四月三日が寒食節であること | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○今日、2024年4月3日は、寒食節である。日本では、寒食節を知る人の方が少ないのではないか。当古代文化研究所では、2016年4月に、テーマ「寒食・清明・立春」と題して、立春に関するブログを104個、寒食・清明に関するブログを76個、書いている。

  ・テーマ「寒食・清明・立春」:180個のブログ

  寒食・清明・立春|古代文化研究所 (ameblo.jp)

○その中で、寒食に関する詩作を36編、清明に関する詩作を33編、それぞれ、訳している。中国では、寒食節、及び清明節に関する風習は根強いものがある。それが気になって、まとめたのが、上記のテーマ「寒食・清明・立春」だった。

○ちなみに、ウイキペディアフリー百科事典が案内する寒食節は、次の通り。

      寒食節

寒食節(かんしょくせつ、かんじきせつ)は、東アジア年中行事古代中国で成立し、現代では大韓民国などで春の農耕の始まりを祝うとともに祖先を祭り墓参が行われる一方、中国では清明節に吸収される形でほぼ消滅している。

伝統的な寒食節においては数日(時代によって期間は異なる)火を使わずに過ごし、冷たい食事だけで過ごす。後者については「寒食」という名前にあわせて後から生じた風習とみられる。これらは焼死した介子推を弔うため、という伝説が有名である。

  寒食節 - Wikipedia

○中国の検索エンジン、百度百科が案内する『寒食节』は、次の通り。

      寒食节

      中国传统节日

寒食节,中国传统节日,在夏历冬至后的105日,清明节前一二日。是日初为节时,禁烟火,只吃冷食。并在后世的发展中逐渐增加了祭扫踏青秋千蹴鞠、牵勾、斗鸡等风俗,寒食节前后绵延两千余年,曾被称为中国民间第一大祭日。寒食节是汉族传统节日中唯一以饮食习俗来命名的节日。

寒食节起源,据史籍记载:春秋时期,晋国公子重耳为躲避祸乱而流亡他国长达十九年,大臣介子推始终追随左右、不离不弃;甚至“割股啖君”。重耳励精图治,成为一代名君“晋文公”。但介子推不求利禄,与母亲归隐绵山,晋文公为了迫其出山相见而下令放火烧山,介子推坚决不出山,最终被火焚而死。晋文公感念忠臣之志,将其葬于绵山,修祠立庙,并下令在介子推死难之日禁火寒食,以寄哀思,这就是“寒食节”的由来。

清初汤若望历法改革以前,清明节定在寒食节两日之后;汤氏改革后,寒食节定在清明节之前一日。现代二十四节气的定法沿袭汤氏,因此寒食节就在清明节前一日。

春秋时期至今,寒食节已有2600多年的历史,故事发生地中国山西将寒食节定为清明前一天,这一天吃冷食、祭祀、踏青等习俗也一直流传下来并为全国所接受。伴随着岁月的流逝,寒食节静静地融入了清明节,寒食所代表的人们对忠诚、廉洁、政治清明的赞许,是千年如一的。

  寒食节(中国传统节日)_百度百科 (baidu.com)

○改めて、寒食に関する詩作を36編を読み直してみて、中国人の寒食節に対する思いを感じた次第である。文化は耕さない限り、享受できない。中国人の寒食節に対する思いの深さは尋常では無い。

○それは、おそらく、日本人の彼岸に対する思いに近い気がする。昔は、一族郎党がそろって、彼岸を迎えた。中国では、それが春は寒食節であって、秋は中秋や登高だったのではないか。そんな気がする。