八雲立つ出雲 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○鹿児島湾は南北に80㎞、東西20㎞の細長い湾で、何とも深い。それは鹿児島湾がもともと噴火口であったことに関係している。鹿児島湾には、普通に、イルカが生息しているし、潜水艦だって通行している。そんな海域は、まず無い。

○その鹿児島湾の最奥部に屹立しているのが、霧島山である。標高は1700m。この辺りでは、断然、高い。つまり、旧日向国の最高峰が霧島山なのである。この霧島山に、旧日向国の起源を求めることは、当然の帰結だと言えよう。

○それが、日本最古の史書とされる「古事記」や「日本書紀」の天孫降臨神話になる。現在の歴史学では、日本創世の天孫降臨の世界山さえ、規定されていない。日本と言う国は、何とも貧しい文化国家であることが判る。

○偶々、当古代文化研究所は、その日向国に存在する。毎日、天孫降臨の世界山を眺めて、生活している。その当古代文化研究所が天孫降臨の世界山を案内しないで、何をする。それが大和三山の研究として、結実した。

○前回、ブログ『鹿児島湾』で案内したように、奈良県橿原市に、次の大和三山が存在する。

  ・畝傍山(199.2m)

  ・香具山(152.4m)

  ・耳成山(139.7m)

○しかし、あれはレプリカであって、本物では無い。本物の大和三山は、旧日向国の次の山々を指す。

  ・うねびやま=霧島山(1700m)
  ・かぐやま=桜島山(1111m)
  ・みみなしやま=開聞岳(924m)

第一、国名を冠するような山が、標高200mにも満たない小山であるはずがない。しかし、古代より、大和三山は、何故か、有名だし、理由も判らずに、誰もが尊崇してきた。

○本物の大和三山を、この鹿児島湾の洋上から眺めると、古代人が、大和三山として、これらの山々を尊崇していた理由がよく判る。これが本物の大和三山である。当古代文化研究所では奈良県橿原市の大和三山と区別するために、本物の大和三山を邪馬台国三山と呼ぶことにしている。

○日本で、最も良く大和三山を案内する書物が何か。ご存じだろうか? 本当は、そういうところから、大和三山は研究されるべきなのである。日本で、最も良く大和三山を案内する書物は、「万葉集」なのである。

○私見によれば、「万葉集」には香具山が十四回、畝傍山が六回、耳成山が三回記録されている。当古代文化研究所の大和三山の研究がここから始まったことが言うまでもない。「万葉集」を研究すれば、大和三山が判る。何とも面白い取り合わせである。

○閑話休題、ここまでは、前回の補足に過ぎない。鹿児島湾を出ると、波が荒れ、高くなる。それは身体で感じることができる。そうすると、開聞岳が洋上に浮かんで見えるようになる。まさに、開聞岳は海の道標であることが判る。

○鹿児島湾を出ると、右手に見えて来るのが硫黄島である。もっとも、硫黄島の手前には、竹島も見える。ただ、硫黄島の様相は、尋常では無い。常時、蒸気を噴き上げて見えるのが硫黄島なのである。

○当古代文化研究所では、これまで、6回、硫黄島を訪問している。

  ①2009年5月30日(土)
  ②2009年6月11日(木)
  ③2010年10月30日(土)・31日(日)
  ④2011年3月13日(日)から18日(金)
  ⑤2011年11月25日(金)から29日(火)

  ⑥2012年8月22日(水)

○それは、硫黄島が尋常の島では無いからである。硫黄島は恐ろしい島である。ここが邪馬台国の女王、卑弥呼の故地であることは間違いない。その卑弥呼は、現在も、日本中で斎き祀られている。そのことに、誰も気付いていないに過ぎない。

○それは、卑弥呼の正体を理解すれば判る。卑弥呼の正体は、大物主神であり大山祇神だと言うことが「古事記」や「日本書紀」を読むと判る。その卑弥呼の現住所が鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島長濱だと言うことになる。

○私たちは、大和地名と言うと、奈良県のものだと信じて疑わない。かの本居宣長にも、「國號考」と言う文章があって、大和国に懸命に大和地名起源を求めてる。しかし、それは無駄と言うしかない。大和国に大和地名起源は存在しない。

○そのことを証明してくれるのが大和三山である。大和三山が、旧日向国のものである以上、大和地名は、旧日向国のものであるとするしかない。

○同じように、出雲地名も出雲国のものではない。それを教えてくれるのが枕詞「八雲立つ」である。出雲地名に掛かる枕詞が「八雲立つ」だと言うことになる。

○枕詞「八雲立つ」の風景を、出雲国で説明することは、誰にもできない。何故かと言うと、出雲地名もまた旧日向国のものだからである。当古代文化研究所では、長年掛けて、そのことを追求して来た。結果、出雲地名の起源が硫黄島であることを理解した。

○「八雲立つ」出雲の風景は、そのまま、硫黄島の風景なのである。それは古代から現在に至るまで、不変である。今でも、神々しい『八雲立つ出雲』風景を見ることができる。久し振りに、その風景を見ることができて、感動した。