ムー3月号連動記事:ゴライヤーサークル その後 | Siyohです

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クロフォードが青酸カリによる中毒で命を絶ったあと、ゴライヤーサークルを調査した人がいます。アイルランドの物理学者E.エドワード フルニエ・ダルブは、物質化現象に興味を持っていました。彼は記事でも紹介したウィリアム・クルックスのフローレンス・クックに関する研究内容に納得し、自分でも調査をしたくなったのです。そして1921年5月から8月にかけて、ゴライヤーサークルの交霊会に20回参加しました。

 

彼は、クロフォードが課した条件から始め、確かに現象が起きることを確認すると、段々と条件を厳しくしていきました。これはおそらく猜疑心からではなく、サークルの現象をもっと世間を納得させられる厳密な環境で起こしたい、ということだったように見えます。でも通常、そうした行為は物理心霊現象を抑制するのです。ダルブはその辺の難しさがわかっていなかったのでしょうね。彼はキャスリーンの足に光を当てて現象を観察したかったのですが、霊側はそれを嫌い、実際光を当てると現象が突然止まってしまったりしました。

 

現代においてなお物理心霊現象を追っているオーストラリアの元弁護士ヴィクターの本に、ある霊に光の中で物質化現象を起こせないのかと尋ねた話があります。物質化において指導的な役割を果たしていたその霊ウィリアムは、それを望むのは常夏の国で雪を望むようなものだと答えました。稀に光の中でも現象が起きることはあるけれど、それは自然の摂理に反しているとまで言っているのです。



フルニエ・ダルブはそんな事情を知らず、光を嫌うのは詐欺的な行為を行なっているからではないかと思い始めます。そして最終的にキャスリーンの足が縛られ、他の参加者は皆、輪の中心から離れて座るように要求されたとき、現象はまったく起こりませんでした。でもこれは私には当たり前だと思えます。ゴライヤーサークルは元々、労働階級の一家族が楽しみのために始めたもの。しかもその中で一番乗り気でなかったのはキャスリーンだとクロフォードは書いています。そんな彼らに厳密な実験条件を押し付けても、現象が起こらなくなるだけですよね。しかしダルブは1922年の報告書の中で、ゴライヤー一家は現象を捏造していて、クロフォードはそれに騙されたのだと結論しました。

 

その報告書には何らかの決定的な証拠が書かれているわけではありません。いくつかの疑わしい出来事と、最後には何も現象が起きなかったということだけです。実際、次のような証言の現象を、どうやってマジックで起こすのでしょう。アイルランドの物理学者ウィリアム・バレットの証言です。SPR(心霊現象研究協会)設立者の一人であるウィリアム・バレットは、1915年12月に開業医の「W博士」とともに交霊会に出席し、簡単なレポートを発表しました。

ラップ音はすぐに起こり質問に答えた。イエスなら3回、疑わしいなら2回、ノーなら1回のラップだ。また、アルファベットを声に出して言い続け、正しい文字でラップ音を鳴らす方式でメッセージがゆっくりと綴られた。ラップ音はテーブルから聞こえてくる場合もあれば、サークルの外から聞こえてくる場合もあった。大きなラップ音を鳴らしてくれるよう要求すると、すぐに非常に大きな音が聞こえ激しく繰り返された。W博士がもっと大きな音でと頼むと、ものすごい音がして部屋が揺れ、それは金床をハンマーで殴ったような音だった。交霊会の後で、私たちは出席者たちの足を調べたが、薄手の靴を履いていた一人を除いて、全員がフェルトのスリッパを履いていた。

テーブルの下のトランペット(メガホン)が動き始め、小さい方の端がテーブルの下からW博士と私に向かって突き出た。私たちはトランペットを捕まえようとしたが、その努力にもかかわらず、トランペットは私たちから逃れ、私たちがトランペットを捕まえようとするたびに、出たり入ったり位置を変えたりした。霊媒はテーブルの反対側にいたし、トランペットが私たちとかくれんぼをしている間、私たちがそれぞれの手をはっきりと見ることができるように、サークルの全員が手を挙げていた。

それからテーブルが床から上がり始め、30~45センチの高さに達した。私たちはサークルの人たちが手を合わせている輪の中に入り、テーブルを押し下げてみることを許可された。まず私、次にW博士が、テーブルの両脇をつかんで最大限の力でそれをおろそうとしたができなかった。私はそれから、30センチは浮いているテーブルの上に座ったが、テーブルはびくともせず、最後にはテーブルが傾き、私は落とされてしまった。

私たちが輪から出るとテーブルが逆さまになり、脚を上にして上下に動いた。私たちは再び輪の中に入り、テーブルの天板を床から持ち上げようとしたが無理だった。輪の外に戻ってみると、テーブルは浮き上がり、右側を上にして再びひっくり返った。これらの実験中、そしてテーブルが浮いている間、出席者全員が何度も合わせた手を上げていたため、誰もテーブルと接触していないことが見てとれた。彼らとテーブルの間にはそれなりの隙間があり、私たちはその間を歩くことができたのだ。

このレベルの現象をマジックで起こせるのなら、それを見せ物にしてお金を稼いだほうがよくありませんか? 労働階級としての稼ぎよりよほど稼げるのでは? それをせずに、あくまで家族の楽しみとして無償で続けていた理由は?

 

キャスリーンはかなり世間の好奇の目に晒され、詐欺師のレッテルが貼られてしまい、一旦交霊会的なことはやめています。しかし結婚した相手が熱心なスピリチュアリストだったので、結婚後しばらくは、いろいろな人たちの霊的な相談に乗っていたようです。また1936年に科学調査に協力した記録がスピリチュアル誌「Light」に載っています。

とはいえ、彼女はこういったことを家族に隠し続けました。孫娘のキャスリンはキャスリーンの隣の家に住んでいて、毎日のように祖母と会っていたのに、彼女が世界的に有名な人だとは全然知らなかったといいます。キャスリンがそれを知ったのは祖母が癌で亡くなる二年前の1970年。地元の新聞でゴライヤーサークルのことを初めて知ったのです。彼女はできれば色々聞いてみたかったけれど、母の、あまり詮索しない方が良い、という言葉に従って、特に何も聞かなかったと、こちらのページに書かれています。

 

1972年に亡くなったキャスリーン・ゴライヤー。たまたま霊的なことに巻き込まれてしまったけれど、途中からはひたすら現実に生きたように見える彼女の人生は、どうだったのでしょう。幸せだったのでしょうか。


1916年当時のキャスリーン。