ハンティングと狩猟 | 仕遊のブログ

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独立・起業して20数年
悪戦苦闘している日常を綴ります

過去に撮った大切な写真(画像)は基本的にパソコンに保存しているのだが、今日久しぶりにサムネイル状になっている一覧を見ていたら、10年以上前に猟へ行っていた頃の画像が目についた。

 

自分は神奈川の丹沢で猟犬が追い出す鹿・猪をグループで狙う「巻狩り」に参加していた。

(*巻狩りとは獲物を数名で取り囲んで徐々に追い詰めていき、捕獲する狩猟方法のこと)

兄に誘われたのがきっかけで始めた狩猟。

最初はわからない事だらけだったが、グループの先輩方からいろいろ教えていただき回を重ねるごとに狩猟の面白さ・奥深さを覚え、のめり込んだ。

 

一般的に「ハンティング」と「狩猟」は同じ意味だが、自分の中では捉え方が若干違う。

北海道でガイドに料金を支払ってエゾシカが狙える場所まで車で連れて行ってもらい、比較的楽に高確率で獲物を仕留めることができる猟、こちらが「ハンティング」。

これに対し、主に本州で勢子(猟犬を使って獲物を追い出す役)が猟場を回り、犬に追い出された鹿・猪をタツマ(配置場所)で待つ狩猟者が迎え撃つ。こちらは勢子同様に山中を歩き回り、時には急斜面を手も使って登り下りする体力勝負。

野生動物は警戒心が強く、犬の気配を感じると遠くへ逃げてしまう。犬がいかに早く獲物の臭いを察知して逃げる前に追い込めるかが勝負。獲物が逃げる方向を予め予想してタツマを決め、そこへ迎え撃つ狩猟者を配置するという頭脳戦である。

それだけ苦労しても獲れる確率は低く、一頭も獲れない日もある。こちらが「狩猟」。

「猟」という位置付けではどちらも同じだが、自分の中では「ハンティング=ゲーム」「狩猟=知恵比べ」というイメージでいる。

決してハンティングが殺生をするだけのただのゲームと言っているのではなく、実際に北海道でガイド同伴の狩猟をしている多くの人は、仕留めたエゾシカをローストにしたりソーセージにしたりと無駄なく食している。

逆に本州の「単独猟」(単独で山に入り、猟をすること)で獲物を撃つだけを目的とし、仕留めた獲物をそのまま放置してくるというとんでもない輩もおり、「ハンティング」「狩猟」はあくまで自己が持つ狩猟方法のイメージとしての話。

実際、自分も北海道でガイド同伴のハンティングに憧れていたし、ライフルを所持できたら是非行ってみようと思っていたが、現在はライフル所持どころかクレー射撃のトラップ銃1丁のみ所持となり、一応狩猟免許は更新しているものの休猟状態に陥っている。

 

さて自分が参加していた丹沢での巻狩りだが、面白かった。

「我々の猟場は他グループに比べて急こう配のかなりキツイ場所だから」と先輩から聞いたことがあった。

タツマ(配置場所)まで行くのに、手を使って崖のような急斜面を登り下りすることはしょっちゅうで、あまりのキツさに最初は吐きそうになりがら先輩方の後を必死に付いていった。

タツマに立ちトランシーバー(無線機)に耳を傾けていると、犬と一緒に獲物を探している勢子の緊迫した様子が伺え、鹿もしくは猪の匂いを嗅ぎつけた犬が鳴きはじめ、獲物がこちらへ向かっている時などは臨場感MAXでワクワクした。

猟で初めて仕留めたのは若いメス鹿で、狙いどおりの着弾点を確認した時は嬉しかったが、頂いた若いメス鹿の命は絶対に無駄にせず食すと強く誓った。

後日、「肉はとても柔らかく美味しかったと」と先輩方に話すと「鹿でも人間でも女は若ぇ方がうめぇんだよ」と言っていた。

こうなると先輩方というより、ただのクソジジイ達だわな。

 

猟の最中に林道で遭遇した散策中のハイカーから「テメェら邪魔なんだよ!くそハンターが!」と罵られたことがある。

我々が猟場にしていた所は神奈川県(正確には市町村)が管理している「猟区」といわれる有料のエリアで、一般的な銃猟区域の「乱場」と違い、入猟日や狩猟者数、捕獲頭数、などを制限し鳥獣保護と狩猟の調整をされている場所。

猟区内にはゲートを閉めて許可者以外立ち入り禁止エリアもあり、「禁止エリアをうろついてどっちが邪魔なんだよ」と思ったが、一般的な認識は「銃=危険」「狩猟=無駄な殺生=悪」そういうものなのだろう。

知り合いからも「生き物を撃って何が面白いのか?」と質問されたことがあるが、まともに答えるつもりはない。

「古代から人類が持っている狩猟本能が…」とか「増えすぎた有害鳥獣を駆除する使命感で…」などとつまらない返答をするつもりはないし、「では屠畜場で殺される豚や牛はどう思いますか?」なんて売り言葉に買い言葉みたいな質問を返す気もない。

価値観の違う相手には何を言ってもダメなのだ。

狩猟をやってました、猟場は臨場感でドキドキしました、生き物を殺すことを楽しいとは思いませんが頂戴した命は無駄にせず大切に食しました…ただそれだけ。

 

鹿・猪を追う巻狩りは5期(5年)参加させていただいたが、日常生活の変化(日曜日に休みが取りづらくなった)に伴い足が遠のいてしまった。

 

 

タツマから見た丹沢の山々。

 

 

雪が降った後の林道はー5C°の寒さ。

足のつま先が千切れそうなくらい冷たい。

 

 

愛銃だったRemington M870。

ハーフライフリングの銃身に替え、サボット弾を装填して獲物を狙っていた。

シンセティック仕様で、水、泥よごれにも強く最高だが重いのが欠点。

 

 

丹沢の巻き狩りの引退後はフィールドを地元・千葉に移して、鳥(キジ)撃ちに没頭した。

相変わらずのM870だが、今度は銃身を平筒(散弾用)に替えキジを狙った。

鳥撃ちはポンプアクション銃より瞬時に二の矢をかけられる自動銃が圧倒的に楽と痛感。

Remington 1187か、Beretta A400を買おうか本気で考えたほど。

 

 

地元での鳥撃ちは土曜日の早朝から昼までで、午後から仕事(事務仕事)に戻れるお手軽さ。

草を踏んで追い出したキジを撃つ「踏み出し猟」は一人でもできる。

大物猟(巻狩り)と比べると無線機や大型ナイフ、ロープなどが不要のため携行品が少く、猟場は平たんな草場が多いので楽だった。

 

 

雪の中でもアップダウンが少ないので移動は楽だが、寒さは一緒。

 

 

その後、鳥撃ちを数年続けたが一緒に撃ちに行っていたキジ撃ちのお師匠さんの猟犬(ポインター)が死んでしまい、頓挫。

自身の飽きっぽい性格も重なり何となく狩猟熱が冷め、先にも記したが現在は狩猟用銃も無く完全休猟状態となっている。

例えれば「漁業権は持っているが船のない漁師」もしくは「漁協には所属しているが漁に出ない丘漁師」みたいな。

 

12月も下旬になり今年も残りあと僅か。

猟期真っ只中だが、ご一緒させていただいた先輩方は今日も出猟しているのだろうか。