『清流』 無明橋 Ⅲ [2017年7月-] | 中高年の子守唄 | 太平洋を越えて | 日曜版 読者だより

『清流』 - 太平洋を越えて - 2011年夏、カナダ・アメリカ旅行記ーー ヴァージニア州に住む友人夫婦に誘われ、バンクーバー、カナディアン・ロッキー、ナイアガラ、ヴァージニアと気ままに旅した13日間の旅行記


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清流 | 無明橋 Ⅲ | sk5132 | 021 へき地とは、どういうところか。また、へき地の小・中学校において大きな教育課題になっていた「へき地性の克服」とはどういうことか。それを、ストンと腑に落ちるように理解してもらおうと、遥かな昔湯前町教育委員会で聞いた忘れ難い逸話を紹介したのだが…、今の若い教師や親たちには、実体験がないだけに心に響くものがないかも知れない。
 木浦小学校に赴任して数カ月が経った休日、「校区の様子をよく知りたい」と、当時移動手段に使っていた排気量65ccのバイクに乗って、学校から遠い西山地区の小さな集落を訪ねたときのことである。普通車がようやく通れる狭い道に面して、一軒だけぽつんと建つ家の縁側に、一人腰を下ろして休んでいるおばあさんが目にとまった。
 バイクを止めて、「こんにちはーっ」と声を掛けると、「はーい」と答えて、
「郵便屋さんじゃねえごとあるけんど、まあ寄って茶でも飲んで行きませんな」
 と、手招きしてくれる。
「見たことのねえ人(し)じゃが、あんたどこん(の)人な」
 だいぶ年季のいった湯飲み茶わんに注いでくれたお茶をいただきながら、木浦小学校に赴任したばかりの新米教師であることなど自己紹介すると、おばあさんも、今はもうみんな社会人になっているという子ども(孫)たちや家族、地区の様子など話してくれて、
「私ゃ、郵便屋さんと学校の先生が来てくれるんがいちばん嬉しい」
 と、笑顔を見せて言う。「どういうことですか?」と問い返すと、
「郵便屋さんな(は)、村の出来事(ニュース)を教えてくれるし、滅多に来ることはないですけんど、学校の先生は、世界のことを教えてくれます」
 と、温和な顔から思いがけない言葉が返ってきた。息子夫婦が山仕事に出かけた後、台所の片付けや洗濯、庭仕事などを済ませると、縁側に腰を下ろして前の道を話し相手が通るのを待っている、というおばあさん。期待に応えて、しばしの間おばあさんと世間話をし、「また、来てくだんせ」の言葉に送られ、ほっこりした気分で次の集落へとバイクを走らせる――
 テレビがまだ全戸に普及しておらず、新聞も取っていない家がほとんどだった当時の懐かしい想い出の一コマであるが、情報(ニュース)や新しい文化から取り残された生活、それがへき地であった。
 余談が長くなり過ぎた―――
 子どもたちのへき地性をどうやって克服するか。その熱っぽい議論の中ではっきりしてきたのが、「地域の生活の実態や、教育に対する保護者の考えを知らずして、木浦の子どもたちのへき地性克服も前に進まない」ということであった。
「では、どうするか」
 子どもに対する指導力ではベテラン教師に及ばないものの、若さと情熱では決して負けないと自負する青年教師たちが、時間も気にせず議論して出した答えは、「校区内の4つの地区ごとに、地区公民館を会場に、月1回のペースで、保護者と青年教師による『教育を語る会』を組織しよう」ということであった。「月に1回」というのは各地区の保護者の方で、青年教師たちにとっては、「ほぼ週1回」のペースということである。
 やがて50年が経過しようとする今になって振り返れば、大学を卒業してまだ日の浅い青年教師たちが、よくもそんな大それた計画を打ち出し、足を引っ張る先輩教師たちを説き伏せて実現させ、「教育を語る会」以外にも、地域やときに行政をも巻き込んだ教育運動を展開しながら、4年間にも及んで頑張り続けたものだと思う。

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清流 | 無明橋 Ⅲ | sk5132 | 020 へき地性の克服――― それがへき地の小中学校に勤務する教師にとって、最大の教育課題であった、と書いてきた。しかし、日本が世界に誇る偉人たちの中には、都会から遠く離れたへき地の出身者も少なくない。交通が不便な山間地や、辺鄙な漁村の貧しい境遇の中に生まれ育ちながらも、むしろ恵まれない境遇をバネにして精神的な逞しさを養い、向学心を燃やしていった人たちである。へき地という逆境が偉人を育(はぐく)んだ、そう考えると、「へき地だからといって、それをマイナスに考えることはない」と言えそうである。が、それはごく限られた特別な人たちであって、へき地で育つ多くの子どもたちは、「社会性に欠け(世間が狭い)、勉学に対する意欲が低い」、というのが一般的であった。
 はるかな以前に「清流」にも書いたが――― 木浦を離れ、次の任地となった本匠東小学校に勤務していたときのこと。村内小中学校・幼稚園の全教職員で組織する本匠村教育振興協議会の研修視察旅行で、熊本県人吉市に隣接する湯前町の教育委員会を訪ねて懇談したときのことである。応対してくれた学校教育課長さんが、
「山深いへき地へようこそお出でくださいました。ここは、今でこそ交通の便がよくなってだいぶ開けてきましたが、昔は、本当に陸の孤島という言葉がぴったり当てはまる場所でした」
 と前置きして、かつての湯前がいかに山深く世間から隔絶していたか、炭焼きなどの山仕事を生業(なりわい)にしていたある家族の興味深い逸話を紹介してくれた。
 明治の末期か、大正時代と思われるその逸話について―――
 ある日のこと、尋常小学校を卒業間近になった息子に向かって、父親が、
「お前も、広い世間(社会)がどんなもんか知っておくことが大事じゃ」
 と言って、その日の山仕事を休み、毎日のように仰ぎ見ている市房山(1721m)に連れて登った。360度、大パノラマの頂上に立って眺めると、南西方向に谷が広がり、その先の大きく開けた盆地の中に、幾分霞んだ人吉の街並みを望むことができる。
「お父(とう)は数えるほどしか行ったことはねえけんど、あれが人吉の街じゃ。人吉は、今住んじょるところに比べたら、何十倍も何百倍も大けな街でのう、電気ちゅうもんがあって、夜でも昼のごとある。馬の代わりに自動車ちゅう機械も走りよる。人間も数えきれんほどおってのう、いいかそれが世間じゃ。世間は大きゅうて広いど、よう見ちょけよ」
 父親は、やがて世間(社会)へと出ていく息子が、初めて目にする広い世間に怯えることがないようにと、自分の見聞の全てを話してやった。
「へーっ、あれが世間ちゅうもんな。ほんとうに大きゅうて広いんじゃなあ」
 初めて眺める広い世界に驚きながら、息子が、父親に問い返して言った。
「お父(とう)、そんなら学校で勉強した日本はどれぐらい広いんかのう?」
「ええっ、日本? 日本かあ…」
 予期しない息子の問いに、父親はしばし考えて、
「お父もまだ眺めたことはねんけんど、日本な(は)、今見ゆる人吉の町の三倍ぐらいはあるじゃろうのう」
 と、精一杯の知恵を絞って答えてやった。
 ―――と、まあそんな話である。
 湯前町の課長さんの話を聞きながら、「それはあまりに古すぎる話だ」と、笑って聞き流しながら、「しかし、今なお だいぶなごりを残している」とも感じていたが…、古い時代のなごりを残すが故に、「へき地性の克服」が学校教育の課題になっていたのである。

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清流 | 無明橋 Ⅲ | sk5132 | 018 素直で真面目、人懐(なつ)っこい割りに内気で控えめ。何事にもよく頑張るのだが、自発性や積極性に欠ける。そんなへき地特有と言っていい、子どもたちの受け身で消極的な授業態度をどうにかして変えたい。
 教師にこと細かく指示され、手取り足取り指導されて勉強するのではなく、もっと自発的で積極的な学びが出来ないものか…。始まったばかりの木曜夜の学習会、若い独身教師たちの議論は続いた。ただ議論するだけではなく、(小・中学校両校長先生の了解を得るのに手間取ったが)子どもを自習させておいてお互いの授業を参観し合い、教師の指導や子どもの学習態度のどこに問題があるのか探り合ったりもした。
 子どもたちの消極的な授業態度、学習姿勢について議論する中で、
「宿題を忘れる子どもが意外と多い。忘れる子どもはほぼ決まっていて、忘れるというより、もともとする気がないようだ」
「宿題を真面目にしてくる子どもは勉強がよくできる子どもたちだが、その子どもたちも、宿題がなければ家に帰って勉強していないようだし、全体的に家庭学習の意識が低い。というか、家庭での学習習慣が身に着いていない」
 と、教室での授業から外れて、家庭における宿題や自主学習への取り組みが話題になった。
「教師に指示されないと出来ない、指示したことしかしない。それだけではなくて、宿題のように指示したことさえも出来ない(しない)子どもがいる」
「宿題を忘れた子どもには、罰として放課後居残りで宿題をさせているのだが、その罰もあまり効き目がなくて、また次の日も宿題を忘れている。宿題の量はそんなに多くないし、20分か30分もあれば終わってしまう程度なのだが、それが出来ない。1人や2人ではなくて、3、4人が居残り勉強するときもある」
「宿題の内容や出し方に問題があるのか。その辺りを考えて、わざわざ宿題プリント(ガリ版刷り)を作って渡しているのに、それでもして来ない子どもがいる」
 宿題や家庭学習について、具体的な状況を出し合う議論が続いて――、
「宿題をしないとか、家庭学習が習慣として身に着いていない。それは、単に子どもだけの問題ではなくて、親というか家庭全体の問題ではないのか」
「親たちは、我が子の宿題や家庭学習にどう向き合っているのか。どういう声掛けをしているのか。むしろその辺りにいちばんの問題がありそうだ」
 これまで話題にすることのなかった保護者や家の中(家庭)に目が向いたのは、「木曜会」の学習会を始めて2週目か3週目のことであった。
「宿題をしない子どもが悪いとか、子どもの勉強にあまり関心がないような親や家庭に問題がある、と決めつけるのはどうかと思う。何が悪いのか、本当の問題はどこにあるのか、それが分からないことには正しい対処が出来ないんじゃないか」
「考えてみれば、家庭訪問やPTAの学級懇談会などで、『忘れ物をしないように』とか、『宿題はちゃんとしてくるように』って親に話をするけど、子どもの勉強や忘れ物等について、親はどう考えているのか、親の意見など聞いたことがないなあ」
 これまでとまるで違った議論のなかで到達した一つの結論は、「学習意欲の低さや消極的な授業態度など、子どもにばかり目を向けてきたが、そういうふうに子どもが育つ家庭や地域の実状がほとんど分かっていない。これでは、いくら議論を重ねても、へき地性を克服する道筋は見えて来ない」、ということであった。その結論が、その後4年余りに及んで続き、今なお語り種(ぐさ)になっている、地域を巻き込んだ一大教育運動の出発点になったのだった。

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清流 | 無明橋 Ⅲ | sk5132 | 018 同じ学校に勤務する教師仲間が、自発的に勉強会を組織して、毎週一回集まって学び合うなど、今ではほとんど聞かない。教師になったばかりの昭和四十年代でも珍しいことだったが、当時の木浦小・中学校では、どうしてそれが出来たのか。そこには、大きく二つの要因があった。
 一つは、熱意に満ちた若い教師四人が、ほとんど毎日朝夕の食事を共にしていたこと。これは偶然のように思えるが、当時は、交通事情や住宅事情のせいで、ほとんどの教師が学校の近くに住み込まねばならず、そういう時代背景が要因になっている。
 二つ目は、「へき地」という地域の特性に起因していたと言える。「へき地」と呼ばれる地域の特性と、そこでの教育については、はるか以前にも「清流」に書いたが―――、昭和四十年当時、「日本の教育には、三つの谷間がある」と言われていた。これは、当時毎日新聞に毎日連載されて大きな反響を呼んでいた「教育の森」に、毎日新聞の記者(編集主幹?)だった村松喬(たかし)さんが書いて話題になった。「谷間」というのは、あまり日の当たらない場所のことで、村松さんは、日本の教育には「日の当たらない場所」、すなわち、政治的にも、経済的にも、文化的にも取り残された場所(分野)が三つある、と「教育の森」にその実態を詳しくレポートしている。
 では、政治の恩恵が及ばず、経済的にも恵まれず、文化面でも時代に取り残された、「教育における三つの谷間」とは、いったいどこを指しているのか。一つは、長いこと連合軍の占領下にあった沖縄の教育、二つ目は、特に関西地域に多かった同和地区(未開放部落・被差別部落)の教育、そして三つ目が全国各地どこにでもあるへき地の教育である。
 「へき地」は、辞書には、「都会から遠く離れた、交通不便な土地」と、地理的な概念でその意味を書いてあるが、へき地に住む人々の暮らしに目を向けると、沖縄や同和地区と同じように、「政治や経済、文化から取り残された地域」という実情が見えてくる。そのへき地を、「教育」に的を絞って眺めると、「学校の施設や設備など教育環境がお粗末で、教育に対する地域の人たちや保護者の意識は低く、子どもたちの学習意欲や学力も低い」という姿が浮かび上がってくる。それが、「教育の森」に書かかれた「谷間」の意味である。
 木浦小・中学校は、一級から五級までランク付けされたへき地級値の二級に指定されたへき地校で、昭和四十年代の当時は、へき地級値など無縁な都市部の学校に比べて、多くの面で「格差(遅れ)」を感じさせられる学校であった。木浦小・中学校に勤務していた若い独身教師たちは、「木浦という地域の特性による格差(遅れ)をどうにかしたい」という熱い思いに駆られていたが、それが自発的な勉強会を組織した二つ目の要因である。
 木浦の子どもたちは、総じて純朴(素直で真面目)、加えて大人しくて控え目である。そういう人柄(人間性)は、度々書いてきたように、教室での消極的で受け身な授業態度によく表れていた。子どもたちの内気で控え目な人間性や消極的な授業態度は、木浦に限ったことではなく、全国各地のへき地の子どもたちにほぼ共通していた。全国のへき地学校の教師で組織した「全国へき地教育研連盟」では、へき地の子どもたちの学力や学習意欲、社会性の遅れなどを総称して「へき地性」と呼び、「へき地性の克服」を最大の教育課題にしていた。木浦小・中学校の独身教師で組織した学習会での熱っぽい議論も、言葉を換えれば、「木浦の子どもたちのへき地性を、どうやって克服するか」であった。
 子どもたちの「へき地性」は、へき地という地域の特性(地理的条件)によって育まれたものであり、それを克服するなど、指導力も未熟な若い教師にとって容易なことではない。が、目の前に立ちはだかる高い壁を前にして、尻込みするような青年教師たちではなかった。

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清流 | 無明橋 Ⅲ | sk5132 | 017「オレたちゃ、毎晩すごい議論をしよる。この議論を、ちゃんとした学習会にして内容を深めよう」
 リーダー格のY先生の提案に、他の3人は何の異論もなく、「それはいい」と即座に同意して、間を置かずさっそくその週から学習会を始めることになった。「学習会は毎週木曜日、夕食後の7時半から2時間程度の時間、教員住宅を持ち回りに続ける」ことを確認し、名前を曜日にちなんで「木曜会」と名付けることにした。
 木浦小・中学校には、中学校に席を置いて、中学校と小学校高学年の音楽を担当する独身の女性教師(H先生)がいた。東京にある音楽大学を卒業したばかりのH先生にも話をし、
「私は、教育系大学の卒業じゃないので、教育のことは深く勉強していません。先生たちと一緒に勉強出来たらとても嬉しいです」
 と、快い返事を得て仲間に加えることになった。
 男女5人の独身教師でスタートすることになった「木曜会」。記念すべき最初の学習会は、1970年5月8日の夜、リーダー格のY先生の住宅で開催された。だいぶ変色したその日の日記には、「(略)木浦というへき地に、今、すばらしい学習、実践(授業)の仲間たちの集まりが誕生した(略)」と、かなり興奮しているような一文が記されて、以下にその夜の議論の様子や内容を要約して書き、「時間を忘れて白熱した議論が展開された」と結んでいる。
 第一回目で議論になった内容は、小学校にも中学校にも共通する「子どもたちの受け身の学習態度」である。小学生も中学生も、授業態度はみんなまじめなのだが、教師が問いかけてもなかなか手が挙がらない。子ども同士で互いにけん制し合っているようであり、もともと内気で控えめな性格のようでもある。教師に指名されないと答えない子どもがほとんどで、その答えも遠慮がちだったり、分かっていても自信なさそうに「分かりません」で終わってしまったり…。かなり深刻な授業態度を中心に話が弾んで、
「子どもたちが、主体的、積極的に学ぶ授業をどうやってつくり出すか。自発的な学習態度をどうやって育てるか。それを5人の課題にして、これからも議論していこう」
 と、Y先生が締めくくってその夜の学習会を閉じたのだが…、2回目か3回目の「木曜会」を終えて散会しかけたときだった。
「せっかく仲間に加えていただいたんですけど、私は、先生たちの真剣な話に付いていけそうにないです」
 男性教師の話をじっと聞いているだけで、全然議論に加われないH先生が、だいぶ気落ちした顔で言う。「木曜会」が始まったばかりながら、H先生の様子については、男性教師のだれもが気にはなっていた。
「Hさん、あんたなあ、教師を一生の仕事にしようと思うんなら、この学習会から逃げたらいけんで。男性教師は、何か偉そうに議論しよるけど、みんな駆け出しで実力は大してない。実力はないけど、熱意はけっしてベテランに負けんと思う。ここでの議論にあんたも加われるようになって、それであんたも教師になれる。いずれ他所の学校に転勤すると思うけど、この先自信を持って教師を続けるためにも、あんたはこの学習会から逃げたらいけん。教育大学を出ちょらんのなら、この学習会が教育大学と思うて一緒に頑張っていこうな」
 H先生の心にぐさりと刺さる、かなり厳しいY先生言葉だった。「辞めるなんかとんでもない。あんたならついて来れる」、そんな確信を持っていればこそ言えたY先生の言葉であった。
「分かりました。これからもよろしくお願いします」
 迷いが吹っ切れたのやら、H先生の顔に笑みが浮かんだ。

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