ムー3月号連動記事:ゴライヤーサークル クロフォードの自殺 | Siyohです

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音楽とスピリチュアルに生きる、冨山詩曜という人間のブログです

ムー3月号が出ました。二色刷り特集「エクトプラズム心霊事件の謎」は私が書いています。

 

これから何回か、この記事には字数の関係で書けなかったことを書いていきます。記事はすでに読んでいただいているということで書く補足なので、いきなりこちらから読むと何を言っているのかわからないと思います。

 

まず最初に、フーディーニとマージャリーの対決に興味のある方はマージャリー・クランドン その一から始まる一連の記事をお読みください。

 

今回はゴライヤーサークルについて補足します。クロフォードは下記の三冊の本を書いています。

The Reality of Psychic Phenomena (1916)

Experiments in Psychical Science (1919)

The Psychic Structures in the Goligher Circle (1921)

 

記事で紹介した三冊目が1921年に本としてまとまる前、1920/7/30に彼は自殺しました。39歳です。彼は本以外にも当時のスピリチュアル誌「Light」に折に触れて研究成果を載せていて、この頃にはすでに、スピリチュアリズム敵対派の猛烈な批判を受けていました。そのため彼の死とそうした攻撃が関連づいていたのではないかと、時に言われます。しかし彼は死ぬ前にわざわざ「Light」の編集者に手紙を送り、自殺とこれらの研究には関係ないと説明しているのです。

私の心霊研究は、自分がダメになってしまう前にすべて終わっており、人生における最も完璧な仕事です。関連した事実は全て正しく、あらゆる精査に耐えうるものです。これは私の頭脳が明晰だった時に行われた調査であって、今の状況には関わっていません。。。私は墓場が終わりではないという信念を再確認したい。

どう思いますか?

私は彼が、敵対派に付き合うのに疲れて、さらに死後の世界があるという確信を得たのもあって、自殺を選んだのではないかと思うのですが。

 

メインの霊媒だったキャスリーンは、クロフォードによってそうした攻撃から守られていたのですが、彼の死後、試練が訪れます。それはまた今度書きましょう。