○牛深港へ着いたのは、2022年8月4日の午後1時30分ころだった。フェリー乗り場へ行って確認したところ、午後2時に長島蔵之元港行きの船が出ると言う。それに乗ることとした。これから長島、出水市、水俣市、八代市を経て、熊本市まで帰る。
○そうすることで、天草を縦断する旅が完結することになる。実際は、天草縦断の旅と言うよりも、八代海を周回する旅だと言うことになる。すでに、当古代文化研究所では、6発21日から23日に掛けて、下天草に泊まり、天草を周回済みである。今回の旅行は、それに続くものだった。
○13時45分ころに、三和フェリー、第二天長丸が見えて来た。最初、天長丸と聞いた時、元号の天長を思い付いて、何故、ここに、平安時代の元号が存在するのか、不思議でならなかった。後で気付いたら、天草の「天」と、長島の「長」を繋いだのが天長丸だと理解した。何のことは無い名前だった。
○午後2時に、フェリー第二天長丸は無事に出航。一路、長島の蔵之元港を目指す。天気が良くて、海も穏やかで、最高の日和である。沖合には、遥か彼方に、甑島が浮かんでいる。牛深から甑島は見える距離であることが判る。
○当古代文化研究所は、現在、テーマ「海の民の肥国をさるく」を研究対象としている。それは甑島を何度も訪れ、甑島の先に天草があることを確信したからに他ならない。それで、今は天草を中心に検証を続けているわけである。
○現在、長島は行政上、鹿児島県となっている。しかし、もともと長島が天草の一部であることは間違いない。そういう感覚を養うこと。それが必要だと感じて、こういうふうに天草を散策している。
○そのことは、長島の中心が長島の東北部にあることとも、深く関係する。長島は決して、長島だけで存在するわけではない。長島の東にある伊唐島や長島の北に位置する諸浦島や獅子島とともに存在するのが長島なのである。
○もっと言うと、長島は伊唐島や諸浦島、獅子島とともに御所浦にも繋がっている。それだけではなくて、下天草島や上天草島とも密接に関係しているし、九州島の八代や芦北、津奈木、水俣、出水とも交流していることは、間違いない。
○そういうことを確認するために、今回、熊本市から宇土半島を経て、天草五橋を渡り、大矢野島から上天草島、下天草島を経て、長島までやって来たわけである。こういう距離感は、出掛けてみないと、なかなか得ることができない。そういう意味では、大きな収穫だった。
○また、長島から直接、甑島へ渡るのでは無いことも、理解できた。長島からは牛深へ渡ってから甑島へと向かうことが判る。そういうことは、この三和フェリー、第二天長丸に乗って、蔵之元港⇔牛深港間を渡ってみると、よく判る。そういう距離感が大事なのである。
○当古代文化研究所では、2022年6月21日に蔵之元港から牛深港へと渡り、22日には御所浦島を訪れ、23日は中田港から獅子島、諸浦島、長島と経由している。また、7月7日にも蔵之元港から牛深港へと渡り、7月10日には、島原港から熊本港へ渡っている。
○そして、8月4日に、牛深港から蔵之元港へと渡り、その後、8月26日にも再度天草を訪問し、蔵之元港から牛深港へ渡り、下天草島に二泊して、上天草島の東海岸を経由して、天草五橋を渡って帰って来ている。
○したがって、2022年に、6月21日~23日、7月7日、8月4日5日、8月26日~28日と、計四回、天草を訪問したことになる。年も明けたと言うのに、まだ8月4日の話を書いている。まだまだ天草について、知らないことが多い。確認すべきことがたくさんあって困っている。
○しかし、ことを急いてはいけない。できるだけ丁寧に検証することが肝要である。そう思って頑張ってブログを書き続けている。