
個人レベルで洋服を販売してみたり美容院を小さな家のスペースを使い開いたり、
またはネットワークビジネスに参加していたりいろいろなことをしている人たちが
多いです。
我が家にも同じマンションの女性がしょっちゅう
うちの奥さんに洋服やらアクセサリーやら販売に来てリビングでヤイヤイ盛り上がっている。
日本だと「何かあの人しょっちゅう
モノを売りに来ていてあやしい」みたいになりそうだが
この国でそんな空気にはまずならない。
このビジネスに対してのとらえ方の違いは大きい。
うちの奥さんに洋服やらアクセサリーやら販売に来てリビングでヤイヤイ盛り上がっている。
日本だと「何かあの人しょっちゅう
モノを売りに来ていてあやしい」みたいになりそうだが
この国でそんな空気にはまずならない。
このビジネスに対してのとらえ方の違いは大きい。
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ドミニカブログで知ろう!生のドミニカ共和国情報
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<エントリー6>
ベンちゃんのドミニカ生活(看板や道端を走る車などを見た際のドミニカを見る視点が面白い)
http://bentian-dominica.cocolog-nifty.com/blog/
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(株)リクルート / AB-ROADで
ドミニカ共和国、カリブ海のABガイドとして記事を書かせて
もらっています。
ブログでは書かれない観光情報等、内容が満載なのでぜひ
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