『清流』 無明橋 Ⅲ [2017年7月-] | 中高年の子守唄 | 太平洋を越えて | 日曜版 読者だより

『清流』 無明橋 Ⅲ [2017年7月-] | 中高年の子守唄 | 太平洋を越えて | 日曜版 読者だより

『清流』 - 太平洋を越えて - 2011年夏、カナダ・アメリカ旅行記ーー ヴァージニア州に住む友人夫婦に誘われ、バンクーバー、カナディアン・ロッキー、ナイアガラ、ヴァージニアと気ままに旅した13日間の旅行記

   本 228  「バトル」

 その夜、2時間ばかりかかって上げた1泊2日の修学旅行計画書。

子どもたちに何を学ばせ、どんな体験をさせるか、そのポイントを

大きく4つ考えて計画の中に組み込んだ。

 ポイントの第1は、初日、福岡に到着した後はたっぷり時間をか

けて「新幹線開通記念福岡大博覧会」を楽しみ、見聞を広めて、夜

は福岡の宿に泊る。第2は、移動手段は貸切バスでなく佐伯駅から

鉄道を利用する。第3のポイントは、2日目に博多から新下関まで

新幹線に乗車する。第4は、2日目の見学地を歴史の大舞台となった下関とする。

 作り上げた計画は大雑把なものだが、詳細な内容は校長先生の了解を得ないことには作れない。2日間の時間を大まかに区切って作り上げた計画書について、越えねばならない壁、それが校長先生とのバトル(戦い)である。バトルのポイントは、移動手段を一般の乗客と乗り合わせる鉄道にしたことである。2日目に、「新幹線乗る」ことにしたのも、新幹線で到着した下関を見学地にしたことについても、「そんな修学旅行はこれまで聞いたことがない」、と反発されそうだ。

 校長先生とのバトルをどうやって勝つ(了解を取り付ける)か、この点については、ちょっとした〝前哨戦〟をこなしていた。修学旅行の計画について、確かな見通しを持てずにいた始業式の直後に、校長先生から声を掛けられ、「計画を急がんといけんで」とやんわり忠告されて、そのときに、

「あの子たちには、少しハードルの高い旅行をさせたいと考えています」

 と、内心の思いを伝えたのだった。当然ながら、校長先生は、「どういう意味じゃ?」と問うた。

「全行程を貸し切りバスに乗せ、ガイドや添乗員の指示通りに行動させるんじゃなくて、自分たちで考え、気遣いながら行動する場面を組み込みたいと思っています」

「あんたの気持ちは分からんこともないが、まあ無茶はすんなよ」

 そんな〝前哨戦〟を経て、いよいよ本当のバトルになる。厳しい議論は予想するが、勝算がないとは思っていない。校長先生の考えの核心は、「安心・安全な旅行」である。

 その校長先生に、「分かった。それならよかろう」、と言わせる上で決定的に大事なのは、30名の子どもたちの心構えである。子どもたち自身が、

「心配をかけるような行動はしません」

 と、自信に満ちて言い切るかどうか。

 

スイス・フランス・アメリカの旅

ウロコを落として見えた世界 (220)

廃屋や耕作放棄地など目に留らない(4)

 スイスは国全体が美しく、鉄道を中心とした交通網はよく整備され、随所に設置された山岳ロープウェイにも感心させられる。観光立国と言われる所以がそこにある。スイスが、世界各国からの旅行者が集中する観光地となるには、19世紀以来の長い年月にわたる人々の努力を見落としてはならない。

 どこの国も同じだが、鉄道は、その多くが谷(川)に沿って敷設されている。「♪回り灯篭の絵のように、変わる景色の面白さ・・・」、と唱歌に歌われているように、列車に乗った人々は、だれもが窓外に移り行く景色を楽しんでいる。ところが、谷が狭くなって、線路わきまで山が迫ったような場所は、林がジャマをして見通しが悪くなり、旅の楽しさは消えてしまう。地形が急峻な谷沿いに敷設されたスイスの鉄道は、生い茂った林が視界を遮る場所が少なくない。そこで、観光立国を目指すスイス政府が、いったいどんな手を打ったか。

展望をよくするため山裾まで開墾

ガイドブックに、「なるほど、そこまでやるか」、と驚かされる政府の施策が載っている。政府が打った手というのは、谷底(川)から山裾までのわずかな平地(緩い斜面)の樹木を全て除伐することである。ただ、伐(き)り倒しただけでは、数年たてば、また元の林に戻ってしま。そこで考えたのが、除伐地の根を掘り起こし、大きな岩(巨石)を除去して、牧草地やブドウ畑などの農地に変えることである。こうすれば、何年経とうとも車窓からの眺めは見違えるようによくなる。

 問題は、長い年月を要する大変な重労働をだれにやらせるか、である。生い茂った林を農地に変えるのだから、その仕事の担い手は農民ということになる。開拓、開墾して農地にする訳だが、狭い谷間の生産効率の悪い林の中で、重機などなかった時代の重労働に、喜んで加わる農民など居るはずがない、と思われるが・・・。

 

 

 

    本 227 「宮崎よりはいい」

 博多まで延びた国鉄(当時)新幹線が営業運転を始めたというニュース

は、TVや新聞報道で知ってはいた。が、佐伯や本匠に住む人たちにとっ

ては、「縁のないこと」ぐらいにしか受け止めていなかった。

 その「新幹線」について、駅旅行センターの職員が、

「新幹線が九州博多まで延びたのを祝って、『新幹線博多開通記念福岡大

博覧会』が3月15日から5月25日まで開催されていますが、その博覧会を

目当てに旅行する小中学校や高校も多いですよ」

 と言う。

「博覧会の何が魅力なんですか」

 と問うと、宣伝用リーフレットを出して、

「新幹線が九州まで延びたということは、画期的というか歴史的な出来事ですからね。主催は福岡県と福岡市、西日本新聞社ですけど、沢山の企業も協賛して、『九州新時代・われらの21世紀』と銘打った博覧会を開催しているんです。博覧会のテーマは、『人間、自然、科学のシンフォニー(交響楽)』で、協賛企業が用意したそれぞれのパビリオン(展示施設)も、テーマにマッチしたすばらしい企画で、どのパビリオンも高い人気です。詳しい内容は、このリーフレットをご覧になってください」

 と、だいぶ興奮した感じに話してくれる。 説明を聞きながら、

「これは宮崎に行くよりもいい」

 と感じて、博覧会の他にどんな見学場所があるかを問い、移動手段(交通機関)についても尋ねると、

「博覧会場の大濠公園から、福岡市博物館や太宰府天満宮など近いですし、北九州もそう遠くないです。移動手段はいろいろ考えられます。全行程を貸し切りバスにしてもいいし、列車で福岡まで往復して、現地で貸し切りバスを利用するという方法も考えられます」

 と、かなり柔軟な計画を提案してくれる。

「とてもいい話を有り難うございます。前向きに検討して、まずは学校としての旅行計画を作ってみます。近いうちにまたやって来ますから、相談に乗ってください」

 笠掛に帰る道々、「面白い修学旅行ができる」、と冒険じみたアイデアが次々と脳裏に浮かんだ。

 夕食や風呂を済ませ、校長先生に提出する「計画(案)」作りにかかった。わくわくする気持ちでレポート用紙に向かい、駅旅行センター職員の説明にはなかった計画をひねり出しながら、

「こんなんじゃダメよ」

 と頭ごなしに否定する校長先生の渋い顔が幾度となく脳裏をよぎった。

 

スイス・フランス・アメリカの旅

ウロコを落として見えた世界 (219)

廃屋や耕作放棄地など目に留らない(3)

 海外に旅をしながら、

「廃屋や耕作放棄地なんか、わざわざ目を向けんでもよさそうに」

 と意見されそうだ。 が、

「これは日本と違う!」

 という驚きの光景であり、学ばされることが少なくない。

 旅行記の最初の方で、「スイスは観光立国」と何度も書いた。 間違いではないと思うが、スイスのGDP(国民総生産)に占める観光産業の割合は3%程度でしかない。 GDPはわずか3%余ではあっても、外国の旅行者の目に映るスイスは、4000m級の名峰群や数多くの湖など、雄大な絶景を重要な資源にした観光国である。

谷間に拓いた急斜地のブドウ畑

 どこへ行っても、どこを眺めても“美しい”と感じるスイスだが、その背景には、重要な国策が大きな役割を果たしている。そのことがよく分かる景色の1場面を、ツェルマットへと向かう「氷河急行」の列車の窓から眺めることができた。マッターフィスパ川沿いの急峻な岳地形の中を、列車に揺られながら眺めたときの驚きは、「旅行記」5日目の記述の中でも取り上げたが、平地

など全くない地形の中に、そこだけ林が切り開かれた急斜地のブドウ畑が見えたのである。

「ええーっ、 今もこんなところで、農業を営む人がいるんだ!」

  膝に置いたカメラを急いで構えてシャッターを押した。 林の陰に、ブドウ畑の所有者が住んでいるに違いない人家や倉庫のような小屋も見える。 切り拓いた急傾斜地のブドウ畑はかなり広く見える。 が、それだけで生計を立てられるとは思えない。

 同じような急傾斜地を切り拓いて佇む“ぽつんと一軒家”みたいな家屋は、ツェルマットへ向かう前日に登ったフィルスト展望台から下るロープウェイからも見えた。

「なんで耕作放棄地や廃屋にならないのか」

 不思議だが、そこにスイスの国策が隠れている。

 

 

          226 「ふさわしい・・・」

 「修学旅行の計画を急いで・・・」、と忠告する教頭先生。急(せ)か

せるいちばんの理由は、「早く計画を具体化しないと、宿の確保が難し

くなる」、という心配である。

 口には出さなかったものの、教頭先生の心配の裏に、「新学期が始ま

った今となっては、目的地を昨年どおりに『宮崎方面』と決めて、後は

旅行代理店に頼んで宿を探してもらいなさい」、という思いが透けて見

える。

 「早く宿を決めないと・・・」、いう教頭先生の心配は、そのまま担任と

しての「焦り」になっていたのだが、かつてない逞しいばかりの成長をまざまざ見せつける子どもたちを思いながら、

「貸切バスに詰め込んで、バスガイドさんの指示通りに行動しながら青島神宮や亜熱帯植物園等を見て回り、『子どもの国』で思い切り遊んで帰る。そんな〝無難安全〟な旅行でいいのか」

 という疑問が頭の中を駆け巡っていた。急速に膨らむ疑問に絡むように、

「6年生には、何かわくわくするような体験、成長した子どもたちにふさわしい、ある種の冒険にチャレンジするような修学旅行を企画してやりたい

 とそんな思いが沸騰し始めてもいた。

 どんな内容で計画すれば、大きく成長した子どもたちにふさわしい修学旅行になるか。具体的なイメージは浮かばずにいたのだが、「何か冒険にチャレンジする修学旅行」、という担任の思いについては、「早めに校長先生に伝え了解を得たい」、と考えていた。

 一方、校長先生の方も、1月半後に迫った予定期日が気になって、「学級担任が、どんな計画を考えているか早く知りたい」、 と望んでいて、「入学式が終わったら、すぐにでも話を聞かせてもらおう」、と声を掛けてくれたのだった。

 昨年どおりに計画すればスムーズに進むものを、「〝怖いもの知らず〟に若かった」、と、当時の日記をめくりながら記憶をよみがえらせるのだが、色褪せた「学級だより」や日記の文面から、若い(未熟)ながらも精いっぱい頑張っていた姿が偲ばれる。

 頼もしさを増した6年生にふさわしい修学旅行を・・・、そんな担任の思いに対し、計画を具体化する決定的ヒントを提供してくれたのが、国鉄佐伯駅旅行センターで相談に乗ってくれた職員だった。

 

スイス・フランス・アメリカの旅

ウロコを落として見えた世界 (218)

廃屋や耕作放棄地など目に留らない(2)

 「スイスは、都市部も、中山間地も、山間奥地も・・・、どこへ行っても景色が美しい」

と言って、「そんなことはない」、と否定する人はいないと思われる。前半の「旅行記」の中で書いたように、鉄道やバス、船など4日間乗り放題の「スイストラベパス(旅行切符)」を買ったおかげで、4泊5日のスイス滞在中、幅広くいろんなところへ旅することができたが、車窓や船上から眺める風景も、目的地に着いて歩きながら眺める景色も、「どこもが美しい」、という印象を受け続け、その印象を壊されることはなかった。そういう旅の中で、

「廃屋や耕作放棄地などまるで目にとまらない」

 という現実に驚かされのだが、そんな驚きの場面(風景)をいくつか取り上げてみたい。

緩い傾斜地は牧草地に開墾

 九州よりもちょっと小さいスイスは、国土のほとんどが山岳地形だが、食糧の自給率を高め、820万人余の胃袋を満たすために、国土を最大限に農耕地として利用している。牧草地を含む農耕地の割合は国土面積の40%に近く、そういう視点で見る限り「スイスは農業国」という印象を受ける。「農業を重視する」のは、戦争に脅かされ続けた歴史の教訓に基づくスイスの国策であり、それ故に、都市周辺の平野部地域において、「耕作放棄地」を見ることなどない。都市周辺部に耕作放棄地がないのは当然として、驚いたのは、3泊の宿をとったインターラーケンからマッターホルンの麓の町であるツェルマットまで、乗り継ぎながら向かう列車の窓から眺めた風景である。

 ツェルマットは、スイスの南の端、イタリア国境にほど近い場所にあるが、マッターホルンやモンテローザといった名峰がなければ生まれなかった、山奥の更に奥まった地にある町である。 

 そのツェルマットへ向かう車窓から眺めた驚きの風景とは…

 

 

          225 「計画を急いで」

ここに挿絵挿入

 6年生の1学期、最大の行事が修学旅行である。修学旅行をいつ実施

するか。暑くもなければ寒くもない、安定した天気の続く梅雨入り前の

5月中下旬か、運動会が終わって台風の心配も無くなる10月半ば頃か。

 実施時期の選定は各学校の自由だが、本匠東小学校では、例年5月に

実施することが通例になっていた。秋(10月)であれば、ゆっくり時

間をかけて計画できるが、5月となると、目的地の選定や費用の概算等

大まかな計画は5年生の3学期に作り上げないといけない。

 ただ、本匠東小学校の場合、学年1クラスの小規模校なので、新学期

が始まって計画を進めても間に合わないことはない。この点について、

ベテラン教師のT先生が、5年生の3学期に、

「5月は、多くの小中学校が修学旅行に出かけて宿の奪い合いが起きるので、3月中に目的地を決めて計画し、宿だけは旅行社に頼んで早く確保しておいた方がいいよ」

 と、アドバイスしてくれていた。T先生のアドバイスを受けて、3月の学年末PTA学級懇談会の議題の1つに「修学旅行」を加えた。 が、6.年生の担任でもないのに、先走って計画を立てることに妙な抵抗を感じて、目的地も宿も決めずに済ませてしまった。この辺りの〝甘さ〟に教師としての経験の浅さ(未熟さ)があるのだが、何事も大雑把で細やかな配慮を欠く性格の現われでもあった。

 新学期が始まり、6年生の担任となって、修学旅行の計画を3月中に立てきれなかった〝つけ〟を払わされることになった。新学期の準備に追われていた春休みの最終日、新たに着任したO教頭先生に、

「ちょっと話があるんじゃけど・・・」

 と声を掛けられ、

「修学旅行の計画を急いでください。校長先生も心配しよります」

 と、温和な表情ながら厳しい忠告を受けた。「言われなくても」、と言い返したいところだったが、実は、6年生の担任が内定したときから、「あの子たちにふさわしい旅に」、と思案を巡らせていて、

「その修学旅行ですが、私からも校長先生に相談というか、お願いしたいことがあるんです」

 と、申し入れをすることになった。

 大きく成長した子どもたちに見合う内容の旅行ということで、だいぶハードルの高い計画を思いついたのだが、果たして校長先生が受け入れ、了承してくれるかどうか。校長先生とのバトル?を覚悟した申し入れであった。

 

スイス・フランス・アメリカの旅

ウロコを落として見えた世界 (217)

廃屋や耕作放棄地など目に留らない(1)

 いつの間にやら4年半も前の出来事になってしまったが、日本にはない美しい景色を求めて旅立ったスイスとフランス。一度も足を下ろしたことのないスイスは、写真やTVなどの動画によってアルプスの雄大な景観や美しさを知り、

「実際に、目の前に眺めたらどんな迫力(衝撃)を受けるだろう」

 と、強い憧れを抱いていた。

 フランスは、首都のパリについてのみ、いくつかの人気の高い観光名所を、貸切バスに乗って案内してもらっている。それはそれで「よかった」と思っているが、

「フランスはどこへ行っても美しいよ」

 という妹の言葉が頭にこびりついていて、ガイドブックを頼りに、「美しい村コンテスト」でグランプリに輝いた村を目当てに、スイスやドイツと国境を接するフランス北東部の辺境、アルザス地方へ足を運んだ。

     フランスとの国境に

        近い村(スイス)

 スイスで4泊5日、フランスで2泊3日、1週間かけて訪ね回った旅の様子は、時間を追って綴った「旅行記」の中で詳しく紹介した。旅の目的は、初めに書いたように、アルプスの絶景やフランスきっての美しい村を直に眺めることだが、旅の目的とは関係のない、

「どんな奥地や辺境に行っても、廃屋や耕作放棄地に出くわさない」

 という実状に強い感慨を抱かされ続けた。

 そこで、「ウロコを落として見えた世界」、2つ目のテーマとして、旅の先々目に留ることのなかった廃屋や耕作放棄地と、そこから見える(推測できる)人々の暮らしや意識について書くことにしたい。

「そんなこと、どうだっていいじゃない」

 という声が聞こえてきそうだが・・・、日本の観光や過疎問題を考えるヒント(キーポイント)を一緒に考えてもらえれば嬉しい。

 ということで、まずはスイスから――

 

 

        224 「未熟さをばねに」

 最高学年に進級して、心構えや生活態度が見違えるばかりに変わって

きた子どもたち。特に感心するのが、下級生に対する気配りやリーダー

としての自覚(責任感)と自発的な行動力で、その辺りについて、担任

が手前味噌にそう思うのではなく、他の先生たちも同じように認め、折

に触れ子どもたちに励ましの声をかけてくれていた。

 子どもたちの変化は、教室での授業に対する構えや態度にも現れてい

て、

「これは保護者にも知らせてあげたい」

 と考え、「学級だより」(3号)にその様子を書いている。

 

   (前略) 新学期が始まって、1週間が経ちます。 子どもたちの姿を見ていると、

   5年生のときに比べて、一段と成長しているのが伺われます。授業が始まる前に

   は、もう多くの子どもがちゃんと席について待っていますし、授業中もふざけて

   隣とつつき合うこともほとんどなくなりました。学習への意気込みがちがってき

   ました。子どもたちを見ていると、私の方が身の引き締る思いをさせられていま

   す。いい加減なことはできないぞ、1時間、1時間を充実させなくては・・・、 そ

   ういうふうに緊張します。  (後略)

 

 学級全体として頼もしい変化を見せた子どもたちに、担任がプレッシャーを感じ緊張する。子どもたちは、当然ながら担任にプレッシャーを掛ける意志など毛頭なく、ごく自然に振る舞っていたに過ぎないのだが・・・、振り返って想えば、「若かった(未熟だった)」と懐かしさが込み上げる。

 ベテラン教師など「いない」に等しかった前任校では、「若さ=情熱」であった。経験豊富なベテラン教師のそろった本匠東小学校では、「若さ=未熟」を悟らされたが、「未熟さ」の自覚が、前任校に劣らぬ向上心というかチャレンジ精神に火をつけ、「1時間、1時間の授業を充実させ、やりがいのある教育活動を仕掛け、若い担任でよかったと思われる1年間にしよう」

 という決意を抱かせてくれた。

 授業の充実とやりがいのある教育活動を・・・、未熟さをばねにした決意の中で、間近に迫っていたのが、小学校時代の学校生活でいちばんの想い出となる「修学旅行」であった。

 

スイス・フランス・アメリカの旅

ウロコを落として見えた世界 (216)

トレッキングは、なぜスイスで人気?(17)

 ハイキングやトレッキングが、なぜスイスで人気なのか。ウロコを落として見えた理由を5つばかり書いた。が、「人気の理由を十分に説明しきれていない」、気がしている。ウロコを落としても見えない理由がある?・・・。しばし気分転換を図りながら思いを巡らせて考えついたのは、「休暇(休養)や旅行に対するヨーロッパ人と日本人の意識の違い」、あるいは、「リゾート(保養・行楽)の歴史の違い」、その辺りにも人気の秘密がありそうだ。

歩いてこそ楽しめる景色

 ずいぶん前になるが、「清流」に、イギリス人の若い女性ALT(外国語実習助手)が、

「日本の教師の夏季休暇が、実質で4~5日ぐらいしかないことに驚いた」

 という話を書いた。 彼女は、

「子どもが夏休みで1月以上学校に来ないのなら、先生たちも休みにして長期の旅行など楽しんだらいいのに」

 と言った。 彼女に、

「日本人は、遊びや保養で1週間以上も休むと、何やら罪の意識が生まれて、気分的に落ち着かない性分なんです」

 と言うと、

「どうして? 理解できな―い!」

 と、ジェスチャー混りに大きな声を上げた。 昭和30年代から40年代にかけて、我武者羅に働いて高度成長を成し遂げた日本の企業や労働者に対して、ヨーロッパ人は、「エコノミックアニマル」、と揶揄して見下した。 スイスやヨーロッパ各国におけるハイキング人気の背景には、そんな“国民性の違い”もあるようだ。

 長々と書いてきたスイスで人気の「トレッキング」や「ハイキング」はこれぐらいにして、次に、“ウロコを落として見えた世界(光景)”は――、

「スイスやフランスでは、どんな片田舎に行っても、廃屋や耕作放棄地を目にすることがなかった」

 という驚きである。