先日の記事にて、怪談みたいな話を掲載しました。暑さに対抗すべく怖い体験談や事件の紹介、昔話などに触れてゾクゾクヒヤヒヤして涼を得るのは我が国における昔からの風習みたいなものですよね(海外にも怪談話でキャアキャアする文化はあるようですが)。小さい頃に聞いた「耳無し法一」は本当に背筋が凍るような気持ちになりましたもの。
そんな中、最近ふと「怖くなること」について考えるようになりました。怪談話は怖い。凄惨な事件事故も怖い。地震雷火事オヤジと恐れられているのも納得できます(雷が落ちたように怒るカミナリオヤジ、なんて昔言われている方もいらっしゃいましたし)。
日々の天気予報や世界情勢の報道を見ていても「怖いな」と感じるし、怖くなることはどんどん増えているような気にもなります。恐がりになったのか、怖いものが増えたのか…それとも同時に生じているのか。
いま思う、自分の中で一番怖くなること。それは「年を重ねて感謝や謙虚の気持ちより先に、誰かのせいにしたり、みだりに権利ばかりを主張してしまう意地悪人間」に変身してしまうことです。じゃあいまアナタは違うの?意地悪人間じゃないの?と聞かれたら違うと即答する自信はありませんが、これ以上にはなりたくない、的な答えでこの場はご勘弁。いきなり変身するのではなく、じわじわとなっていくんじゃないかと想像するととても怖い。
迷惑を掛けずに生きるのは難しい。どうにもならないことは、どうにもならない。しかし「皆だって迷惑かけてる」と開き直ってしまえばあっという間に意地悪感情に巣くわれてしまう。
心身不調から入院、退院して1年経過したいま「揺らぎ」みたいな時間からくる心情に影響されているもあるかもしれませんが、「他者を思えない乱暴な感情」に徐々に飲み込まれることを考え、モンスターのようになった己のせいで誰かが泣いて傷ついて…と展開していくイメージがどうしても濃厚に浮かんできてしまいます。耳無し法一話より震えますな。
大人になればなるほどストップや待てと言ってくれる人は減ります。いまのうちに、丁寧にペットや家事と日々向き合う、足るを知る、諦めたり手放したりする時はあると覚悟しその先を思案する…と、とりあえず3つ出来そうな予防策をあげてみました。再発、再入院、再治療…そして意地悪人間に変身すること。みんな想像すると泣きそうになるくらい怖いです。でも、ゆっくりでも曲がりなりであっても、生きていきたい。