2026年2月20日経営フォーラムの続き、坪内さんの基調講演が終わった後は、第一分科会で長野同友会の有限会社テヅカ精機の代表取締役 手塚良太さんの報告を聞いた。手塚さんの会社の所在地である長野県木曽町は中山道の宿場町として古くから栄えていた町であり、手塚さんの家はテヅカ精機のホームページから引用すると「手塚家の祖先は遥か平安時代末期まで遡る。平家物語にも出てくる戦国武将「手塚太郎光盛」である。また、源義経に滅ぼされる悲劇の武将、旭将軍源義仲(木曽義仲)、最後の四騎の一人でもあります。代々手塚家ではその名前から、太郎の太の字を長男につける慣わしがあります。」ということである。手塚さんは47代目の当主だそうである。(ちなみに木曽節で有名な木曽の御嶽山は日本で二番目に高い山だとこの日の手塚さんの報告の前振り部分で知った。)
手塚さんの報告も坪内さんの講演に負けず劣らずというか、坪内さんのお話はちょっと凄すぎて身近に感じ難いところがあるが、手塚さんはかなり私自身考えさせられるものがあったので、当日のことをあやふやな記憶をたどりつつレポートする。

手塚さんは2012年同友会に入会したのだが、実は26歳まで名古屋でバンド活動をしていたそうでそれを辞めて父親の会社を継ぐために帰郷したそうだ。いきなり会社のあとを継ぐために何をしたらいいか分からず、不安に押しつぶされそうになっていたのだが、バンド時代の先輩にすすめられ(というか無理やり)越境して愛知県の同友会に入ったそうだ。とにかく叱られダメ出しされる日々が続いたが、それでも辞めなかったのは、同友会の活動にも熱心で尚且つ会社の業績を伸ばしている先輩方に憧れを感じたからだという。(同友会活動には熱心で会社の方はちっとも良くないという先輩もいたりしたはというが)
その当時は、会社は下請けの製造業で1社依存99パーセントの会社だった。採用活動にも力を入れ募集しても次々と辞めていく。社員アンケートをとると悪口ばかりが書かれ、社員への不信感が増していった。そのうち、一気に業績が悪くなり一社依存体制を打破すべく営業をかけるが、中々うまくいかない。会社の備品も買えない、貯金を投入し保険も解約した、世間には倒産の噂が駆け巡った、当時は一人公園に行ってブランコに乗り涙を浮かべる日々だったという。

そんなとき同友会の先輩から言われた、例会に出て人の会社の真似をするだけではいけない、理念、経営指針を作れと。さっそく理念合宿に参加した。が、一番最初の問いかけ「何のために会社経営をしているのか」この最初の問いにさっぱり答えが出てこない。ファシリテーターの同友会の先輩に聞くと、「社員に聞け」という。会社の悪口しか言わない社員にそんなことを聞いて、と言うと先輩曰く「お前の姿勢が悪いのだ」と。半信半疑だったが意外なことに社員はきちんと答えてくれた。

理念や社是を作り社員と一体になってその後会社は様々な分野に進出し、社員は自発的に新たな仕事にチャレンジして会社は快進撃を続けた。何しろ入社当時社員14名だった会社が10年余りでこの不況下の過疎地で69名 / グループ全体137名 (2023年3月)まで増員させたのは、奇跡的としかいいようがない。その途中の過程も色々話されたが、まあそこは割愛する。

◎報告の中で中々いいなと思ったこと。
本当の自責とは、第1段階は「自尊」 中二病・世界征服・根拠がない自信 けど空回り
第2段階は「他責」 上手くいかないのは人のせいにする 誰かがやればいい やめようかなあ 第3段階は「自責」 覚悟 けど見せかけの自責 自分で背負い込む 人を頼れない 任せられない 自分でやることに満足 第4段階は「他尊」 経営姿勢の確立 人のために汗をかく 人にお願い 自分の弱さを認め助けを求める
人に尊厳を持って人を尊敬する
なるほど、自分はどのあたりにいるのかなと考えてみた。

◎最近、亡くなった愛媛同友会創業事務局長の鎌田さんが生前言われていたことが「こういうことだったのか」と今更ながらわかることがある。「憧れの経営者になりなさい」と。手塚さんがここまで会社を発展させられたのも、入会当時愛知同友会に憧れの経営者がいたからなのだ。そうゆう存在が新たに入会した経営者を開眼させ結果良い企業が増えていく。こうゆうことだったのかとあらためて分かった。
それと鎌田さんは生前最後の強い希望が「愛媛同友会南予支部」を作り軌道に乗せることだった。なぜ、そこまでこだわるのか私はよく分からなかったが、今回の報告で実によく分かった。手塚さんは愛知同友会を抜け2016年に木曽支部を立ち上げた。当初は27人からスタートしたが、今は53人に増え地域の組織率は10パーセントにもなり、行政も一目置くようになった。愛媛の南予地方はかつては第一次産業がメインの地域で、現在は廃れていく一方だ、ここを同友会へ加入する企業がたくさんいる地域にすると木曽地域と同じように地域が活性化する可能性は十分ある。同友会のバイブル「労使見解」で、学ぶべき点は以前は3つだったが、近年第4の「経営を安定的に発展させるためには、外部経営環境の改善にも労使が力をあわせていこう」という文章がなぜ加わったのかその理由も理解できた。テヅカ精機の企業理念は「ものづくりからまちづくりへ」で、最近は単なるものづくり企業ではなく、地域で廃業する事業所があれば例え自分たちの未経験の分野でもそれが無くなれば地域が困る業種であれば、譲り受けて再生している。まさに同友会の発展が地域そのものを変えようとしている、その事例を分かりやすく見せてもらった。

◎インターネットで調べてみると、手塚社長が若き日にやっていた音楽はハードコアパンクでドラムをやっていたという。名古屋だからライブハウスは「エレクトリック・レディー・ランド」だろうか?かつてスタークラブや原爆オナニーズを生み出した名古屋パンクロックシーンについて少し話してみれば良かったなと、第1部の坪内さん同様多少後悔したが、まあ人生こんなもんだろうな。

随分、遅くなったが愛媛県中小企業家同友会主催による第13回経営フォーラムが2026年2月20日(金)に開催された。テーマは「一刀両断~覚悟を実践に変える『人を生かす経営』~」であった。

プログラムの最初は記念講演で講師は株式会社GHIBLIの代表取締役坪内知佳さんで、演題は「挑戦する経営者たちへ~利益と幸せの両立を目指して~」、その内容についてレポートしてみよう。坪内さんは日本テレビ系でドラマ化された「ファーストペンギン」のモデルであり、他のメディアでも多く取り上げられているのでご存じの方も多いと思うが、私もどんなお話を聞かせくれるのか楽しみであった。

 

坪内さんは元々は福井県の生まれだが、山口県出身の男性と結婚して山口県萩市に移住、その後紆余曲折あって離婚しシングルマザーとなった。その後生活のためにさまざまな仕事をしていく中で、偶然萩大島の漁師たちと知り合いとなり、漁獲した魚を直接消費者に届ける事業をスタートさせた。もう少し詳しく説明すると、漁で獲ってきたメインの商材はアジやサバでこれらは漁協で運営する市場で扱われるのだが、それ以外の魚はただ同然の安価な値段で取引されていた。この魚を自分たちで直接消費者に売れば、①地元の水揚げ高にさほど影響を及ぼすことなく、浜での売れ残りやフードロスを減らし、②漁業者の収入が増え、③消費者も鮮度のいい安全な魚が食べられるという、ものである。漁師たちも環境の変化のせいか毎年漁獲高は減っていっているのに、消費者の魚離れが進み価格は下落傾向、そのくせ燃料代などは上がっているので、この状態が続くといずれは漁業で食べていけなくなることは分かっていた。ということで、漁業に関して全くの素人である坪内さんに白羽の矢が立ったわけだが、思い付きは良くても事業が軌道に乗るまでには変化を嫌う地元漁協との軋轢、丁寧な処理が求められる新鮮な魚を船上で行う作業を巡っての漁師たちとの言い争い、販路獲得のための大変な営業努力、幼い子供たちと一緒の時間を中々作ってやれない申し訳なさ、などなど時には荒っぽい漁師たちと殴り合いの喧嘩もしたり実に多くの苦労を重ねながら、この事業を他の地方の漁師たちとも連携して全国的な広がりにしている、「漁業の6次産業化」を達成しつつある、という方である。

そのあたりのことは、何冊かの著書や船団丸のホームページにも書かれているので詳しくは、そちらを参考にしてもらえばいいのだが、この日のお話で印象に残った点を幾つか。

◎坪内さんは小さいころから両親は自営業でよく働く人だったので、あまり一緒に過ごしたことがなく、彼らがあまり幸せそうに見えなかった。小学生のころ、景気が悪くなると周囲の経営者たちが自殺するのをよく見てきた。金銭的には自分は恵まれていたが、体が弱く運動会の徒競走ではいつもビリ、自己承認力が弱く何とかこんな状態から抜け出したいと華やかな飛行機会社のキャビンアテンダントに憧れ、大学時にインターンとして航空会社に受け入れてもらった矢先に、突然高熱を発症し40度から下がらない、下された診断が下手をすれば余命半年と言われる「悪性リンパ腫」だった。後日「悪性リンパ腫」ではなく、感染症の一種であったことだったそうだが、最初の宣告をされた時の虚しさと恐怖は生涯忘れることはないという。明日死んでも後悔なく生きたい、無謀とも思えるこの仕事に一生を捧げる覚悟ができたのも、その時の恐怖に比べると事業の失敗くらい命を取られるほどのこともなく、誠実に事業を続けてダメだったらそれはそれで仕方ないではないか、何もせずに後の人生で後悔することの方が嫌だという、そのような思いがあったのだという。

◎しかし、私(日野)は思う。誰もが彼女のような壮絶な体験をしている訳ではない、「人生は長い浪人生活、闘病生活、獄中生活のいずれかが成長の契機になる」というが、そんな経験は中々つめるものではない。この日の講演のテーマは「挑戦する経営者たちへ」だけれども、彼女はこう説く。「常に一歩(1ミリでも)進む。苦しかったら一歩下がってもいい」 みんなが自分の歯車で生きていけたらいい。

1の365乗は1だ。1.01の365乗は37.8。0.99の365乗は0.03。37.8は0.03の1260倍だ。毎日のコツコツ数分の努力をすれば10年たてば大きな差になる。

◎実物の坪内さんは実に素晴らしい実績を上げているビジネスウーマンだけれども、少女時代は内気な方だったという片鱗からか何となく人見知りっぽい方かなと感じた。ただ、有名人できれいな方でもあったので、この後の分科会も同じで懇親会でも機会はあたったにも関わらず気後れして名刺交換のみで会話することがなかった。この先どんなつながりができて展開が開けるかもしれないのに惜しいことだったと思っている。講演の最後に「今は毎日毎日が幸せ、やり残したことはないと感じる」という坪内さんの言葉、私もそう胸を張って言えるよう日々を過ごしていきたいと感じた。

昨日1月18日(日)シネマルナティックに「星と月は天の穴」(吉行淳之介原作)を観に行く。まあ、舞台挨拶に立ったこの作品に出演した田中麗奈さんが見たかったというのが一番の理由だが。吉行淳之介の小説は読んだことがなく、漠然と「女性を扱った作品が多い」といったイメージしか無かったが、この映画を観て成程こういう感じなのかなと。上映後の監督を交えての対談で、田中さんが「一昔前のフランス映画みたいです」と言ったが、モノクロの画像と言葉の裏側に含みを持たせるセリフのやりとりは、言い得て妙かもしれない。対談後は、ロビーでのサイン会だったが、田中さんが前回の福田村事件の上映後の舞台挨拶の翌日私はたまたま広島に行くために高浜観光港にいたのだが、その時、偶然田中さんに出会って言葉を交わしたのだが、その時のことも憶えてくれていて嬉しかった。☺️