そういうわけで、これまでのブログに書いた通りで、肝臓癌の手術後2週間で退院し、引き続き休みを貰い2週間ほど自宅で休養していたところでしたが、いろいろと検討した結果、思い切って仕事に復帰することにした次第でした。
というのも、実は今回、私ももういい歳ですし、またもう大腸癌の手術、続けて肝臓癌の手術と、2度も会社を休んでいますので、思い切って社員からアルバイトに変えてもらったところだったんですが、あまり長期間休んでいると、ほんとにアルバイトのようになってしまうらしく、いろいろと問題も出てくるようなので、2週間休んだだけで、仕事に復帰したところでした。
もっとも、まだ体調は万全ではなく、リハビリ途中といった感じなので、社長さんにもお願いして、当分の間は、軽い仕事を中心にやらせてもらうことになってましたが・・・
まさかまさかの急展開・・・となってしまいました・・・
でも、最初はよかったんですね。
仕事を再開しての月曜日と火曜日は、昼間のみの出勤で、久しぶりにスクーターを運転しての配り物とか、またこちらも久しぶりに車を運転しての荷物の配送とかで、所長さんのお話しでは、やってみて大丈夫そうだったら休み明けの木曜日から本格的に仕事に復帰してもらうというような話になっていた次第でした。
もっとも、本格的にといってもまだ体力が回復してないので、当分の間は、車による転送業務と時々、朝刊配達をやらせてもらって、体力が回復次第、朝刊配達を増やして行き、最終的には朝刊配達と夕刊配達だけにしてもらう予定でした。
ちなみに、この車による転送業務というのは、諸紙の紙分けもやるんですが、おもにスクーターに積めなかった分の新聞の梱包を、各区域の指定場所に車で配送する仕事で、配達より楽だと思われるのか、けっこう皆さんには羨ましがられますね。
そういうわけだったんですが、週末になってまさかまさかの急展開となりました。
事前に何の相談もなくいきなり、配達中の事故でちょっと前から休んでいた高齢のお爺さんがどうも今月一杯ぐらいダメらしい、またそのまま辞めるかもしれないというので、急遽、なぜか私に白羽の矢が立ち、金曜日の夕刊はあけるので、順路を取って欲しいというのだ。
というのも、去年の3月に、新聞の部数大幅減の影響か、駅前の店と、私が働いていた店が一緒になってしまい、そういうわけで、私が働いている店の全8区域なら、1年近く配達しなかったとしても、順路帳を見ずに配達出来ると自信満々だったのだが、そういうわけで、駅前の店の8区域が加わったことにより、私の自信も半減していたところでした。
それにしても、肝臓癌の手術後、退院し2週間は休みましたが、まだ体調が完全に回復してませんし、たとえばスクーターに乗っても、道路のちょっとしたデコボコでも、お腹にビンビン響くような状態ですので、順路を取るにしても、せめてあと1〜2週間後ぐらいにはして欲しいとは思いました。
まあ今回は社長さんにもお世話になってますし、またアルバイトに変えてもらっているので、まあある1つの区域を朝刊と夕刊を配達するのがバイトさんですからね。
そういうわけだったんですが、実はこれを最初に書き始めたのが6月の半ばのことでしたが、やはり働き始めると疲れてしまい、帰宅するとバタンキューでほとんど動かずにボ〜としてるか、チューナレステレビで音楽を聴いたり、YouTubeやネットフリックスやプライムビデオで映画やドラマをボ〜として見てるかで、ブログの方は、まさかまさかの急展開からまったく進んでなかった次第でしたが、早いものでいつのまにか7月となってしまい・・・さらに早くも7月半ばになろうとしています。
そういうわけで、体調がまだ完全には回復してないなか、バイトの高齢のお爺さんが配達中の事故で休んでいる区域を、急遽、順路を取り配達することとなった次第でした。
というのも今回のブログでも書いていますが、部数大幅減の影響か、去年の3月に駅と駅の中間地点にあった私が働いていた店と、駅前にあった店とが一緒になっている影響で、全16区域のうち、もともと私が働いていた方の8区域は目をつぶっても配達出来ますが(ちょっとオーバーかも)、残りの駅前の店の区域だった8区域はまったく分からないということになっています。
そういうわけですが、私が駅前の店の区域を配達することになるとは、非常に感慨深いものがあります。
というのも、私がもともとこちらの店で働き始めた2000年当時、よくこっちの店で良かったなと言われたからですね。
あっちの水は苦いぞ こっちの水は甘いぞ ではありませんが、あっちに行ってみろ大変だぞ、アホな息子社長が、夜な夜な遊びあるいて、経営はとっくに左前で、給料は遅配が続き、カード料なんなかも気に入った店員だけに先に払ったりとか、依怙贔屓ばかりだぞということでした。
その息子社長さんの名前も、キンちゃんだったか、ギンちゃんだったか、もう思う出せなくなっています。
ほんとに光陰矢の如しで、すべて忘却の彼方です。
いやほんとにそんな昔のことでなくても、ちょっと前に一緒に働いていた店員さんの名前ももう忘れてしまっています。
まあそれほど人手不足で朝から走りまわって働いているわけなんですけど。
まあそんなことはどうでもいいのですが、感慨深いというのもほんとに劇的な変化だからですね。
その昔は、このA地区一帯を手広く営業されていた地元の及川新聞店さん(仮名です)でしたが、それが3つの店に分かれ、それでも及川新聞店さんは駅前の店で営業されていましたが、それが私が来てちょっとして廃業されたようで、別の経営者が乗り込んで来られたところでした。
そういうわけでしたが、最近の部数大幅減の影響で、3つの店がまた1つの店となった次第ですね。
ほんとに感慨深いです。
そういうわけですが、話がそれて長くなってしまいましたので、続きはまた書きます。

