ガボール・マテ著『身体が「ノー」と言うとき ― 抑圧された感情の代価』より
健康への道をたどる第一歩は、いわゆるポジティブな考え方に固執しないことである。
私は緩和ケアの仕事をしていたときに、がんにかかったことに当惑し、しょんぼりしている人を嫌というほど見てきた。
「私はいつもポジティブな気持ちでいたんですよ」と四十代後半のある男性は私に言ったものだ。
「悲観的な気持ちになったことは一度もない。なのにどうして、私ががんにかからなければいけないんでしょう。」
救いがたい楽観主義への薬として、私はネガティブ思考の効用を勧めてきた。
(途中略)
「私が本当に役立つと信じているのは”思考”の力です。」
”思考”という言葉に「ポジティブ」という形容詞をつけたとたん、現実のうちの「ネガティブ」だと思われる部分は排除されてしまう。
これはポジティブ思考を信じる人のほとんどに見られる現象である。
本当のポジティブ思考は、あらゆる現実を認めるところから始まる。
そこにいたるには、たとえどんな真実が出てこようとそれを直視できるという、自分に対する信頼感が必要なのである。
無理やり楽観主義になろうとするのは、不安に直面しないために不安を封じ込めるひとつの方法である。
その種のポジティブ思考は、傷ついた子どもが身につける対処パターンである。
それに気づかず、傷ついたまま大人になった人は、子どものころの自己防衛手段のなごりを一生持ち続けることになる。
病気は一対一になったふたつの問題を突きつける。
ひとつは、その病気は過去と現在について何を語ろうとしているのかということ。
もうひとつはこれから先、何が助けになるのかということである。
多くの取り組みは、治療にかかわる一対の問いの後者にだけ目を向け、そもそも何が病気をもたらしたのかをろくに考えようとしない。
本や雑誌、テレビやラジオにも、そのような「ポジティブ」思考の勧めは数多く見られる。
しかし、治療のためにはネガティブに考える勇気を奮い起こさなければならない。
ここからは私の感想です。
「ポジティブ思考」が何故良くないか、それは現実を直視しないからです。
これは、患者にも治療者にもどちらにも言えます。
つまり、原因(自分の心、つまりネガティブな部分)を感じ尽くすことはせずに、それに蓋して治そうとします。
「患者も治療者も治すことだけを考えて、何故このようになったかを無視するということです。
このようなポジティブ思考は、ネガティブな部分蓋をしてしまうのです。
ポジティブな部分だけを見てネガティブな部分を見ないようにしていると、病気になった自分の中の本質は決して見えてこないのです。
既に、病気というポジティブではないものが噴出している訳なのにです。
それをどうポジティブだけで解決できるのでしょう。
今の世の中では「ポジティブ思考」というのが、ともすれば、「自分の嫌な部分」を見ないで生きるということと置き換わってしまっているような気がするのです。
しかし、その原因を自分で探り出す行為は「とても苦しい」ものです。
なので、誰でもそれは嫌なのです。
だから、心の奥に仕舞ったままにしておいて、蒸し返したくない。
しかし、現代医学では「見たくない自分の心」が病気や症状の原因の一端となっているということには触れません。
そのきっかけになるのは、心理療法でもあるのですが、もっと奥深い人間とは宇宙と一体(ワンネス、ノンデュアリティー)に気づかせてくれるのが、禅や禅から発生したマインドフルネスなのです。
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