蟠门・蛇门 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○以前、ブログ『伍子胥と胥門』の最後に、こう書いた。

  ・結論から言うと、伍子胥が「而抉吾眼懸呉東門之上」と言ったのは、

  どうも胥門ではなくて、蟠门か蛇门であるらしいことが判った。それだ

  けでも、大きな収穫である。少なくとも、司馬遷の「史記」が記録する

  「呉東門之上」ではないのだから。

  ・それは何故かと言うと、南から攻めて来る越軍を待ち受けるために造

  作されているのが、蟠门であり、蛇门だからである。そのことについては、

  次回、詳しく触れたい。

○その後ブログ『姑蘇萬年橋』、『相土嘗水象天法地』、『胥門』と話が逸れて、なかなか『蟠门・蛇门』を書くことができなかった。それで、今回、やっと、ブログ『蟠门・蛇门』になる。

○中国の検索エンジン、百度百科が案内する『苏州古城八门』の中では、『蟠门・蛇门』について、次のように案内している。

      蟠门

 “蟠门”即盘门。《吴地记》:“旧日蟠门,尝刻木作蟠龙,镇此以压越。”吴国处于辰位,故在城南又设蟠门,城上刻木蟠龙,面向越国,象征吴国征服越国。后改名盘门。另外,平时不开东门,表示“绝越”。

现存盘门乃元代重建,清初修建门楼,题以“龙盘水陆”额,此门水陆两门并列,两道陆门间为瓮城,盘门是现存最完整的古代水陆城门

      蛇门

 蛇门,吴在辰位,属龙,越在巳位,属蛇,故蛇门上置木蛇一条,北首向内,表示越臣属于吴。历史的进程总是让人啼笑皆非,阖闾为了压制越国建造了蛇门,但灭掉吴国的恰恰是越。这正是个让人无语的笑话。在苏州的八座城门中,没有比蛇门更短命的了,似乎让人能瞥见点命运的微笑。

  苏州古城八门_百度百科 (baidu.com)

○また、百度百科には、別に盘门項目が存在し、それには次のように載せる。

      盘门

 盘门(Panmen),古称蟠门,位于江苏省苏州市姑苏区东大街49号。周敬王六年(前514年)吴王阖闾命伍子胥所筑春秋吴国都城,盘门为吴都八门之一。因门上曾悬有木制蟠龙,以示镇慑越国,又因其“水陆相半,沿洄屈曲”,得名。

 盘门总体布局和建筑结构基本保持元末明初旧观,水陆两门南北交错并列,总平面呈曲尺形,朝向东偏南10度。盘门是元明清三代陆续修建的遗构,是中国唯一保留完整的水陆并列古城门。具有极高的历史文物价值,有“北看长城之雄,南看盘门之秀”的说法。

2006年5月25日,盘门被中华人民共和国国务院公布为第六批全国重点文物保护单位

  盘门_百度百科 (baidu.com)

○同じように、百度百科には、別に蛇门項目が存在し、それには次のように載せる。

      蛇门

 蛇门前汉·梅福字子贞,为南昌尉,避王莽乱政,称得仙,弃妻子,易姓名,有人见福隐市卒,即此门也。” 宋·朱长文《吴郡图经续记》卷上:“曰蛇门者,为其於十二位在巳也。又云:以越在巳地为木,蛇北向示越属吴也。”

  蛇门_百度百科 (baidu.com)

○前回、ブログ『胥門』で書いたように、司馬遷の「史記」巻六十六『伍子胥列伝第六』には、

  而抉吾眼懸呉東門之上。以観越寇之入滅呉也。

とあって、東門となっている。しかし、蘇州の民間伝承では、伍子胥が自分の眼をえぐって、門の上に掛けたのは、胥門だと言うことであった。

○ただ、上記したように、呉の都、蘇州城門で、越国に対峙するように造作されている城門は、東門では無い。基本的に、蘇州では、東門は存在はしていても、機能していなかったことが確認できる。

○一応、東門は相门になる。

      相门

 相门(xiàng mén)古作干将门、将门、匠门,位于江苏省苏州古城东。

 吴王阖闾曾命铸剑师干将于此设炉铸剑,故得名干将门、将门。

 《吴郡图经续记》记载:“将门者,吴王使干将于此铸宝剑,今谓之‘匠’,声之变也。”因此,“将门”便又称之为“匠门”,后又讹“匠”音为相,遂称“相门”。

 相门在宋初被填塞。民国23-25年重辟,解放后被拆除。2012年再次重建。

  相门(苏州古城门)_百度百科 (baidu.com)

○それに対して、越国に対応するように造作された城門は、上記したように、蟠门であり蛇门だったことが判る。上記の蟠门の説明には、蟠门上には「刻木作蟠龙」が存在し、蛇门上にも、「置木蛇一条」が置かれていたとある。

○おそらく、そういうものが司馬遷の「史記」巻六十六『伍子胥列伝第六』が記述する、

  而抉吾眼懸呉東門之上。以観越寇之入滅呉也。

の原型ではないかと思われる。なかなか歴史は、面白い。

○なお、当古代文化研究所では、今回の旅行で、相門までは訪れたが、蟠门及び蛇门を見学する時間は無かった。後日、もう一回、蘇州へ来いと言う思し召しだと判断する。もちろん、そのつもりである。