そういうわけで13日は、夕刊配達の終わった夕方から雨が振り続き、線状降水帯が発生し、これまでに経験したことがないような大雨が降るというので、レベル5の大雨と土砂災害の特別警報が発令された次第でした。


そういうわけで、テレビを見ると(チューナレステレビなのでNHKです、ちょっと前までテレビを持っていた名残りで受信料を払ってますので)県内の大雨の衝撃的な映像が流れていた次第ですね。


そういうわけですが、自分の住んでいる住宅街の周りのこととなると、なにせ夕方から夜のことですし、出歩くわけにもいかないので、自分の周りがどういうことになっているのか、わからないのが実情でした。


まあ海からも(臨海部には大工場があります)川からも山からもソコソコ離れていますし、まあこれまでの経験からそれほどの大災害は起きないんじゃないかという安心感はあります。


また停電も起きなかったですしね。


それに大雨の時に水が溢れそうなところも大体のところはわかりますからね。


ちなみに、週末になってもまだいつも大雨の時に潮見通りの道路が冠水する作業服屋さんの辺りの道路脇に車が停まってましたが、車が立ち往生した名残りでしょうか。


もっとも、深夜には出勤して屋外で仕事をしなくてはいけないので、不安も大きかったですけどね。


そういうわけですが、翌日になって死者8人とか、千葉市では半日ぐらいの間に3ヶ月分の雨が降ったとか、村田川が氾濫したとか、さらに翌日の14日は市内では雨ははそれほど振らなかったですが、県内ではまだ大雨のところがあるらしく、道路が冠水したままとか、田んぼやコンビニなどが冠水しているニュース映像を見て、今回の豪雨の被害がいかに甚大だったか、やっと分かって来た次第でした。



そういうわけで、レベル5の大雨と土砂災害の特別警報が発令されているなか、深夜の23時半前に新聞店に出勤した次第でした。


でも実は本当に大丈夫なのかと半信半疑でしたが、まあそれでも新聞は早く到着するのではないかと、いつもよりちょっとだけ早めに出勤した次第でした。


そういうわけですが、数年前の鉄塔が倒れるような被害のあった2度に渡る大風と大雨の大型の台風の襲来時とか、今回のようなレベル5の特別警報の出ているような時に、ほんとに新聞配達をしなくてはいけないものか?といつも疑問に思っているところですね。




 しかし、新聞は何時まで待っても来なかった・・・




 結局、配送の新聞のトラックが到着したのは3時半だった。 


いつもは0時半前ぐらいには到着しますので、実に3時間遅れでした。


これはもう選挙並みです。


選挙ならチラシはなく、到着したらそのままスクーターに積んで出発出来ますが、今回はいつもと同じでチラシはありますので、新聞にチラシを入れて準備して出発するのは4時過ぎになりますね。


おまけに雨で、狭い店に、悪いことに?全員揃っていますので、新聞のビニールのパック詰めの機械の前に行列が出来ますのでますます出発が遅くなりますね。


 まあ選挙の時なら前日に、明日は選挙で新聞の配達が遅れますとチラシが入りますが、もっともそれでも早朝から新聞が入ってないと問い合わせの電話が多数かかって来ますが、実は人手不足でみんな出払ったいる時など、転送電話を持って配達しますが、電話に出ない時も多いですね、というのも、ひっきりなしにかかってくる電話にイチイチ応対していたのでは仕事になりませんからね。


そういうわけで、今回もレベル5の大雨と土砂災害の特別警報が発令され、テレビでも衝撃映像が流れているような時ですが、朝から新聞が入ってないと問い合わせの電話が多数かかって来ることが予想されますね。


レベル5の冠水の中でも、新聞を待っている人がいるから・・・ということなんでしょうね。





ちなみに、私はこの日は代配は無く車による紙分け・転送業務でした。


転送の担当者のチラシ入れの割り当ては、現場に直行・直帰の朝刊バイトさんの8区(仮の設定です)でしたが、このバイトさんも実は朝早くから仕事に出勤されるようなので、あまり新聞が遅れるとフォローが必要になるのではと心配していましたか、間に合ったようでよかったです。


でも、6区(仮の設定です)の朝刊バイトさんが6時までに帰りたいといので、ちょっとだけ私がフォローすることになった次第ですね。


もっとも、ちょっとといっても、6区の泉台(仮の設定です)に向かう山越えの下辺りの山間いの農村地帯の区域なので部数は数十部程度ですが、店からの往復時間を入れると約1時間ぐらいかかります。


さらに今回配達の専業さんが、配達に引き続いてそのまま早朝の電話当番だというので、私が工場の分をフォローすることにした次第でした。



そういうわけて、4時過ぎに車で転送(中継)に出発し、郊外の区域を回り約1時間ぐらいで店の近くまで戻って来たが、店には寄らずにそのまま臨海部の大工場に早入れに向かい、店に戻って来たのはもう5時20分過ぎのいい時間となっていました。


それから慌てて準備して6区のフォローに向かい、配達を終え店に戻って来た時には、もう6時半ぐらいのいい時間となってました。


そういうわけですが、実は通称転送の仕事はまだ終わってなくて、最後の仕上げ?で作業場の片付けと、残紙を纏めてとりあえず倉庫に入れるのと、最後に作業台に到着している翌日分のチラシを並べて、仕事は終わりですね。


そういうわけで終わった頃にはもう7時前ぐらいのいい時間となってましたね。


私が6区のフォローから戻って来た6時半ぐらいには、配達の速い人か何人かもう戻ってましたか、私が続けて店で作業している時も、続々と配達を終えて戻って来ました。


まあほんとに事故もなくてよかったですが、幸運だったのは、新聞が3時間遅れで、皆さんが出発した4時ぐらいにはもう雨が小降りになっていたことと、私が6区のフォローに出発した5時半ぐらいにはもう雨は止んでいてカッパもいらなかったということですね。 


ちなみに私が車とスクーターで回ったコースで、危ないと思ったのは臨海部の大工場前を走る国道で正門前の信号の中央分離帯のところに水が溜まっていて、信号が変わったので大丈夫だと思い通過しようとしましたが、思ったよりも溜まっていたようで一瞬ヒヤリとしましたけどね。


ほんとにみなさん無事に配達を終えて良かったです。






そういうわけで6区のフォローで光風台方面に向かう山の下あたりの農家の集落にあるお宅にスクーターで庭に入ろうとした時に、想像だにしなかったものを見て、驚いた次第でした。

これも千葉豪雨の置き土産でしょうか。

死者10数名、道路に放置された車両2千台以上、千葉市では半日に3ヶ月分の雨が降ったとか、今回の千葉豪雨ではでは甚大な被害が出ているというのに、ほのぼの市原では庭にブタが出ていたというのでは被災者のみなさんに申し訳がないというものです。

いやほんとに私もこのお宅でブタを初めて見ました。




ブタさん、ブタさん、お庭の前でブラブラしてるのは何でですか?
でもこの豚は、突進してこないし、また逃げもしないてすね、反対に寄ってくる感じですね。
ブタを久しぶりに近くで見た感じですね。
このお宅で飼っているんでしょうか。


 

これはその日の夕刊配達の途中で見たものです。
ほのぼの市原です。



引き続いて今回は前回からの続きは置いといて、写真を掲載しておきます。

というのも、ブログを更新しないために、掲載予定だった写真が溜まっているからですね。




以前に持っていた大型のホットプレートはとっくに廃棄処分していたところですが、また新たにタコ焼きだけのタコ焼き器を買った次第でした。
まあ最近は酒はあまり飲まないし、食べる方も以前のように大食いしなくなりましたので、休みの日にはタコ焼きでも作ってみるかと思い立ちましたか、一人ではこれぐらい食べればいい方なので、最近また作らなくなりました。
結局、労力に合わないといいますかね・・・
そういうわけでまたお蔵入りになりかけていますが、保管場所に困るんですね、ワンルームなので。




今年になって注文し始めたラディッシュボーヤで買ったものです。
独身男性にとっては珍しい野菜があるし、適当に作れそう(あくまで個人的な感想です)なのが、ラディッシュボーヤに決めた要因ですね。
オイシックスのは、野菜まで使う分だけカットされて送って来る感じで、ある日突然、レシピ通りに作るのが嫌になる感じですね。
北海道産バジルのジェノベーゼパスタです。



実際に適当に作りましたが、見本とは似ても似つかぬものになりました。
でも美味しかったです。




これもラディッシュボーヤで、日本酒の頒布会のようなコースのものです。
私の日本酒の知識というと、コロナ前によく出かけていた頃には、帰りに居酒屋に入ると、日本酒はたいてい八海山を注文していたぐらいで、淡麗辛口の新潟の酒くらいしか知らなかったですね。
そういうわけで、自分の出身県に獺祭という有名な酒があるとは知らなかったですからね。



そういうわけで、奥丹波の山名酒造といってもまったくわからないので、最初申し込む時にさんざん迷いましたが、今では申し込んでよかったと思っています。      
毎回毎回こんな美味しい酒を初めて飲んだという感じですから。
これはぴちかという低アルコールの発泡酒ですね。
ワインのような感じですね。



大正製薬のオンラインショップで、もうだいぶ前に特別セールをやっていた時に買った青汁ですね。
5箱で2万5千円のものが、今ならたったの5千円というので、思い切って奮発して買ったものです。
もっとも、5千円というとけっこうな出費なので迷いましたが、一度製薬会社の青汁を買ってみたいとつねづね思っていましたので。
というのも、青汁もピンからキリまであるようで、私がいつも買っていたのは、1000円くらいのものを通販で、その時その時いつも違うものを買ってましたから。
ちなみに買ったのはいいですけど、ワンルームなので、保管場所に困るんですよね。



退院したばかりの頃は、うどんが消化が良いというので、うどんをよく食べていましたが、最近はラーメンばかり食べてますね。 
これはセブンイレブンで売っている冷蔵の麺とスープが別売りのもので、最初の頃は家系の豚骨醤油のスープをよく買ってましたが、最近はこの煮干し風味の醤油スープをよく買ってます。


以前はラーメンを作っても野菜や肉は入れなかったですが、今はもやしとネギを一緒に買って来ていれてますね。



もう病気ですね、ヤフオク見たら欲しくなり、スマホ系の通販サイト、楽天、アマゾン見ても欲しくなり、お気に入り登録多数、最も、買うのはわずかですが・・・
ヤフオクに前から欲しかった東映任侠映画の全セットがそこそこの値段で出ていたので、これは行けそうだと思い入札したところ見事落札でした。 
ただ、ゴミ屋敷寸前の乱雑な部屋にさらに大荷物を抱え込むハメになりました。
ただ品物は間違いないみたいで、おまけにすべてビニールに入っていたのには驚きました、さらに小冊子までビニールに入っていたのにもさらに驚きました。


よく宅急便が引き受けたなと思うような大荷物でした。
周りが写らないように箱に近づいて撮影しているので、それほど大きく写ってない感じですが、手前の箱も大きいですし、ドアの所の縦に長い部屋も120センチぐらいあるし、表で荷物を受け取りましたが、中に引き入れるのに思わず手こずってしまいました。
数日はこのまま置いておきました。



驚くことに去年閉店したご近所のスーパーが7月に再オープンした。
たしか別のスーパーが入ることになってたはずですけどね。
残念ながら7月のオープン時には、ちょうど抗がん剤の点滴の最中で、仕事も休んでましたので、さすがに買い物には行けなかったですが、ちょっとしてからちょくちょく買い物に行ってます。
ただ残念なのは内装や陳列方法が変わり、やっとスーパーらしくなったのはいいのですが、以前と陳列方法が変わっているので、どこに何があるか未だに判ってなく、せっかくメモして行っても、思うような買い物か出来ないのが実情ですね。
もっとも私が以前ほど、元気で歩き回れないことが一番の原因でしょうけどね。
8月9日(日)の午後に買い物に行き、寿司と鶏もも肉とステーキほかを買う予定でした。
鶏もも肉を適当に切って串に刺し、電気焼き鳥器で焼いて食べる予定でしたが、買い物に行くのが遅くなったので、手っ取り早く味付け肉を焼いて食べるかと思い直した次第でした。
そういうわけで、握り寿司を食べた後に、肉を焼いて食べようと思い、念のために日付を確認したところ消費期限が前日の8月8日だったてことですね。



間違いありません、これがその買い物のレシートです。
前日ぐらいなら焼いて食べれば大丈夫じゃないかとも思ったのですか、念のためにグーグルのGeminiで検索してみると、鶏肉の場合は加熱しても危ないので食べないほうがよいと出てましたので、食べるのは止めた次第でした。
食べなくて良かったですね、食べてたら弱り目に祟り目で、病院に搬送されてたかもしれませんからね。
それにしても開店そうそうのスーパーで消費期限切れのものを売っているなんて、先が思いやられますね。


たまにしかブログを更新しないもので、写真はまだあるんですか、写真は15枚までしかアップ出来ないそうなので、残りの写真はまたアップします。

また前回からの続きもまた書きます。


 そういうわけで、肝臓癌手術後、2週間で退院後、2週間休んだだけで、リハビリも進んでないし体調もまだ完全には回復してないが、思い切って仕事に復帰することにした次第でした。



そういうわけだったんですが、働き始めると疲れてしまいブログを書くのが遅くなり、続きといっても、もうだいぶ前のことになりますので、最新情報も交えて書いて行きます。



そういうわけで、最新情報です。


実は、退院後、1か月に1回ぐらいで担当医の診察がありましたが、7月の2回目の診察の翌週から、また抗がん剤の点滴が始まりました。


実はこのブログも、病院での点滴に引き続いての48時間の自宅での点滴の最中に書いていたところでしたが、間に合わず、さらに連休中にも書いていましたが、間に合わず・・・さらに遅くなりました。





今回の点滴も、前回の点滴と同じ薬ですが、今回は、大腸ガンと肝臓癌とも、ガンの部分は切除されていて、血液検査でも腫瘍マーカーは下がっているし、今のところ再発の可能性はないが、予防のためにやりますという担当医のお話でして、薬を一部減らしているそうです。
そういうわけで、病院での点滴時間は5時間から3時間と短くなりました。
もっとも自宅での点滴は、48時間と変わっていません。
またそういうわけで、薬の一部が減っているので、出ない副作用もあるそうです。
顔や胸に発疹のようなブツブツが出来たり、手の指先がアカギレのようにひび割れたりとかの副作用、出ないそうです。
良かったですね、前回の厳寒期の時には弱りましたからね。
でも、冷たいものを飲むと喉が痺れたり、冷たい水で手を洗うと手が痺れたりする副作用は出るそうです。
これは困りました、この暑い夏に冷たい飲み物が飲めないとは。
実際に、病院での点滴が終わり、暑い中帰って来てから冷蔵庫の冷たい水を飲むと、喉が痺れましたから。
また、おそらく食欲不振だったり、味覚が変になる症状も出るでしょうね。
前回の抗がん剤の点滴の最後は3月の終わりで、最近になってやっと食事が美味しく食べれるようになったと喜んでいたところでしたが。
もっとも、薬を一部減らしている分だけ治療費も前回に比べると半額以下になっているようなので、助かります。
というのも私の入っている生命保険では、日帰りの抗がん剤の点滴は給付金が出ませんので。
でもほんとに厳寒期とか猛暑期とかの抗がん剤の点滴は副作用のこともありますので、時期をずらしてほしいものですが、そうもいかないんでしょうね。





また病院で抗がん剤の点滴があった日の前々日の日曜日に会社の健康診断がありました。


病院では診察のたびに血液検査をやってますが、会社の健康診断は受けなければだめだということなので受けました。


詳細なデータは1か月後になりますが、すぐにわかるものでは、体重が72キロまで回復してましたね。


ちなみに、最盛期には93キロぐらいありましたが、去年の秋に病院を受診する頃には、もう80キロぐらいには落ちていたところでした。


またその後のアップダウンにとんだ私の体重の変化については、このブログでも書いて来たところです。


また血圧は高い方が、118てした。


この血圧も感慨深いものがありますね。


去年の秋に病院を受診するまでは、会社の定期健康診断では、1回目が150とか160とかで、もう1回計ってもらと、やっと140台の値が出る感じでしたね。 


それが今では120以内ぐらいですから、手術でガンを切除したのと、大腸ガンで入院の時に絶食で点滴のみの期間が2週間ぐらいの時があり、体重がだいぶ落ちたのが、よかったんでしょうね。


ガン手術で健康体に戻り、肥満が解消されたからでしょう。



  




 そういうわけで、ここから前回からの続きです。



そういうわけで、当分は軽い仕事のはずが、いきなり第1週目の週末近くになって本格的な仕事をやることとなった次第ですね。


ほんとに好事魔多しですね。


そうは言っても、空いている区域に入っておけば、こんな楽なことはないですからね。


私のように、おもに週休で休みの人の区域を中心に、毎日違う区域を日替わりで代配するような仕事を20年来やっているものから見れば、バイトさんのように毎日同じ区域を配達するなんて、こんな楽な仕事はありません。


日本語の出来ない外国人留学生だって、2〜3ヶ月もすれば覚えてしまうし、若いので配達も速くなりますし、おまけに休みませんしね。


もっとも、クレームも多いですけどね。



面白いクレームは


 なんでこんなところでモンゴル人が働いているんだ?納得出来ない!おまけに態度が気に入らん、いったいどんな教育を受けているのか?


夜中にこの電話を受けた時は、ちょうどタイムリーにいいクレームが来たものだと思ったものでしたが、どうも留学生が朝刊配達中にご近所の方とぶつかりそうになったらしいんですね。


私は、そう言わずに、遠い国から働きに来ているので、働かせてやって下さい、昼間は日本語学校で勉強してるんですよ、と言った。


それでも相手は納得せず、食い下がって来たが、私も転送業務中で車で郊外を走行中だったので、昼間に責任者にお詫びに伺わせますのでと言って、住所と名前を聞き出し、やっと終わりとなった。


もっとも、その住所を調べてみると、ウソだということがわかった。


しかし、どんな教育を受けているのかと言っても、大草原の国のことですから


  口笛は何故遠くまで聞こえるの?


  あの雲は何故私を待ってるの?


  教えて白鵬さん〜



すみませんこれはジョークです、そうですよね、セクハラやパワハラと同じで、いくらモンゴル、ベトナム、中国でも、今時あまり変なことを言ってると反対に訴えられますよね。






そうでしたまた話が逸れて長くなりましたので、ここら辺りで止めておきます。



そうでした最後にちょっとだけ写真を掲載します。





退院したら食べたいものと言っても、スーパーの寿司とか通販で買った蕎麦ですから、知れたものです。
もっとも、スーパーの寿司と言っても、退院直後は買い物にも行けなかったですから、退院してだいぶ経ってやっと買い物に行けたという感じですね。
ちなみに、コロナ以降は外食には行っていません。



通販の日清のオンラインショップでどん兵衛を買ったら貰えたというか、これが欲しくて買ったといいますか。   
クリアファイルですね。
いろいろなカップ麺を買いましたが、あまり変わったものより、やはり定番のものが間違いないと思いますね、まだ、けっこう残っていて困ってますね。




チューナレステレビのリモコンが、いくら力を入れて押してもチャンネル?が変わらなくなったので、代替リモコンを買いました。
一時は、相当力を入れて押してました。
こういうものはヤフオクかなと思い検索しましたが、わからなかったので、今度は楽天で検索していると、たまたま似たリモコンを見つけたので、買って見ました。
左のリモコンの下の部分にメーカー名が無いのが、代替リモコンですね。
その代替リモコンも最初は良かったですね、軽く押せばドンドン進んで行きましたから。
それが今では、特にネットフリックスとYouTubeがダメですね。
フィルムのコマのように並んだ動画のどれを観ようかなとリモコンを操作して動かして行きますか、驚くことに途中のある一コマで止まってしまって動かなくなるんです。
原因不明ですが、故障の兆候でなければいいがと思います。
おそらく原因の一つは、退院して会社を休んでいる時に、連続ドラマなどを見過ぎたことではないかと思います。
それが今では、1話終わる度に強制終了となり、テレビのホーム画面に戻ってしまいますからね。
でも変ですよね、見過ぎでWiMAXに制限がかかるというならわかりますけどね。





最後に、抗がん剤の点滴が始まったばかりですが、今のところ冷たいものがダメという副作用以外出ていませんが、思い出しました、前回も最初は良かったのですが、2回目、3回目と進んでいくうちに副作用も出て来て、おまけに血液検査の結果も悪くなり、2週おきだったものが3週おきになり、最後には4週おきとなりましたからね。
でもこの猛暑に冷たい水が飲めないとは、ほんとに辛いです。




続きはまた書きます。

 そういうわけで、これまでのブログに書いた通りで、肝臓癌の手術後2週間で退院し、引き続き休みを貰い2週間ほど自宅で休養していたところでしたが、いろいろと検討した結果、思い切って仕事に復帰することにした次第でした。


というのも、実は今回、私ももういい歳ですし、またもう大腸癌の手術、続けて肝臓癌の手術と、2度も会社を休んでいますので、思い切って社員からアルバイトに変えてもらったところだったんですが、あまり長期間休んでいると、ほんとにアルバイトのようになってしまうらしく、いろいろと問題も出てくるようなので、2週間休んだだけで、仕事に復帰したところでした。


もっとも、まだ体調は万全ではなく、リハビリ途中といった感じなので、社長さんにもお願いして、当分の間は、軽い仕事を中心にやらせてもらうことになってましたが・・・


 まさかまさかの急展開・・・となってしまいました・・・


でも、最初はよかったんですね。


仕事を再開しての月曜日と火曜日は、昼間のみの出勤で、久しぶりにスクーターを運転しての配り物とか、またこちらも久しぶりに車を運転しての荷物の配送とかで、所長さんのお話しでは、やってみて大丈夫そうだったら休み明けの木曜日から本格的に仕事に復帰してもらうというような話になっていた次第でした。


もっとも、本格的にといってもまだ体力が回復してないので、当分の間は、車による転送業務と時々、朝刊配達をやらせてもらって、体力が回復次第、朝刊配達を増やして行き、最終的には朝刊配達と夕刊配達だけにしてもらう予定でした。


ちなみに、この車による転送業務というのは、諸紙の紙分けもやるんですが、おもにスクーターに積めなかった分の新聞の梱包を、各区域の指定場所に車で配送する仕事で、配達より楽だと思われるのか、けっこう皆さんには羨ましがられますね。



そういうわけだったんですが、週末になってまさかまさかの急展開となりました。



事前に何の相談もなくいきなり、配達中の事故でちょっと前から休んでいた高齢のお爺さんがどうも今月一杯ぐらいダメらしい、またそのまま辞めるかもしれないというので、急遽、なぜか私に白羽の矢が立ち、金曜日の夕刊はあけるので、順路を取って欲しいというのだ。


というのも、去年の3月に、新聞の部数大幅減の影響か、駅前の店と、私が働いていた店が一緒になってしまい、そういうわけで、私が働いている店の全8区域なら、1年近く配達しなかったとしても、順路帳を見ずに配達出来ると自信満々だったのだが、そういうわけで、駅前の店の8区域が加わったことにより、私の自信も半減していたところでした。


それにしても、肝臓癌の手術後、退院し2週間は休みましたが、まだ体調が完全に回復してませんし、たとえばスクーターに乗っても、道路のちょっとしたデコボコでも、お腹にビンビン響くような状態ですので、順路を取るにしても、せめてあと1〜2週間後ぐらいにはして欲しいとは思いました。


まあ今回は社長さんにもお世話になってますし、またアルバイトに変えてもらっているので、まあある1つの区域を朝刊と夕刊を配達するのがバイトさんですからね。






そういうわけだったんですが、実はこれを最初に書き始めたのが6月の半ばのことでしたが、やはり働き始めると疲れてしまい、帰宅するとバタンキューでほとんど動かずにボ〜としてるか、チューナレステレビで音楽を聴いたり、YouTubeやネットフリックスやプライムビデオで映画やドラマをボ〜として見てるかで、ブログの方は、まさかまさかの急展開からまったく進んでなかった次第でしたが、早いものでいつのまにか7月となってしまい・・・さらに早くも7月半ばになろうとしています。





そういうわけで、体調がまだ完全には回復してないなか、バイトの高齢のお爺さんが配達中の事故で休んでいる区域を、急遽、順路を取り配達することとなった次第でした。



というのも今回のブログでも書いていますが、部数大幅減の影響か、去年の3月に駅と駅の中間地点にあった私が働いていた店と、駅前にあった店とが一緒になっている影響で、全16区域のうち、もともと私が働いていた方の8区域は目をつぶっても配達出来ますが(ちょっとオーバーかも)、残りの駅前の店の区域だった8区域はまったく分からないということになっています。  



そういうわけですが、私が駅前の店の区域を配達することになるとは、非常に感慨深いものがあります。



というのも、私がもともとこちらの店で働き始めた2000年当時、よくこっちの店で良かったなと言われたからですね。


あっちの水は苦いぞ こっちの水は甘いぞ ではありませんが、あっちに行ってみろ大変だぞ、アホな息子社長が、夜な夜な遊びあるいて、経営はとっくに左前で、給料は遅配が続き、カード料なんなかも気に入った店員だけに先に払ったりとか、依怙贔屓ばかりだぞということでした。


その息子社長さんの名前も、キンちゃんだったか、ギンちゃんだったか、もう思う出せなくなっています。


ほんとに光陰矢の如しで、すべて忘却の彼方です。


いやほんとにそんな昔のことでなくても、ちょっと前に一緒に働いていた店員さんの名前ももう忘れてしまっています。


まあそれほど人手不足で朝から走りまわって働いているわけなんですけど。


まあそんなことはどうでもいいのですが、感慨深いというのもほんとに劇的な変化だからですね。



その昔は、このA地区一帯を手広く営業されていた地元の及川新聞店さん(仮名です)でしたが、それが3つの店に分かれ、それでも及川新聞店さんは駅前の店で営業されていましたが、それが私が来てちょっとして廃業されたようで、別の経営者が乗り込んで来られたところでした。


そういうわけでしたが、最近の部数大幅減の影響で、3つの店がまた1つの店となった次第ですね。


ほんとに感慨深いです。




そういうわけですが、話がそれて長くなってしまいましたので、続きはまた書きます。















 そういうわけでもありませんが、台風が近づいていましたが、実は6月3日は退院後初めての診察の日なのですが、どうも大雨みたいで、心配でしたが、結局、病院に電話して診察日を変更してもらいました。


そういうわけですが、今回のブログは退院してから1週間ぐらいまでの生活と感想を書いていきます。



まず、前回のブログで書き忘れたことを書いていきます。


まあ書き忘れ多数、誤字脱字多数ですが、このブログは自己啓発、ボケ防止で書いておりますので、書くことに意義があるというものです。



まず、退院時に支払った入院費ですが、今回は2週間の入院ですので、5万円台でした。


もっとも、もうちょっとしてからアメニティ使用料の請求書も届くと思いますけど。



ところで話は変わりますが、ヒゲについてですね。


以前に、このブログにも恥ずかしながら無精髭の写真を掲載したことがありましたが、実はというか当然、入院前に剃ったわけでした。


まあギリギリにならないと行動を起こさない私の無精な性格のおかげで、入院前日の夜にやっと剃ったわけでしたが。






そういうわけだったんですが、手術が終わってちょっとしてから、看護師さんに、ヒゲが伸びてますよと指摘されるようになりました。


さすがに手術は終わってますので剃れとは言わなかったですけど。


でも私は看護師さんの言うことを信じてなかった。


というのも、入院前にヒゲを剃って、まだいくらも経ってないと思い込んでいましたから。


しかし・・・看護師さんの言ってることは正しかった・・・


ヒゲはちょっとしか写ってませんが、だいぶ伸びているのがわかります。
ちなみに、これは抗がん剤のポートを使って、点滴をしているところです。
これだと両手が自由に使えるので楽になります。





ところで話は変わりますが、実は今になって(もっとももう退院してますが)去年の10月下旬に最初の病院に入院した時のことを思い出しています。


というのも、それまでは朝から走り回って働いていたものが、急に入院して昼間も夜もヒマになったわけですから、こういう時には何をすればよかったのかなと真剣に考えたものでした。


それが今では(もう退院してますが)何もせずにベッドに横になってボ〜としてるのが一番良いと思ってます。


また退院してからもそうですが、1日中ボ〜としてます。


もっとも、朝からチューナレステレビを付け、YouTubeやネットフリックスやプライムビデオを見たり、音楽を聴きながらボ〜としてます。


でも、病院でもほんとに何もやってなかったわけではなく、尿管が外れてからは、自分でトイレにいかなくてはいけませんでしたし、部屋の隅の洗面台で1日3回歯を磨かなくては行けませんし、1日1回はリハビリの先生が来られて一緒に歩いたりしてました。


また実際に退院したら何が食べたいかとか、退院したらやる事とか、退院したらすぐに買うものとか、メモしたりしてました。


ちなみに、そのメモするのが今回からスマホのメモ帳のアプリに変わりました。


前回の入院の時には、紙のメモ帳にボールペンでメモしてましたから。


ちなみに、退院したら食べたいものは、お寿司と蕎麦でした。




そういうわけですが、まだ書き忘れていることはあると思うのですが、次は退院してからの話題に移ります。


退院は、土曜日の午前中でした。


前回と同じで今回もタクシーがいればタクシーで帰ろうと思っていましたが、タクシーはいなかったので、バスで一旦、駅に出てからタクシーに乗りました。


もっとも途中で会社に寄り、社長さんに挨拶してから、もうちょっと先の私のアパートまでタクシーで行きました。


ちなみに、社長さんとの話し合いで、とりあえず2週間だけ休ませてもらうことにしました。




帰るとお昼にはまだちょっと早いですが11時を回ったいい時間になっていましたので、昼食の準備をすることにした次第でした。


そういうわけで2週間ぶりに冷蔵庫を開けてみると、思ったよりも汚いので、まず冷蔵庫の掃除を久しぶりにすることにした次第でした。


ちなみに、入院前にはすぐに腐りそうなものを中心に、大量廃棄していたところでした。


そういうわけで、冷蔵庫を改めて見ると、中はわりと空いていましたが、結構汚れているので、中のものをすべて出して掃除することにした次第ですね。


またそういうわけで、ずいぶん久しぶりに冷蔵庫内の拭き掃除をおこなったので、冷蔵庫がキレイになり、ちょうど良かったです。


あとはこれまで庫内に入っていたものの処分ですね。


もっとも、入院前にほとんど捨てているので、残っているのは調味料とかですね。


めんつゆ、ソース、ドレッシング、ケチャップ、味噌󠄀とかミネラルウォーターとかですね。


例えば、ソースはよく使いますが、ケチャップとなるとたまに思い出したようにナポリタンを作るぐらいなので、それじゃ前回ナポリタンを作って食べたのはいつだよ?というともうまったく思い出せないほどですね。


また味噌󠄀も同じで、たまに思い出したように味噌汁や豚汁を作って食べますが、それじゃ前回作ったのはいつだよ?といってもまったく思い出せないほどですね。


もっとも2週間の入院ですからギリギリ大丈夫なんじゃないかと思いますが、疑わしきは・・・すべて捨てることにしてます。


ちなみに、若い頃から潔癖?だったわけではなく、始まったのは2年前の夏からです。


その頃からお腹の不調が始まったのですが、まあここ数年は熱い長い夏が続いていますので、最初は何か変なものでも食べたかなという感じだったので、ちょっとでも怪しい物は、捨てるようになった次第でした。


でも結局ガンだったわけですけど。



そうでした、そのうちにお昼となりましたので、何か食べるものはないかと探しましたが、冷蔵庫は空っぽなので冷凍庫の方を見ると、セブンイレブンの冷凍うどんと松屋の冷凍牛丼が何個か残っていましたので、肉うどんにして食べた次第でした。


まあ私の作るものは簡単なものが多いです。


そういうわけで土曜日の午後からですが、もう何もせずにゆっくりとすることにした次第ですね。




そういうわけで翌日の日曜日ですが、日曜日はやる事がいろいろありました。



まず、会社ですね、土曜日に病院からの帰りに会社に寄った時に、社長さんから書類を書いて明日持ってきてくれと言われていたんですね。


もっとも、社長さんは気楽な調子で書いて持って来てくれと言いましたが、歩くのは大変です。


実は、足がないということには事情があるのですが、書けば長くなるので、また別の機会に書こうと思います。


私のアパートから会社までの距離は、スクーターなら2〜3分、また元気な頃なら歩いても10分まではかからない距離ですが、退院直後の今では、おそらく10数分ぐらいかかると思います。


入院中のリハビリでも、外科病棟の廊下を往復4〜5周ぐらいしか歩いてなかったですから。


そういうわけで、退院してから初めてのリハビリにしては、歩く距離が長かったかなとは思いました。


でもおそらく自発的には絶対こんな距離は歩かないと思いますので、歩いてよかったと思います。



また日曜日はもう一つ用事がありました。


保険会社に提出する書類を準備することですね。


給付金の申請書類は、今回も郵送による紙の書類でなく、PDFファイルにしてもらいましたが、これだとコンビニのコピー機で印刷しなくてはいけないので、ちょっとだけ面倒ですけどね。


もっとも、どうせ領収書と診療報酬明細をコピーしなくてはいけないので、ついでですけどね。


そういうわけで、ギリギリまで何もしないのが私の悪い癖ですが、今回ばかりはお金のことなので、日曜日になんとか準備し、月曜日の午前中に郵便局まで行った次第でした。


そういうわけで、今回も会社ほどはないですが、けっこうな距離を歩きましたので、いいリハビリになりました。


でもまあ郵便物ぐらい郵便ポストにいれておけばいいのですが、特定記録で送った方がいいと書いてありましたので、郵便局の窓口まで持参した次第でした。


ちなみに、この保険会社は一旦書類を送ると、あとの対応は速いみたいです。


今回は月曜日に書類を郵送しましたが、火曜日には書類が届きましたとメールがあり、さらに水曜日にはもう査定結果が出ましたとメールがありましたので、驚くべき速さですね。


もっとも、書類さえ整っていれば、私でも予測可能な簡単な査定みたいです。


ちなみに今回は、入院1日が?千円、手術1回が?万円・・・だけですね。


まあそれでも病院の窓口で支払った金額の倍以上もらいましたから当面は大丈夫ですが、2週間入院してますし、続けて2週間休みましたので、5月分の給料はでませんので、この先ちょっとだけ不安にはなります。



まあそういう次第で、退院そうそう連日のようにけっこう歩きましたが、その後は、1日1回はそこそこの距離を歩くようにし、あとはのんびりと毎日ボケ〜として過ごしている次第です。


もっとも自分なりの計画はありまして、とりあえず冬物の服を仕舞うことと、部屋の整理ですね。


というのも、連休明けに入院しましたが、結局、連休ぐらいまではまだ寒い時もありますので、主に作業着ですが、ジャンバー、ベスト、トレーナーとかまだ使っていましたから。




まあそんな感じだったんですが、また書くのが遅くなり、また長くなりましたので、このあたりで止めておきます。


続きはまた書きます。















 まさかまさかの急展開・・・ でした。


最悪の時期は、手術後 ICU に移され、半日ぐらい滞在後、また外科病棟に戻りナースステーションの隣りの病室に入れられ、また半日ぐらいぐらいで元の病室に戻ったあたりですね。


ICUにいる頃から、お腹をL字型に切る部分が大きかったのと手術が長引いたそうで、またそういうわけで、麻酔や痛み止めに使われる医療用麻薬の影響で、めまいがし、気分が悪く吐き気がしていたのですが、実際には吐かなかったのですが、吐いたのは手術の翌日の午前中に外科病棟のナースステーションの隣の病室に移ってからです。


お昼に食事が出たのですが、おかずの小松菜の青臭いところが鼻につき、吐いてしまったわけでした。


ちなみに、夜になって元の病室に戻り、翌日にもう1回吐きました。


前に吐いたものは、食べたもの中心でしたが、今度、吐いたものは黒いみずのようなものでした。


看護師さんは、胆汁だと言いました。


実は、その時は吐き気は収まっていたのですが、念のためにビニール袋等を枕元に置いて準備はしていたのですが、仰向けに寝ていていきなりオェッと来たので、上に向かって吐いたので、たまったもんじゃありません、首から下、胸の辺りにもろに浴びてしまいましたね。


すぐに看護師さんを呼んだのですが、看護師さんが清掃の用具を取りに行っている間に、ダメ押しでもう一度上に吐いてしまいましたね。


そういうわけで、一度は抜かれていた鼻管でしたが、また差し入れられ、また水禁止、食事も出なくなった次第でしたね。


そういうわけで、また1週間の絶食で点滴のみとなり、おかげで入院前は76キロまで回復していた体重も退院の時は68キロとなった次第でした。


体重もほんとによく短期間に乱高下するものです。



また、夜になって元の病室に戻った翌日(というと手術から2日目)の午前中にレントゲン検査がありました。


でもまだ一人では歩くのは無理なので、看護師さんに車椅子を押してもらって行きました。


実際に、レントゲン室でも、車椅子から立ち上がり胸を撮影するにも、ベッドに横になって撮影するにも、やっとの思いで撮影でした。


そういうわけで、帰りも当然、車椅子で看護婦さんに押して帰ってもらいましたが、エレベーターで外科病棟で降りた時に、看護師さんが、ついでにちょっとだけ歩いてみましょうと言いましたが、私は無理だと言いましたね。


その看護婦さんは私が入院した頃からお世話になっていた看護師さんでしたが、まだそれほど歩けないので無理なものは無理でした。


ちなみに、その看護師さんは、それ以降まったく見かけなくなりました。


もっとも、それはそうかもしれません、外科病棟も広いし病室も多い上に、昼勤と夜勤があるみたいですので。


でも、私の退院の日に、また昼勤で私の病室の担当になられたようで、最後にお会い出来てほんとによかったです。


もっとも、そんなことを言えば、私が吐いた時に、後始末をしたのは私です、という看護師さんもおられますから、ほんとにいろいろな看護師さんに迷惑をかけお世話になりました。


 

 ほんとに一時はどうなることかと思いました。


38度ぐらい熱が出たのもその頃ですね。


私が熱が出るなんて珍しいです。


またその頃は奇妙な夢を連続して見ていました。


まあ思い出が走馬灯のように蘇るとヤバいといいますが、その頃見た夢は、思い出ではなかったですし、現実とも違い、現実の人物や風景に幻想の入り混じった奇妙な夢でした。


最後はいつも、ヤバイヤバイということになり、追い込まれますが、でも待てよ、今は入院中で休みでは?ということで現実に引き戻され、夢から覚めますが、でもまたすぐに寝込んでしまい、また違う夢を見てました・・・



ところで、手術から3日目からリハビリも始まりました。


もっとも、たいてい手術の翌日から始まりますから、遅いぐらいでした。


最初は外科病棟の廊下を1往復でしたが、翌日からは毎日1往復づつ増やして行く感じでした。


週末になって、若いリハビリの先生からジムがあるので行きましょうと言われましたが、私は断りました。


たしかに外科病棟の廊下を点滴台を押しながら、往復4〜5周、ゆっくりですが休まずに歩けるようにはなっていましたが、まだ胸の違和感が大きくとてもジムまで行ってリハビリをするような段階でもないと思ったので、断った次第でした。


実際に、手術後の第1周目は、そんな感じでした。




それが


まさかまさかの急展開・・・


となったのは、2週目からでした。


まず、月曜日にCT検査がありましたが、先生がおっしゃるには、合格ということでした。


これで一気に、退院が視野に入って来ました。


翌日からはまた食事も再開しました。


また先生がおっしゃるには、食事が普通に食べれるようになったら退院だと。


また、これで一気に土曜日に退院ということになって来ました。




そういうわけなんですが、どうも、まさかまさかの急展開、というのは私の個人的な感想のようなもので、というのも、手術後吐いたりしましたし、一時は熱も出てましたし、また私が痛がりで萎縮していたのでリハビリも遅れていたところに、一気に退院となったもので、私が勘違いして、まさかまさかの・・・と思っただけで


実際は、主治医の先生からすると、手術は成功し、その後も順調に回復し、CT検査も合格で、当初の予定通りに2週間で退院となったということなんだと思います。




そういうわけですが、ついつい思い出に浸ってしまう私の悪い癖でブログを書くのが遅くなり、退院からだいぶ日にちが経ってしまいましたので、このあたりで止めておきます。


続きはまた書きます。