マージャリー・クランドン その八:幽霊の指紋(後編) | Siyohです

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音楽とスピリチュアルに生きる、冨山詩曜という人間のブログです

ソログッドのプロシーディングが手に入りました。実はInternet Archiveで過去のASPRのジャーナル、プロシーディングがすべて読むことができ、PDFでもダウンロードできると知ったのです。

このプロシーディングは2年前に登録されていました。本当に素晴らしい時代になったものです。

 

この中でソログッドは、ウォルターの左親指の指紋に対して、興味深い疑問を投げかけています。彼によるとウォルターはほとんど左の拇印を作ったことがありません。最初の拇印は1927年8月23日、ファイフからの予期せぬ依頼によって作られました。交霊会が始まってウォルターが出てきたとき、ファイフ大尉が、今までの指紋はすべて右親指だったけれど、左親指の指紋は作れないかと聞いたのです。その晩、それまで作られたものとは異なる3つの拇印が作られ、「ウォルター」が左親指の指紋だと述べたことが実験記録に書かれています。また記録では、同じ晩にダドリーとファイフがこの3つは同じものであると宣言したことも記されています。ソログッドはこのうちの2つを所持していました。

これがプロシーディングに載っているそのうちのひとつです。ダドリーが書いた日付と、その下に3の文字が見えます。プロシーディングにはもうひとつ、1と書かれてものも載っています。ただしこの写真からでは1という数字は読み取れませんが。

ソログッドはこの2つの指紋と、最近の実験で新たに得られたウォルターの左拇印は一致すると述べています。一方ダドリーのレポートには同じ日付と2と書かれた指紋が載っています。でもこの指紋は明らかにこの2つとは違い、歯科医のものとそっくりに見えるのです。これはどういうことなのでしょう。

 

ダドリーのレポートにはもうひとつ、ハッチンソンという人から借りたという、角のかけたワックスにつけられた指紋が載っています。この写真には日付が書かれていませんが、この1927年8月23日の実験にハッチンソンがいて、彼が自分でHと書いたワックスにウォルターの指紋が押され、それを持ち帰っている事実があります。となると、この指紋も同日のものと思われるのですが、記録ではこの日、3つの指紋しかとられていないのです。そしてこの指紋も確かに歯科医の左手親指の指紋と同じに見えます。

 

ソログッドはこうしてダドリーのレポートの証拠性に疑問を投げかけながら、手堅い証拠を次々と提出し、最後にこう結論しています。

  1. 交霊会において起きた「ウォルター」の指紋現象に関して、詐欺、トリック、あるいは通常のメカニズムが使用されたという証拠はない。
  2. これらの「ウォルター」現象の超常性は、確実に証明されている。
  3. 「ウォルター」の手は、全体としても、構成部分のいずれに関しても、既知のいかなる人物の手とも同一ではない。

しかしプロシーディングの付録の最後の方に、この結論を揺るがす、カミンズ博士との手紙のやり取りが載っています。ソログッドは自身の新しい実験で得られた手全体の写真と歯科医の手全体の写真、古いワックスの左右の拇印の写真と、歯科医のそれとを、チュレーン大学の指紋の権威カミンズ博士に送り、鑑定を依頼しました。これに博士は、手はそれぞれ違う人のもの、左指の拇印はおそらく違う人から得られたもの、と、ソログッドが期待する答えをしてきました。ところが博士は、右拇印は同じ人物から得られたものであろうと結論してきたのです。ソログッドが調べたところ、二人の右拇印は確かに似ているけれど、ひとつ決定的な違いがありました。

 

プロシーディングの中に、ウォルターの指紋には「揺らぎ」のようなものがあると書かれています。全体としての印象は変わらないのですが、常にどこかの部分が違っているのです。これはワックスに指を押し付けたときの角度や圧力でできる揺らぎではなく、ウォルター自身が超常性を示すためにわざとそうしているということでした。そのため、どの指紋が一番スタンダードなものなのかが、若干難しい。ソログッドはそのような事情を頭に置きながら、もう一つ別な左右の指紋セットの写真を送りました。しかしカミンズ博士は、左拇印はやはり違うけれど、右の拇印は歯科医のものと同じだと言えると結論し、なぜそう言えるか、詳細な説明を送ってきたのです。

これはカミンズ博士が説明に使った写真です。

 

これに応じてソログッドは3つの仮説を出しました。

  1. 2人の異なる個人が同じ右手親指の指紋を持つ可能性がある
  2. カミンズ博士の結論は間違い
  3. 指紋は型を使うことによって人工的に作られた

カミンズ博士は一番目の仮説を否定しました。なぜなら、指紋に関する文献や指紋の専門家の証言はすべて、同一の指紋を持つ二人の人物は発見されたことがない、と述べているからです。もちろん、彼は二番目の説明も否定しました。つまり、カミンズ博士は三番目の仮説しかありえないというのです。

 

このようにウォルターの指紋に関する491ページにも及ぶプロシーディングは、若干曖昧な形で終わります。その後、この指紋に関する論争は二年くらい続き、その中でハッチンソンのワックスに関する新事実があがってきました。ハッチンソンは、ダドリーのレポートに掲載された自分のワックスが、自分の持っていたものとは違うと言い出したのです。彼の持っているワックスは角がかけているのですが、彼はその角を所持していて、どこかにワックスを貸し出して戻ってきたときは、必ず手持ちの破片がワックスとぴったり合うかどうか確認していたと言います。そして、この記事のために貸し出して戻ってきたワックスは、手持ちの破片と合わなかったのです!

 

プロシーディングでは控えめにしか書かれていませんでしたが、ワックスがすり替えられた疑惑が濃厚になってきました。実はダドリーとソログッド、クランドン家には複雑な関係があります。元々ダドリーはクランドン家に調査担当者として雇われて、それに対する報酬をもらっていました。彼はミナに対する攻撃に反論したり、バードの文章を推敲したりまでしていました。一方ソログッドというのは元ダドリーの助手なのです。ダドリーは彼を新しい助手として1929年秋に、クランドン邸に連れていきました。するとクランドン氏はソログッドの才覚にとても感服し、1931年6月、彼を調査コンサルタントにしたのです。このポストはダドリーがなるはずでした。つまり、ダドリーには、証拠をすり替えてクランドン家を貶めるだけの動機があったと言えるのです。

 

ダドリー、お前、やったな。

 

と言いたいところですが、この疑惑を晴らす衝撃的なレポートがカミンズ博士によって発表されました。

 

SPRの1935年4月のジャーナルにカミンズ博士の新たなレポートが載りました。ソログッドのプロシーディング内に載っているカミンズ博士の話は、マージャリーを肯定する立場の人からも注目されていました。右手親指の指紋が同一なのは、ミナの関係者が歯科医の指紋の型を用いて作成したか、あるいはダドリーが証拠をすり替えたか、このどちらかしかあり得ないから、はっきりさせたいという声が高まっていたようです。カミンズ博士がたまたまイギリスに行った際、SPRの全面的な協力の下、イギリス国内にあるウォルターのものとされている指紋を集めて、それを鑑定しようということになったのです。

 

このとき集められたサンプルはどれも素性がはっきりしたものばかりで、その中にはこんなものもありました。クランドン夫妻はかつてロンドンのSPRを訪れ、そこで交霊会を行ったことがあります。1929年の12月7日、ウーリー博士(当時は名誉研究官)と助手のブラッケンベリー夫人がオブザーバーとして同席する中、実験が行われました。「ウォルター」は右手親指の指紋を2つ作り、そのうちの1つはウーリー博士に、もう1つはハリー・プライス氏に贈られました。ウーリーはその指紋を鍵のかかるキャビネットに入れましたが、それは1934年1月31日まで開けられることがなかったのです。つまりこの指紋は、指紋に関する論争が始まる前に作られ、それ以来鍵のかかった状態でSPRが所有していたものなのです。ところがこの指紋も、そして他の指紋もすべて、明らかに歯科医のものと一致するとカミンズ博士は判断しました。

 

ソログッドはプロシーディングで、ウォルターと歯科医の右手拇印のある違いを述べています。しかしこのときカミンズ博士が調べた指紋にはどれも、ソログッドの言う、歯科医コールドウェルの指紋にだけ見られるはずの特徴が認められたのです!

 

マージャリーの話をここまで読んできた方々は、いったいなぜそのようなことが?と思うことでしょう。しかし私には、もしかしたらこんな事が起きていたのかも、という仮説があります。それはまた次回に書きましょう。