6/1(土)は…出雲大社&貴船神社真菰神事が行われます!
また,6/1は…神様衣替えです。

私達のご身(神)体も,マコモ等でしっかりお掃除(=浄化)して,細胞をリニュアル(新陳代謝)させ,衣替えをしましょう♪

 

■【1】【霊草:真菰歴史】

【真菰(まこも)は…

➊地球上めて誕生した植物

「【真菰】は今から六千万年~一億年間も現在と同じ姿で生育していることから,これほど長い間,姿かたちが変わらない植物は他にないので,地球上に初めて誕生した植物は【真菰】だったのではないか?」とも言われています。

➋縄文時代の生活必需品
縄文時代,「真菰」は日本人の暮らし(衣食住),すべてに渡って欠かせない存在でした。

(縄文時代中期の遺跡からも発掘されています。)
稲が渡来する以前から日本列島に広く自生している植物で,我々の祖先が活用し,残した文化が今も伝えられています。
「真菰」の実や新芽等は…食料となり,縄文時代には主食として食べられていた穀物なのです。
干した真菰の葉は…ゴザにもなり,蓑笠など様々な生活用品として利用されていました。
萱ぶき屋根には,実際は萱だけでなく,葦や真菰も使われていますし,ワラ即ち,稲が我が国に入る前は,このように真菰を乾燥したものがいろいろな場面で使われ,生きていく上で必要不可欠な存在となっていたのです。

 

➌平安時代…心身と整えるために活用
平安時代初期の最古の薬物書にも真菰は登場し,食物として漢方として,民芸品装飾品として,心身と整えるために,真菰は使われてきました。

また,【生命力が強く,古代の霊草】といわれる所以でもあります。

 

現在も…霊草として,神社や天皇家のに使われています。
「古事記」や「日本書紀」にもその名が登場しており,神事,仏事に使われることから「神草」とも言われています。
その名残なのか,今でも伝統を重んじ,歴史を尊ぶ行事などに【真菰】は使われ,その後の時代の変遷とともに,手軽にワラが入手できるようになり,逆に真菰が簡単に入手できなくなっても,日本人には切ってもきれない縁のある植物なので,真菰の地位は揺るがないまま,現代に至り,いつしかなる草・癒しの草・霊草として扱われるようになったものと考えられます。

 

■【2】【霊草:真菰神事&仏事での活用例】

➊[神事用]…①注連縄(茎葉),②茅の輪(茎葉),③葉薦,➃神事
①[注連縄]出雲大社(数十mもの大注連縄)]や[氷川神社]等では,[真菰]で作られています。


②[茅の輪]…[神田明神]…6月30日:『夏越大祓式』…[真菰で編んだ茅の輪]をくぐらせ、無病息災を願う行事です。
③[葉薦(はごも)…日本全国の神社で敷物として使われる葉薦は真菰で出来ています。
奈良の春日大社では,宮司が寝所で休む布団の下に,真菰の薦を敷く習わしが今も行われているそうです。


➃神事…真菰の神事は各地の神社で行われています。
⑴[出雲大社]

㈠6月1日:神様の衣替え『涼殿祭(すずみどさい,別名:真菰祭り真菰の神事)』…参道に真菰を敷き,真菰を踏んで歩かせ,無病息災を願う古式ながらの行事です。
6月1日)9時からの御本殿での月始祭に続き,「出雲の森」で「凉殿祭」が行われます。
境内荒垣より東方へ約100mの場所にあるのが「出雲の森」で,椋の大木が御神木としてお祀りされています。

この凉殿祭の神事では,祭場の出雲の森から境内の御手洗井まで,神々は國造の奉持する大御幣に宿られ,道筋には,白砂が盛られ,神職によって敷かれた青々とした真菰の上をお渡りになられます。
その上を國造が歩むや否や,参列者は一斉に踏み歩かれました真菰を競ってもらい受けるのです。

このことから凉殿祭は「真菰の神事」とも呼ばれ,この「真菰」を頂くと病気にかからぬとの信仰があります。

もらい受けた真菰を風呂に入れると,無病息災のお蔭があり,また,田畑に埋めると,五穀豊穣のお蔭があるというのが古くからの言い伝えです。

祭典では,この椋の大木の前に祭場が設けられ,粢団子(しとぎだんご)と醴酒(ひとよざけ)が供えられ,國造は祝詞奏上の後,御幣を奉持し,銅鳥居横の御手洗井(みたらしのい)に至り,黙祷祈念を行います。
この出雲大社にとって,“真菰”は下記のように,切っても切り離すことのできないものです。
㊀神様が降臨する場所(出雲大社本殿や摂社を囲む注連縄)は,必ず真菰が使われている事(結界の意)
㊁現代に伝えられて来た出雲神話には,度々真菰が登場する事
地上の土を踏む事の無い神様が,唯一,真菰の上なら歩くことができる事(真菰祭)
㊃真菰が霊草(尊く不思議な働きのある草)として言い伝えらえられている事
葦原中国(日本の原風景であり日本列島)は真菰,葦などの繁茂する原を意味する事

㊅真菰には,無病息災を初め,五穀豊穣の御蔭をいただく信仰があります。
など他にも挙げれば枚挙にいとまがありません。
出雲地方では出雲大社の涼殿祭をもって衣替えをするそうです。

8月14日『見逃(みにげ)神事』真菰を藁苞(わらづと)のように加工した苞(しぼ)という物を神職が手にして神幸を斎行します。

⑵貴船神社…貴布禰御更(ごこう)祭り,別名,虎杖(いたどり)祭り…
毎年6月1日に行われる貴船神社(京都)の例祭です。
本宮での祭典から始まり,雅びやかな舞楽が奉納されます。

その後,神輿が本宮を進発,奥宮へと向かいます。
奥宮では,子供達が神石「船形石(ふながたいわ)」に,千度詣りを行ないます。
この後,「奥宮例祭(神事)」(ヤマタノオロチ退治神話を再現した出雲神楽)が島根県の貴船神社・出雲神楽団により奉納されます。
㈡『御更祭(ごこうさい:古い文献では「御神祭」)』とは…

御更衣祭のことで,文字通り,神様にお召し物を替えていただく祭儀で,「勅使御差遣の儀」があり,本宮・奥宮の両殿御内陣に,新しい神御衣(かんみそ:神様がお召しになる衣服=御神衣)を献進されていました。
また,兼ねて本殿の御掃除の神事でもあります。

(「御掃除祭」は御更衣祭に引き続き齋行します)
御更衣祭は明治維新以前は旧暦の4月1日(朔日〈ついたち〉)と11月1日に例祭(最も大切な祭儀)として,丁重に執り行なわれていました。
旧暦4月の祭儀の頃は,貴船神社付近の山間に虎杖が繁茂し,神職らが摘んでその多少を競い合ったことから,俗に「虎杖祭」とも呼ばれていました。
中古より賀茂別雷神社(上賀茂神社)の第二摂社としての存在を強いられたため,祭祀も賀茂別雷神社の神職らによって奉仕されました。
前日禰宜(ねぎ)の館で,勧盃の儀(神饌庖丁式)を行なって,神饌を調理し,当日それをそなえ,奉幣し,終わって後,奥宮以下摂末社を巡拝,帰途,山の残花をとって,頭にさし,市原野の馬場で歌を唱えます。
秘歌は…四月の祭には…「葦原田を取まとひて よく植ゑて 足引のあはれ駒なり」
十一月の祭には…「紅葉に 木綿四手鬘取添へて 祈る心の色そみてける」と歌われました。
平成13年4月1日,「御更衣祭」本来の意義を伝える旧儀に復し,実に53年ぶりに祭祀の復活を遂げそうです。

㈢貴船神社とは?
貴船山の麓,鞍馬山の西ノ谷に,水の供給を司る神として祀られました。

社伝よれば…

㊀闇(くら)龗神(船玉神),罔象女(ミズハノメノ)神,国常立神,玉依姫神,天神七代地神五代,地主神とも云われています。
㊁創建年代は…明らかではなく,第18代:反正天皇が奥宮の水の湧き出す所に社殿を建立,御鎮座伝説がある古社で,社殿は,1055(天喜3)年,この地に移築されました。 
水の神様であることから,地域名の貴船「きぶね」とは読まず,「きふね」といいます。
㊃社名の由来は…玉依姫命が大阪の淀川から鴨川をさかのぼり,貴船口から貴船にたどり着いたとされる黄色い船が船形石に覆われていると伝えられていて,「黄色い船から黄船になった」とも言われています。
古くは貴布祢(禰),黄船,木船,貴船,木(樹)生嶺(根),気生根(零)等いろいろと記されてきましたが,1871(明治4)年「貴船」神社と改められました。
㊄貴船神社は現在の奥宮の地にあり,1055(天喜3)年に現在地に社殿を移したといわれていますが,社殿の下に神井があり,京都盆地の水源神信仰より発した神社です。


㊅御鎮座伝説に…「川のそばから水の湧き出る所があり,そこに一宇を設けた」とあり,現在は水は涸れていますが,今も奥宮本殿の下は【龍穴】といって大きな穴が開いています。
大和の室生龍穴や備前のそれと共に,日本三大龍穴の一つとされています。
本殿の下に,龍穴があるので,本殿の修理に際しては,「附曳神事」というのが行われます。
先ず本殿の西に手広い菰を結び付け,氏子一同烏帽子浄衣の白装束で,本殿を東の権地に引移します。
そこで龍穴は自然に真菰で覆われます。
龍穴は…人目を忌(い)みますので,しめ縄でをくくり,竣工の時,まずそれを解き,本殿を旧位置に復して正遷宮の儀に及びます。
伝説によると,文久年間の修理の時,大工が誤ってノミを龍穴に落としたところ,晴天俄かに墨の如くなり突風が吹きすさんで,ノミを空中に吹き上げたと云われています。

ここでも神事は真菰を使います。

 

⑶[薦(こも)神社](大分県中津市)…全国八幡宮の総本宮である[宇佐神宮]の祖宮
宇佐の地は畿内や出雲と同様に早くから開けた所で,日本書紀の【比売大神(宗像三女神)】は,筑紫の宇佐嶋(宇佐の御許山〈おもとさん:大元山〉)に天降られ,…」との記述により、【宗像三女神の降臨伝承地】として,確固とした地位を築き,八幡神が現われる以前の古い神:[地主神]として宇佐宮に祀られ,崇敬されてきました。
・[比売大神]は…最初,奈多海岸の沖合約150m(奈多宮から約250m)の[市杵島]降臨したとも伝わり,この嶋の岩礁上に小鳥居が建っていますが,この島は[奈多(八幡)宮]の元宮とされています。
○6年に一度,ご神体【薦枕】を作り替える『行幸会(ぎょうこうえ「薦刈」)神事』があり,真菰の群生する【三角(みすみ:御澄)池】はご霊池とされています。

薦は真菰を指しています。
ここで古い【薦枕】は…一度[奈多宮]に納められた後,海に流されます。  
※【薦枕】は…[真菰]を束ねて作る枕が,普通のそれより高いことから,“高”にかかる枕詞で,【高皇産霊神(高木神)】を指すと云われています。
実際に,【高皇産霊神】は…宗像三女神の祖父神で,父が【(八意)思金神】(知恵,思慮分別を一身に兼ね備える神,高皇産霊尊の子:万幡豊秋津姫命〈妹でニニギ尊の母〉で,母が【天照大神】と云われています。

画像はhttps://snaplace.jp/komojinja/
⑷[伊勢神宮]…毎年7月の梅雨明け頃:「真菰の刈り取り神事」… 葉薦をつくるための行事。  
⑸[鵜戸神社](宮崎県日南市)…本殿を改修する際に、御霊を移す道筋に白布と真菰が敷かれ、その上を神官が御霊を捧げて進む神事が夜幕で囲った中でしめやかに行われるそうです。


⑹[皇室行事]

㊀大嘗祭[坂枕],[八重畳],[葉薦(はごも:日本全国の神社で使われている[真菰]で編まれた敷物)]

[大嘗祭]とは新天皇が即位して最初に行なう[新嘗祭]のこと。

(※令和元年11月14日は[大嘗祭])

(写真:天皇が真菰カーペットの上を裸足で歩いています)

○大嘗祭の時の[悠紀殿]の内部は?
[悠紀殿]には…南枕に[布団(衾)]が敷いてあり,沓と沓を載せる台も布団の北隣に置いてあります。

【真菰4点セット】
・神座(かみくら)の八重畳(やえだたみ)…真菰の茣蓙を八重に重ねたもの

・【坂枕(さかまくら;枕の方が高く床が斜めになっている傾斜のついた薦[こも=真菰]枕)】…神座の八重畳の上

・御座と神座も真菰です。

皇室の大嘗祭で真菰がかなり使われていて,重要なシーンに使われていますので、ビックリします。

㊁昭和天皇が崩御され、そのご遺体を納めた棺の下に真菰がび

っしりと敷き詰められ、運ばれました。

大嘗祭の詳細は↓

⑺[古事記]
㊀倭建命(やまとたけるのみこと)が東征の際,弟橘姫(わとたちばなのひめ)が入水の下りに、「海に入らんとする時に,菅畳八重,皮畳八重,絹畳八重を波の上に敷きて,その上にくだりましき」…菅畳八重=[真菰の八重畳]
㊁神武天皇の御歌…「あし原の しけき小屋に菅畳いやさやしきて我二人ねじ」…菅畳=[真菰の畳]、
あし(よし)原=ⅰ真菰や葦が生い茂っている原。ⅱ日本国の異称。ⅲ女性の陰毛,性器をいう俗語。


⑻その他

大分の宇佐神宮、千葉の香取神社等,全国に8万社とも10万社あるとも言われる神社の神事には,必ずといってよいほど真菰が使われています。 

 
※真菰と日本人の関わりは神事だけではなく、仏事にも大きく関わりがあるのです。
○➋[仏事用]…盆ござ(茎葉),カヤカヤ馬(茎葉),精霊舟(茎葉)。
お釈迦様が真菰で編んだ筵(むしろ:寝床)に病人を寝かせて治療されたという仏話があり,これが日本に伝わり,お盆に真菰で編んだ「盆ござ」「盆舟」を奉げるようになったと云われております。
ちなみに、お釈迦様の台座は蓮の花ですが,蓮の花はマコモ属です。
1970年代迄は…各地に残っていた真菰で編んだ馬や精霊船等を作る風習も,どんどん廃れていきました。

 

■【3】【霊草:真菰から生まれたマコモ微生物】

一方、植物の根源とも言われる霊草:真菰から新しく生まれる【マコモ微生物】は…約45億年前,地球の誕生した時,引力によって小さな微惑星が衝突を繰り返し,原始地球はマグマの海に覆われた灼熱の世界で,かつ,酸素がない世界だったので,一部の科学者の間では,「この無酸素と高温に耐えられる不死身の単細胞の耐熱菌(微生物)は,地球上で(約39億年前)一番最初まれた生命体再来ではないか?」と言われています。
また、「【マコモ微生物】を研究すれば,地球上に初めて生命が誕生した時の神秘を解明できるのではないか?」とも言われている位,【マコモ微生物】は凄い菌(=微生物)なのです。

 

★➊マコモ微生物とは?

霊草真菰に特殊な施しをして,新しく生まれた(蘇生した)微生物が,リバーヴ様[マコモ]です。

[マコモ]は,心身魂ともに浄化してくれ,中庸にバランスしてくれる優れものです。

⑴マコモは植物の真菰から蘇生した[微生物]です。

 

,心身魂ともに浄化して,元(中庸)す働きがあります。

(病気⇒健康,酸性・アルカリ⇒中性,瘦せすぎ,太り過ぎ⇒普通…)

無酸素,高温時の地球創生時に初めて生まれたイノチと云われている凄い微生物なのです。

1万年以上も平和で調和した時代:縄文時代の私達の祖先の原日本人は,大自然の営みから生まれた事物すべてを[神]として崇めてきました。

そして,大自然の営みを支えている微生物を[根本神]として,崇めてきました。

マコモ微生物は古事記の造化三神の後に出現した[ウマシアシカビヒコヂの神]と云われています。

古事記の元になったカタカムナの第八首にもマコモが登場します。

『ウマシタカカム アシカビヒコ トコロチマタノ トキオカシ』

[意味]生まれ示される潜象から現象に現れ出でたる現実的な力(=アシカビ=マコモ微生物=イノチ)のように,行きつ戻りつしつつも,ジワジワと,トコロの千(チ1000)の又(マタ)に枝分かれする様に縦横に広がっていくのがトキであり,とても興味深いです。

※カタカムナ(上古代の日本)人は「マ(=間)の中に,時間と空間(所)があり,時がなければ所はなく,所は時なしにはあり得ない」という[時空の可逆性に対する感受]があったようです。

 

★➋[マコモ微生物]の発明

①[マコモ微生物]も水鳥のグチャグチャと『口噛み真菰』をしている風景から,[小野寺廣志](小野寺会長のお父)様が発明致しました。
小野寺様の生まれ育った宮城県登米地方は,北上の美しい丘陵,緩やかな流れ,大小の湖沼,そして,清澄な空気と、自然の恩恵に恵まれた所で,平地の田園は穀倉地帯として知られ, 冬季には,白鳥を初め,数え切れない程の渡り鳥が飛来する所です。  

こんな環境の中で,自然児として育った彼は, 沼の畔で動物、水鳥、魚達とたわむれる毎日でした。 
彼が10歳にも満たないある日のこと, いつものように近くの沼の岸辺に行くと,ハンターに翼の根元を撃たれた1羽の水鳥がいました。

その水鳥はぐったりしている様子もなく, 何かをガツガツ,グチャグチャと岸辺に生えている草のようなものをちぎっては,噛みほぐし, それを傷口に運んで詰めているのです。 

その後も,彼はその観察に明け暮れていましたが, 水鳥は同じ仕草を何度も繰り返し, とうとう傷を癒し, 日本武尊のように,空高く飛び立って行ったのでした。 
水鳥が傷口に詰め込んでいた草こそが【真菰(まこも)】で,真菰をグチャグチャと[唾液]で噛みほぐすこと(=『口噛み真菰』)によって,草の真菰からマコモ微生物に生まれ変わっていたのです。

インドでも,お釈迦様が真菰が主食の白象の大便をヒントに,マコモ微生物を発見し,病人にマコモ微生物を投与し,病気治しをしていました。

②この秘伝のマコモ微生物の蘇生法は…ブッダ⇒三蔵法師⇒恵果⇒空海⇒,小野寺廣志さんと引き継がれていきました。

 

➌イベント

その凄い菌(=微生物)【マコモ菌】や【真菰】について、お話しさせて頂くイベントを開催致します。

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★「元へかえる」マコモの小野寺会長のzoom無料お話会
○[日時]5月26日(金)19時30分~21時 
○[参加費]…無料

★zoomで開催

申し込みは↓下記平井までお願い致します。

↓下記アドレスから申し込みください。

【メール】habiroader@yahoo.co.jp 

電話…070-6439-3695

☆ お声がけを図書館カフェ平井が行い,zoomのホストはリバーヴ様にして頂きます。

前日の夕方までに当日のzoomログインIDをご案内致しますので,今しばらくお待ちくださいませ♪

当日は19時25分から入室出来るようにしますので、

よろしくお願いします。

イベントの詳細は↓

 

(写真は2019年9月9日:重陽の日に行われた小野寺会長の誕生日の写真)

下記にマコモ(菌)と真菰について詳しく書いてありますので、是非、読んで下さい。

★秘伝の妙薬【マコモ菌】の原料の★霊草【真菰】について

https://ameblo.jp/skmhirai/entry-12436008461.html

★元にかえる秘伝の妙薬【マコモ菌】について

https://ameblo.jp/skmhirai/entry-12436008461.html