本 匠 225 「計画を急いで」
6年生の1学期、最大の行事が修学旅行である。修学旅行をいつ実施
するか。暑くもなければ寒くもない、安定した天気の続く梅雨入り前の
5月中下旬か、運動会が終わって台風の心配も無くなる10月半ば頃か。
実施時期の選定は各学校の自由だが、本匠東小学校では、例年5月に
実施することが通例になっていた。秋(10月)であれば、ゆっくり時
間をかけて計画できるが、5月となると、目的地の選定や費用の概算等
大まかな計画は5年生の3学期に作り上げないといけない。
ただ、本匠東小学校の場合、学年1クラスの小規模校なので、新学期
が始まって計画を進めても間に合わないことはない。この点について、
ベテラン教師のT先生が、5年生の3学期に、
「5月は、多くの小中学校が修学旅行に出かけて宿の奪い合いが起きるので、3月中に目的地を決めて計画し、宿だけは旅行社に頼んで早く確保しておいた方がいいよ」
と、アドバイスしてくれていた。T先生のアドバイスを受けて、3月の学年末PTA学級懇談会の議題の1つに「修学旅行」を加えた。 が、6.年生の担任でもないのに、先走って計画を立てることに妙な抵抗を感じて、目的地も宿も決めずに済ませてしまった。この辺りの〝甘さ〟に教師としての経験の浅さ(未熟さ)があるのだが、何事も大雑把で細やかな配慮を欠く性格の現われでもあった。
新学期が始まり、6年生の担任となって、修学旅行の計画を3月中に立てきれなかった〝つけ〟を払わされることになった。新学期の準備に追われていた春休みの最終日、新たに着任したO教頭先生に、
「ちょっと話があるんじゃけど・・・」
と声を掛けられ、
「修学旅行の計画を急いでください。校長先生も心配しよります」
と、温和な表情ながら厳しい忠告を受けた。「言われなくても」、と言い返したいところだったが、実は、6年生の担任が内定したときから、「あの子たちにふさわしい旅に」、と思案を巡らせていて、
「その修学旅行ですが、私からも校長先生に相談というか、お願いしたいことがあるんです」
と、申し入れをすることになった。
大きく成長した子どもたちに見合う内容の旅行ということで、だいぶハードルの高い計画を思いついたのだが、果たして校長先生が受け入れ、了承してくれるかどうか。校長先生とのバトル?を覚悟した申し入れであった。
―スイス・フランス・アメリカの旅―
ウロコを落として見えた世界 (217)
― 廃屋や耕作放棄地など目に留らない(1)―
いつの間にやら4年半も前の出来事になってしまったが、日本にはない美しい景色を求めて旅立ったスイスとフランス。一度も足を下ろしたことのないスイスは、写真やTVなどの動画によってアルプスの雄大な景観や美しさを知り、
「実際に、目の前に眺めたらどんな迫力(衝撃)を受けるだろう」
と、強い憧れを抱いていた。
フランスは、首都のパリについてのみ、いくつかの人気の高い観光名所を、貸切バスに乗って案内してもらっている。それはそれで「よかった」と思っているが、
「フランスはどこへ行っても美しいよ」
という妹の言葉が頭にこびりついていて、ガイドブックを頼りに、「美しい村コンテスト」でグランプリに輝いた村を目当てに、スイスやドイツと国境を接するフランス北東部の辺境、アルザス地方へ足を運んだ。
スイスで4泊5日、フランスで2泊3日、1週間かけて訪ね回った旅の様子は、時間を追って綴った「旅行記」の中で詳しく紹介した。旅の目的は、初めに書いたように、アルプスの絶景やフランスきっての美しい村を直に眺めることだが、旅の目的とは関係のない、
「どんな奥地や辺境に行っても、廃屋や耕作放棄地に出くわさない」
という実状に強い感慨を抱かされ続けた。
そこで、「ウロコを落として見えた世界」、2つ目のテーマとして、旅の先々目に留ることのなかった廃屋や耕作放棄地と、そこから見える(推測できる)人々の暮らしや意識について書くことにしたい。
「そんなこと、どうだっていいじゃない」
という声が聞こえてきそうだが・・・、日本の観光や過疎問題を考えるヒント(キーポイント)を一緒に考えてもらえれば嬉しい。
ということで、まずはスイスから――